燦々と照る太陽が肌を焼く。思わず太陽に手をかざしてしまうほどに太陽は眩しかった。ガリガリ君を齧りながら塾へ向かい密室特有の蒸し蒸しした暑さに身悶えながら机に齧り付く。
家に帰って風呂を浴びてお気に入りのバンドのプレイリストを流す。3曲目に入ったあたり、不意に
「そのバンドいいよなー」という声が聞こえた。こんなマイナーなバンドを知っている身内がいたのか。と思いながら、あたりをキョロキョロ見渡すと、真正面を見た時、ぱっちりと特大の蝉と目があってしまった。「キィヤアアア」とうら若き乙女もかくやな絹を裂くような悲鳴を上げ、その場から尋常じゃない勢いで離れた。
「まぁ落ち着けよ。」とのんびりした調子でいいながら器用な仕草で足を組みながら机でふんぞりかえっている蝉に私は「ヒイイ」という情けない声をあげながら台所の隅でプルプル震えることしかできなかった。
これが私と喋る蝉の蜻蛉の出会いであった。
その日、なんとか蜻蛉と話せるようになったのは、夜の0時を回った頃だった。まだ慣れきれずに少し青い顔で蜻蛉の話を聞いた。蜻蛉はここの近くの久山という山で育ったらしい。
そして自分だけ何故か喋れるらしい。
その日はもう夜遅かったので、まだ喋り足りなそうな蜻蛉を無理矢理帰して、寝た。
次の日も変わらず、塾へ行った。
いつもと違うのは、家に帰ると巨大な蝉がヨッとチャーミングな動きで私を出迎えることだ。
私達は昨日からなんの話をするかは決めていた。何故なら蝉と人間では話す話題が違うからだ。
何度も試行錯誤を繰り返しようやく互いが話せる話題が蝉トークであった。
例えば私が「蝉っていつも死んでると思ったら急に驚かせてくるから、腹ただしい。まるで現実世界のゾンビみたいだ。」というと蜻蛉がすかさず「セミだって今を必死に生きているんだ。そんな最期まで抵抗しようという気高い意志を気持ち悪いと一蹴するのか?」と論破する。ような展開が何日も続いた。
後退することなんてないし私が論破できるわけでもない。そんな日がずっと続くと思っていた。
ある日いつもの如く家に帰ると蜻蛉がぐったりとしていた。どうした?と聞くと蜻蛉は消え去りそうな声で「もうすぐで死ぬんだ」と言ってきた。
そのまま看病?したが、虚しく蜻蛉は死にかけから1日で死んでしまった。
無心で蜻蛉を土に埋めていると涙が溢れて止まらなくなった。蝉も実はいい奴かもしれない。そうたいして赤く焼けてもない空を見上げて思った。
そして歩き出した途端、サクッという軽快な音がして下を見るとそこには蝉の死体を踏んづけた自分の足があった。その日、とある町で1人の少年の絶叫が聞こえたという。そして私が蝉が再びトラウマになったというのは、自明の理である。
お題夏
ここまで読んでくださってありがとうございました。
少しグロ描写を書いてしまったことにお詫び申し上げます。
険しい山道を登る。そのまともな足場がない山道はそれだけでも老体の私の体を疲弊させた。
やっとの思いで山頂に辿り着くと私は頂上のベンチに腰掛けてフッと息を吐いた。
その前方には沢山のコスモスの花が咲いていた。
あの頃は一輪だけであったのに。
そう振り返るとともに私はかつての親友との思い出を振り返った。
大学3年生の頃、私は登山サークルに所属していた。
とても雰囲気が和やかで人は少ないが落ち着ける場所だった。そんなサークルで私の親友こと晃と出会った。サークルの歓迎会の時、大学1年生だった私と晃は馬が合いすぐに腹を割って話すような仲になった。
山ではいつも組となってお互い登山でもかけがいのない相棒であった。
ところが話は戻り大学3年生の頃いきなり晃がサークルを辞めてしまった。
当時の私は驚いてすぐに晃の家を訪ねた。
玄関のチャイムを鳴らすと晃が私を出迎えた。
もう私が来た理由に察しがついたのか、自室にわたじ招き入れ、事のあらましを語った。
晃曰く、親が外国に移住したいそうだ。
晃の両親はかなり自由奔放な人でいつも晃は振り回されているのだという。
