やまめ

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8/24/2023, 12:17:07 PM

「あっ」
声を上げた時には、もう既に唐揚げは床に着地していた。
「あーあ‥」
山田がなぜか僕より残念そうに口を開けた。かと思うと、その中に自分の唐揚げを放り込む。そのまま幸せそうに唐揚げを噛み締めてVサインをした。
「えー‥」
苦笑していると、山田がVサインをサッと下ろした。神妙な面持ちで、僕の袖を引っ張る。
「え、何」
困惑しながら山田の視線を辿って、振り返った。途端に、ふわりとした洗剤の匂いが鼻腔を抜ける。
「タモ、唐揚げ落としたの?」
采架ちゃんが無表情で立っていた。心臓がドクンと痛んで、胃がぷらんと揺れる。頭の方に血液が集中して、顔が熱くなってくるのを感じながら、か細い声で返事をした。
「タモ‥ってさぁ」
采架ちゃんの少年のようなまっすぐな声が僕の耳にまっすぐ入ってくる。まるで直接脳に響いているみたいに。
「なんとも言えないドジ踏むよね」
そして、先程僕が山田に向けていたような苦笑でこちらを一瞥すると、洗剤の微かな匂いを残して踵を返した。
「山田、明日見たい映画決めといてね」という捨て台詞を残して。
があああーん。という音が聞こえた気がした。
「‥タ、タモ‥」
山田の遠慮がちな声で現実に戻る。
「ああ‥えーっ‥とぉ‥うー‥」
なんにも言葉が出てこなくて、仕方なく笑ってしまう。それにつられて、山田も横でへへっ、と小さく笑った。
それを見て、ふいに一言言いたくなった。いや、これくらい言わせてほしい。
「あのさ山田。お前采架ちゃんと」
パン!と山田が手を合わせて頭を下げた。それを見て、一瞬で嫉妬が萎んだ。
「‥いいよ別に」
身体を折り曲げて床に落ちた唐揚げを拾う。
立ち上がってゴミ箱に向かいながら、溜息をついた。
このやるせなさが排出されるように、深く、深く。

8/23/2023, 12:16:44 PM

そのまま海に吸い込まれたら、もう明日顔を洗うタイミングなんて気にしなくていいんだ。
その為なら、なんとか身体を動かして服を着れる。
呑み込まれてしまえば、沈み込んでしまえば、みんなの仕事がひとつ減るだろう。
そう思って、靴を履いた。

8/22/2023, 12:39:33 PM

「えへへー、来ましたぁー」
頭の中が真っ白の状態で椅子に身を投げ出す。内心穏やかではないくせに、いや、だからこそヘラヘラするしかない私を一瞥し、波野さんはなおも授業の準備を続けた。私もそれを気にせず、口を開く。
あれ。
話したいことはたくさんあるはずなのに、何も言葉が出てこない。溢れ出てこない。こんなこと、波野さんじゃなきゃ起こらない。だから、この何も出てこないという現象に慣れることができない。
たぶん、私は普段わりと適当に喋っているのだと思う。だから丁寧に話したい相手ほど、その気持ちにつり合う話のタネがクソほども無いのだ。
「‥きりんって、なんできりんっていうんだろう‥」
波野さんの突然の呟きに、一瞬脳内が大混乱を起こした。
あわやというところでバランスを保ち、不可解に相応しい顔をする。
「‥といいますと‥?」
促しながら改めて波野さんの方に目を向けると、「麒麟」と文字が見えた。
「動物のきりんと、幻のこいつの名前が一緒なのって‥」
幻の麒麟を見ながら、動物のきりんを思い出す。
「あーまあたしかに‥言われてみれば見間違えてもおかしくはないかも」
ぼそっと言うと、うーんそうだよねぇと波野さんが唸った。
さっ、と頭の片隅を何かが横切る。
「きりんの雄と雌の見分け方って、知ってますか?」
なんとか知識の端っこを掴んで、引き寄せる。よかった、ストックはまだあった。
「んふっ、なんだよそれ、どゆことだよ!」
波野さんが笑ってくれて、心から、本当に心からほっとした。
「あのぉ、頭の上の毛らしいです」
「なんだその情報!はーはーは!」
波野さんの引き笑いに心が満たされたところで、チャイムが鳴った。
「授業行ってきます!」
必要以上に元気よく立ち上がる。もう何も未練は無いという風に。その勢いのまま職員室から飛び出す。
未練は、無い訳ない。当たり前だ、時間も密度も足りる訳が無い。仲良くなりたい人に対して、たったの10分だ。
本当は、たくさん聞きたい。なんでそんなに明るく強く見えるんだ。なんでそんなにメンタルにむらがないんだ。なんでそんなに人として素敵になれるんだ。何がどうなって、どんなことがあって、どんな人に出会って、何が波野さんを波野さんたらしめたんだ。
あと一ヶ月で、もう毎日会えなくなるのに。私はもう、卒業してしまうのに。
どうして、私はこんなにも不器用なんだ。せめて、代わりに面白い話のひとつでもしてみろよ。
そうやって自分を罵倒しているのに、波野さんと少しでも話せた、その事実ひとつで、その事実たったひとつで。
「お前‥なんでそんなにこにこしてんだよ」
教室に入ると、たじろいだように同級生があとずさりした。

