『スリル』
...送信っと。
遂に送ってしまった。このたかが十数文字を送るのに、僕は何分、いや、何時間かけたのだろう。あの人と出かけたいなんて思うのは簡単だが、行動するのはなかなかハードルが高い。この単語はどうとか、文末の形がどうとか、そんな普段は気にならないような、どうでもいい事まで気になって仕方がない。
返信が来ないか気になって仕方がない。そのくせ、もし今返信が来ても、少し時間が経ってから返すなんていうまねをする。いかにも落ち着いてる、こちらの方が一枚上手だとでも言わんばかりに。自分から誘っているのにも関わらず、だ。
聞き慣れた音がなる。画面が淡く光る。待ってましたと言わんばかりにスマホに飛びつく。が、開かない。というより開けないの方が正しい。今すぐ開いたら、鬱陶しいやつと思われてしまうかもしれない。そんなことが、頭を巡る。自分で自分を混乱の渦へといざなう。
何件かメッセージが来ているようだった。中身が知りたいが、何となく開けない。この時ほど、既読をつけずに内容を確認できる機能をアンドロイドにも搭載しとけと思ったことはない。深くため息をつく。無情に回り続ける時計の針を、ただ眺めていた。
ある人は、恋愛は付き合うまでのドキドキが一番楽しいという。相手との駆け引きなんかが醍醐味なのであろうか。当時の僕にそんなことを考える余裕など、微塵もなかった。が、確かに、あの時のスリルに近い感覚は、決して悪いものではなかった。
『飛べない翼』
何年も前の記憶。
ふと視線を落とすと、怪我を負って、今にも死にそうな鳥がいた。
「かわいそうに...」
そう呟く俺に、父さんは投げかけてきた。
「下界を眺める神と、下から羨む人間。酷なのはどっちだと思う?」
そんな非日常じみた質問に困惑しつつ答えた。
「そんなの人間に決まってる。」
決めつけるように言った。何を言っているんだ。だってそうだろう。神は人間を見渡す。下から見上げる俺達人類は、神のもとへたどり着くことは出来ない。何も出来やしない。そういうものじゃないか。
「ほんとにそうか?」
「どういう意味?」
少しムキになって聞き返す。
「本当に自由になったとき、その先に見えるものって何だ?喜びか?希望か?...いいや違う。その先に見えるのは暗闇と絶望。何にも束縛されないなんてことは、単なる虚無でしかねぇだろ?だから、それを悟る神のほうがある意味酷だろうな。...それなのに、人は自由を求める。貪欲に、ただ上だけを見続ける。」
「どうして...?」
「それが『希望』ってものだからだ。飛べない翼が。目標とか、願望なんてものが小さく灯っている。それだけで、上を見る力になるってものさ。」
「...」
「だからお前には知っておいてほしいんだ。飛べない翼ほど、羽ばたく力を持っているものはないってことを。」
忘れもしないあの日。俺の中の何かが変わった気がした。
『ススキ』
涼し気な風が吹く
今日も変わらず立ち続ける
周りと同じように風になびかれ
周りと同じように静かな音をたてる
なんの変哲もなく
なんの違いもないのに
君は僕を選んで
小さく笑ってみせた
『脳裏』
あぁ、なんでだろう。同じ部屋に居るというのに、見せるのは背中だけ。必要最低限の会話さえ、最後にしたのはいつかも思い出せない。
今日と言う日がまた終わる。
夢の中で出会ったのは、何年も前のあの頃。五分で読み飛ばせそうな冊子薄いを、熱心に読んでいた。あそこに行きたい。これが見たい。あれが食べたい。どうせ行かないんだろなんて思う僕をよそに、子どものような眼差しで見つめる君。無邪気な顔で微笑む君。
あぁ、この時間が続いていたら―――
不愉快なアラームの音で目を覚ます。
毎日が鏡に写ったように同じに感じる。あの、何の変哲もない日々が続いていたら...
脳裏に浮かんだのは、かけがえのない小さな小さな幸せだった。