1人で暮らせば?と聞くと、晃はそれも言ったがそうしたら仕送りはしないし家族の縁を切ると脅してきたらしい。なんとも強情な両親である。
どうしようもなく、暫くお互い沈黙していたが、
突然私の口から「最後に鳶山登ろうぜ」という言葉がついてでた。
しまったと思ったが、思いの外、晃も乗ってくれて今度行くことになった。
鳶山とは、私達が1番最初に登った山だった。
標高は低いのにやけに道が険しく、2人で汗をダラダラかきながら登り終えたことを覚えている。
その次の日曜日、私達は鳶山に登った。
幾多の山を登ったおかげで以前よりもスムーズに登ることができた。頂上に登ると晃が突然、種を取り出した。コスモスの花らしい。
種は二つあった。1つはこの山に埋め、片方は晃の新たな家に埋めたらしい。
持ってきた水筒の水をコスモスにあげた。
水で湿ったコスモスの花は晃の家のコスモスと共鳴するように艶々と輝いていた。
お題君と最後に出会った場所
ここまで読んでくださってありがとうございました。
私が今のように老いていず若々しい時の話だ。
一輪の花があった。それは少し力を込めて触ってしまえば砕けてしまうくらいに繊細で、でもガラス細工のように透き通っていて美しかった。
平和な時であったなら、両親に大切に育てられて幸福な人生を送っていたであろう。
しかし彼女がうまれたのは、運悪く戦争の時であった。人々が求めたのは、ただ脆くて美しい花ではなく、大地にしかと根付いて折れない花だった。
両親には、虐待のほどは行かないが、かなり罵られた。「役立たず」と。彼女は曲がりなりにも貴族であった。説教が終わるといつも彼女は屋敷を抜けだし下町の横角で泣いていた。
そこに私が通り過ぎた。私は最初見た時、綺麗な人だな、と思った。私は彼女に話しかけた。
初めは彼女も警戒していた。しかし話していくうちに打ち解けっていって私達は度々話をする友人になった。
けれどもある日を境に彼女は来なくなった。
三ヶ月が経とうとした時、ようやく彼女が姿を現した。少し文句を言おうと思ったが、彼女の顔を見るとその気は失せた。何故なら涙でくしゃくしゃになっていたからである。
彼女は結論から言うともう暫く会えないらしい。
魔王が誕生してそれを討伐する為に勇者パーティに無理矢理親に加入させられたそうだ。
その後何気ない雑談をして、別れた。
きっと無知な君は知らぬのだろう。この別れた岐路がやがて交差し片方が消え去ると言うことを。
転移魔法で、すぐ城に戻ると案の定四天王の1人のデュラハンから怒られてしまった。相変わらずの堅物だった。玉座に座り部下にお気に入りの赤ワインを注がせる。そう、私が魔王だったのだ。
これが昔話である。勇者一行は確かに来たが彼女の姿はなかった。勇者を即座に捻り潰し、私は魔王を引退した。
そして旅人の服に身を包み彼女を探して旅へと出かけた。だが3年が過ぎ久々にあの下町に赴くと、小さなお墓があった。まさかと思って埋葬者を見ると、そこには彼女の名前が彫られていた。
なんとも言えない悲しみに、襲われながら私は静かに手を合わせた。どうか彼女の来世に幸有らんことを。
お題繊細な花
ここまで読んでくださってありがとうございました。
後、一年です。
そう医者に宣告されたのは三十代をかけ出したばかりの話であった。その日、私はショックのあまり眠れなかった。
原因は古傷によって感染した天然痘によるものらしい。
10年前の頃になる。その時、我らが日本は、太平洋戦争をしていた。
日本男児は皆、例外なく戦場へと赴き敵と命を散らすまで戦った。
ほぼ生存は見込めない戦場でも私たちは狂信的に天皇を信じ込み、人を1人殺めることも、罪悪感ではなく、天皇に役に立てたという高揚感しか湧かなかった。
更に運悪く私は戦場に天賦の才があったらしい。
方や銃、方や刀で戦う私は当時の戦争に生き残った者たちは創作の中の坂本龍馬のようだと言った。
敵は私をみるたびに恐怖に顔を歪め、今だからわかるが日本語で天皇の獄卒め!と言っていたらしい。
