「微熱」
「おい!!しっかりしろ!」
またひとりやられた。
―くっそ。数が多すぎる。どうなってるんだここは。
閉鎖的な世界を巡る俺らが、見たこともないやつらと相対する。
―こんなの聞いてない...嫌だ...逃げたい...
「俺達がいかなきゃこの世界は終わるんだぞ!
俺達には戦う以外道はねぇぞ!」
どこからともなく声が聞こえた。
―確かにその通りだが、それが本当に正しいのか...?
―絶対に死ぬと分かっていながら戦うのか...?
―俺は何のために生きているんだ...?
―俺は死ぬために生まれてきたのか...?
混沌とした絶望に包まれる。
体がじわじわ熱くなる。
その時気づいた―
俺の為に、自らを犠牲にするやつらが何億もいることに。
自分を犠牲にして彼らの世界を守ったその証に。
―俺も...守らなきゃ...
男は一歩ずつ、足を踏み出し始めた。
―この世界を守るために―
「おい!!しっかりしろ!」
ふと目についた
風になびく解れた毛糸
軽やかに飛び跳ねる
小さな天使の裾に
無邪気な笑い声の横で
秋の縁が過ぎてゆく
『落ちていく』
今日も来てしまった。唯一の楽しみである昼休み。オフィス近くの、広いとも狭いとも言えないような公園。端のほうにある小さな四阿に足を運ぶ。滅多に人が立ち入らないのであろうか、薄暗く、蔦が覆いかけている。
今日もそこに座っていた。病院着を身にまとう女性が。
スケッチブックを膝に乗せ、おもむろにペンを走らせている女性が。
「こんにちは...」
「どうも...」
素っ気ない挨拶を交わし、腰を掛ける。華奢なシルエットを横目に、今日も眠りに落ちていく...
嫌なことをすべて忘れられるこのひと時。
目が覚めると、いつも彼女の姿はなかった。
一週間前から始まった、この不思議な昼休み。何か話すわけでもなく、ただ同じ空間を共有する。
その、半非日常感を静かに楽しんでいた。
来る日も来る日も、いつもの場所へ足を運んでは、素っ気ない挨拶を交わし、彼女を横目に眠る。今考えれば、かなり変なやつだ。でもそれはお互い様だったのかもしれない。
ある日、眠りから覚めると、いつも通り彼女は居なかったが、そばに小さな紙切れが置かれていた。
「ボタンが解れてますよ」
小さく丸っこい字で書かれていた。
見ると確かに解れている。直してくれる"カノジョ"が、まだいればなぁ。もしかしたら、今頃夫婦になってたかもなんて空想に浸り、虚しくなる。
次の日、また目を覚ますと、紙切れが置いてあった。
「今度、一緒にご飯でも行きませんか」
正直驚いた。まだ、ほとんど話したこともないはずなのに、いきなり誘ってくるなんて。
もしかしたら...
淡い期待が脳裏を過る。
しかし、その期待は、あっという間に砕かれた。
また次の日、また紙切れを拾い上げる。
「いつか、一緒にご飯行きませんか」
やっぱりそうだよな...
彼女は記憶を失っていた。毎日の記憶を。
抜け落ちているのだ。その日あった出来事が何もかも。
彼女にしてみれば、僕は毎日初対面の相手なんだろう。
初対面の相手を、いきなりご飯に誘うなんて、勇気のある人だ。
やっぱり変わらない。不器用で大胆なところ。
彼女の記憶に残ることはもうないのか。
非情な現実を突きつけられ、声を押し殺して涙を流した。
数週間前のあの日から、もう動くことのない時計の針を眺めているようだ。
共に刻んだ数年の 思い出 が、底のない沼へ落ちていく。
そんな"カノジョ"を横目に。
『夫婦』
たかが紙切れ一枚の関係に、人は絶えず振り回される。
されど紙切れ一枚の関係に、人は人生を捧げる。
その紙に書いたことなんて、ろくに覚えていないが、
その紙が生み出した日々を、忘れることはない。
『また会いましょう』
成田空港の出発ロビー。普段なら、独特のどよめきや雰囲気を感じるはずであろうが、今は妙な静けさに包まれている。3年前、何もかもが自粛されたまさにその時だ。
別れというものは、案外あっさりしたものだ。出国審査のゲートの手前に、見渡す限り人々が押し寄せる。長い長い列にまみれ、あっという間に見えなくなってしまう。悲しみに暮れる暇もない。そういうものだと思っていた。
でも今は違った。辺りを見回しても、数えるほどしかいない人。端から端でも会話が出来そうだ。国際空港とはなんと名ばかりであろう。そんな有様であった。
怖かったのだ。別れが。その瞬間が。涙を流すのが。静かな、どんよりとした空気感が、さも一生の別れかのように強迫してくる。
歩みだす。超えられない隔たりが迫る。自然と歩幅が狭まる。そして、ゆっくりと立ち止まった。
振り返って、あなたが言った。
「生きてさえいれば、いつか会える。また会おう」
涙が、私の頬を静かに流れた。
あなたの足音だけが、甲高く響いた。