8/22/2023, 2:46:47 AM

もし空が飛べたなら、こんな息苦しい街、見下ろしてげらげら笑えたのに。
もし嘴があったなら、自分の鈍った心なんて、一突きでしゃっきりさせたのに。
飛べないあの鳥だって、強くありさえすれば高らかに愉しげに謳えるのだ。
鳥という生き物の美しさはなんだろう。鳥という生き物の気高さはなんだろう。
‥不思議だ。鳥なんて嫌いだったのに。
鳥って、私にとってなんなんだろう。

8/20/2023, 1:12:02 PM

あなたのお腹が大きくなっていく。それを見る度、それをどこか幸せに感じている。
命が宿るということは、とても良い事だ。わかっている。美しくて、尊くて、幸せな事で…
それが、好きな人だとしても。

ここのところ、毎日毎日、妊婦となったあなたの姿を横目に、学校生活を送っている。あなたの担当する授業の前は、いつも緊張して少し饒舌になってしまう。あなたが教室に入ってきた瞬間、私の喉はもうどうしようもなく固まる。いつもより幾音も高い声であなたに話しかける。あなたはいつも落ち着いた低いアルトでそれに応える。
私があなたの事を大好きなのは、同じクラスの皆が気づいている。きっと、あなただって気づいている。
授業中、あなたが私の傍で静かに息をする度に、何かを呟く度に、何かを読むためにそっと目を伏せる度に、にっこりと笑う度に、私の心はいつも揺れる。
どうして、私なんだろう。あなたをこんなにも好きになるのは、どうして私なんだろう。
どうして、私はあなたを好きなんだろう。
別に、あなたが女性だからじゃない。
あなたを人として、大好きになったんだ。
恋が何なのかは、全然わからないし、これが恋だとしたら、私はあまりにも切なすぎる。
あなたが大好き。それで十分だ。
あなたと結婚したあの人が、たまにとても羨ましい。その人のことも私はとても好きだから、嫉妬なんて認めたくない。
でも、羨ましい以前に、思うんだ。
ああ、敵わない。って。笑ってしまうくらいに。
あなたと結婚したのがあの人でよかった。あの人なら、絶対にあなたと幸せになれる。まあ、その前に2人とも自分で幸せを掴むだろうけど。
あと一カ月で、あなたは産休・育休に入る。職場復帰する頃には、私はもう卒業生だ。
ねえ。あなたがもう2歳になるあなたの子供の話をする時、あなたはとても幸せそうな顔をしている。美しくて、優しい母親の顔をしている。
私はその顔が大好きだから、だって、あまりにもあなたのその顔は美しすぎたから、
だから、
元気な赤ちゃんを、元気に、産んでほしい。
あなたは本当に強い人だから、私が願う事祈る事全部、必要性は皆無だなんてわかっている。
だけど、それでも。この先は、必要ないでしょう。
さよならって、あなたにいつ言えばいいんだろう。
わからないけど、いつさよならでもいいように、私はあなたの前で笑ってみせる。あなたの前で、いつまでも笑ってみせる。それくらい、いつでも笑ってられるくらい、あなたがいなくても笑えるくらい、強くなってみせる。
そうすれば、私がかつてどれくらい弱かったか、今どれだけ幸せか、伝わる気がするから。
だから、それをさよならのかわりに。
私がいなくてもあなたが生きていけるように、この先私の人生にあなたがいなくても、私は生きていける。それでいい。
最後に。
あなたを好きになってよかった。

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