もう七夕の日に夜空を見上げることも、短冊に願いを綴ることも無くなってしまった。べつに願いごとがないほど充足している訳では無い。ただ、何を願ってもどうしようもないことがわかっただけ。誰かに叶えてほしい願いなど、自分には分不相応だと気付いてしまっただけ。
今日はなんだか日差しが強かった。今朝は車軸を流すような大雨が降ったのだけれど、すぐに空は晴れ、うざったいくらいの快晴で燦々と照りつける太陽に文句を垂れたくなった。七月上旬、夏は始まったばかりのはずだ。先が思いやられるけれど、兎にも角にも健康第一にいきたい。
窓越しに見えるのは、赤紫に変色していく空と、大地。
運命の赤い糸、とよく言う。なぜ赤なのだろうか。青や黄では駄目なのか? 赤という色には確かに情熱的、恋愛的な印象を広く持たれているけれども、しかし赤い糸というのはまるで血に塗れた呪具のような不吉な感じがどうしても拭えない。そもそも、人と人とを結びつける運命の糸というものは目に見えないはずである。運命が目に見えるものであれば私たちはこんなにも苦労して生きていない。ゆえに、不可視であって然るべき運命の糸というものを、赤色と形容するのはあまりに矛盾しているように思う。色とは可視光であり、運命とは不可視光だ。まだ赤外線の糸とでも言う方が理にかなっているのではなかろうか。いや、そもそも運命に色などなく、実体と呼べるものさえ存在しえないのではないか──。
「君は浪漫に欠けるねえ。そんなんだから運命の人と巡り会えないんだよ」
そう言うと、目の前の想い人は可笑しそうに頬を緩めた。もし運命が存在するとすれば、それは着色された糸なんかではなく、あらゆる闇を照らす恒星だと私は思った。
入道雲が浮かんでいる。それはさながら巨人のごとく、その白い双腕を大きく広げて青空を泳いでいた。空には彼を遮るものなど何も無い。どこまでも広く、どこまでも遠く、際限なく白く在れる。澄み切った青いキャンパスの上を渡っていける。決して染まることなく、混ざることもなく、どこまでも真っ白で、雄大だ。今日も空は広く、雲は白い。そんな彼に嫉妬している。とりとめもない羨望が寄せては返す白波のごとく、思考の上をたゆたっていく。ぼんやりと仰いでいると、段々とこちらへ近付いてくるような、そんな気配を匂わせる入道雲に気付いた。入道雲は、その姿がいかに美しくあれ、とどのつまり積乱雲である。私はおもむろに立ち上がり、干していた洗濯物を急いで室内に取り込んだ。