しかし三月以上戦争にいると体にガタが出始め動きの精彩を欠くようになった。
だがそれでも祖国に帰るぐらいの戦果は上げたというのに私はそれでもひたむきに天皇のためにと敵兵を殺し続けた。だがガタが出始め早、一月私は敵兵のピストルを受けてしまった。
致命傷ではないものの継戦できるほどではなく、すぐに本部に送還された。
右腕は二発の銃弾により重いものは持てなくなってしまった。やがて日本はアメリカに降伏し、戦争は終わり栄誉は奪われて代わりに与えられたのは、社会不適合者の烙印だった。
余命宣告をされた次の日には、もうこんな自分いなくていいのか。と生きることを諦めるようになった。
こうして無駄に二月を過ごした。
いつもの如く行くあてもなく歩いていると、年端も行かない子供にぶつかってしまった。
しまったと思った瞬間、私は子供の顔を見るともう既に泣いていた。
事情を聞くとどうやら迷ってしまったらしい。
私はその子供を連れて親元に引き渡した。
すると子供は私を見つめたと思ったら顔を緩ませて私に感謝を述べた。
その時、私は敵兵を殺す時よりも喜びを感じた。
こんな美しくも脆い笑顔を護りたいと感じた。
こうして私は警察官を目指して警察学校に行くようになった。
それから7年後、もう三十七になった私はようやく警察官になった。何故かあの後、天然痘という死神は私から手を引いてしまった。
もう戦場を自由に駆け抜けたあの頃には戻れないが、私がこの街の平穏の一風景となるようにいつまでも見守り続けたいと感じた。
お題一年後
ここまで読んでくださってありがとうございました。
更新が遅れてすみません。
桜が美しく生き生きと花を咲かせる春、私はここ星園学園の教師として赴任してきた。
学園の校長先生をはじめとした教師陣が快く私を出迎えてくれた。
入学式が終わり初めての授業で黒板を見ると、
私は一年前の記憶を蘇らせていた。
一年前私こと香月香苗は人生最大の危機が訪れていた。
当時大学3年生に進学した私を待っていたのは、残酷なテストの点と単位の数値によって落第への道へ突き落とされようとした。
教師に厳重注意をくらった帰り道、私はこんなことになった原因を探っていた。
やっぱり大学2年の時の夏休みの時間をゲームに極振りしたことかな、いや、もしかしたら2学期のテストの勉強をすっぽかして2月位沖縄で住み込みバイトをしたことかもしれない。
その全部だと突っ込んでくれる人もいなく終わりなき自問自答を繰り返していると前の同級生の女子とぶつかってしまった。お互いに尻餅をつき、その女子の手に持っていたプリントが散乱してしまった。
やってしまった。と思い即座に頭を全速力で下げると向こうも同じことを思ったのか再び頭を強打してしまった。
頭を抑えながら向こう方のプリントを拾う。
すると目に入って来たのは、難しそうな理論が書いてある数学のプリントとわかりやすくまとめられた物理のプリントだった。
それを目にした途端、厚かましいなどは考えずに向こう方の手を取って
「勉強を教えてください!」と叫んでいた。
これがぶつかった彼女、後の親友兼私の教師となる百華との出会いだった。
最初は急に手を取られて耳元で叫ばれた百華は呆然としていたがやがて正気を取り戻し、この厚かましい要求に答えてくれた。
百華が私の教師となると私の単位と成績はV字回復を遂げた。いや全盛期よりも尚高い成績を取った。
とても分かりやすく教えてくれる彼女につい何度も百華っていつもどれくらいの成績なの?と聞くと、百華は「気にしなくていいよ」と答えた。
そっかと思うともう百華に成績の話はしなくなった。
順調に卒業への道を私が切り拓き等々卒業日になりいつもの如く百華に会おうとすると百華はそこにはいなかった。唖然とするわたしをみて察した周りが事情を説明してくれた。
百華は私のせいで単位不足となり退学したのである。
こうして私は彼女の贖罪として教壇に立つことにした。
これからは私が生徒らに教える番だ。
お題一年前
ここまで読んでくださってありがとうございました。