「良い式だったね」
隣で彼がお通しをつつきながら言う。そうだね、みんな喜んでくれて良かったね。私の言葉に彼はにこりと笑った。まだ飲み始めてそんなに経ってないのに頬が少し赤みを帯びている。
人生の一大イベントが今日行われ、私達は夫婦になった。挙式、2次会が終わってもうすぐ日付を跨ごうとしてる。緊張と興奮がようやく落ち着いて空腹を感じた私達は今、ホテルの近くの居酒屋チェーン店に来ている。
「俺すっごい緊張したけど、君はそうでもなかったよね」
「そう?」
「うん。堂々としてた。指輪交換の時なんか、危うく俺、落としそうになってたってのに」
「そうそう!あの時は私も笑いそうになっちゃったよ」
がっちがちに緊張してたもんね。真っ白いタキシードがこれまた笑いを誘うって言うか。格好良い姿のはずなのに最後まで慣れなかったなあ。
「すごく楽しかったな。幸せな時間だった」
「そりゃそうさ。これから先はもっと、君は幸せになってもらわなきゃ困るんだから」
「うん」
箸を置き、私にしっかりと向き直る彼はひどく真剣な顔をしていた。左手に光るリングが目に入る。あぁ、私本当に結婚したんだ。そのことをじわじわ感じてくる。嬉しくて、涙が出そうになる。
「改めて。今日からよろしくお願いします」
「こちらこそ」
変な挨拶、と笑いながらもきちんとお返事をした。ほろ酔い気分で夫婦になった1日目の夜が過ぎてゆく。この人と、これから先一緒に歩いてゆく。それを思うとまた胸の奥底からドキドキするのを感じた。
もう嫌だ。というか、無理だ。
こんなことになるならもういっそのこと海の底に沈みたいくらいだ。それくらい、今回のことは僕の中で受け入れ難かった。
10年間片想いしていた彼女が結婚することになったのだ。相手は、僕の弟。
おめでとうお幸せに。定例的なお祝いの言葉すら出ないほど僕は驚いた。だって、なんだって君の生涯の相手が僕の弟なんだよ。まぁ僕も僕で、よく10年間も思い続けたもんだとは思うが。それにしたって身内とあの子が結婚。つまりあの子は僕の義妹になる。嫌だ、激しく嫌だ。これからは“お義兄さん”なんて呼ばれてしまうのだろうか。それを想像しただけで頭痛を呼び起こしそうになる。
でもこれで、ようやく10年にも渡った僕の仄かな恋物語は幕を閉じるというわけだ。結局、受身の姿勢じゃいつになっても報われないんだということがよく分かったよ。そうだよな、弟は僕に比べてずっと肉食系で社交的だ。そういう男が選ばれるということなのか。それが夜の中の仕組みなのか。
「はあ……」
溜息虚しく、何かしようと思いとりあえず散らかってる部屋の片付けをすることにした。僕が、弟よりもう少し饒舌だったら。あと少し背が高かったら。未来は変わっていたのだろうか。そんなことを考えても何も意味ないけど。でもたしかに、彼女のことを好きだったから。これまでの人生の中でTOP3に間違いなく入る衝撃のデカさだ。目眩がまだ収まらない。ゆるゆると立ち上がり鏡の前に立つ。情けない顔の僕がそこにいた。
「失恋って、幾つになっても辛いもんなんだな」
鏡の向こうの僕は今にも泣きそうだった。世界一惨めで不細工な僕だった。
たとえば。
見えない敵と戦っている夜に、どうしても誰かにそばにいてほしくて。「大丈夫だよ」って言いながら私のこと抱きしめてくれるような、そんな優しさを求める時がある。その相手はいつだって君で、なのに、会いたくてたまらない時に限ってそれが叶わない。
君の人生の何パーセントが私で構成されているんだろう。2パーセントくらいは、私で埋めてほしいな。私はというと、君がいないと途端に駄目になるからあながち100パーセントなのかもしれない。重いかな。依存しすぎかな。でもやっぱり、君無しじゃ駄目で、今すぐにでも君に会いたくて。
泣きそうで、助けてほしくて。
今日ほど、夜が長いなあって思ったことはない。今日眠れるかな。明日はご飯食べれるかな。明日になったら笑えるかな。1人でいると余計なこと考えちゃう。きっとこんな悩みも、君に会ったら一気に消え失せちゃうんだと思うよ。
だから。
もう駄目、ってなる前に、早く君に会いたいよ。
1月7日
明日から新しい学校だ。変な時期に転校だからとけ込めるか、不安。緊張するし憂うつ。でも、がんばるぞ。
1月8日
クラスの人たちは静かな人たちばかりだった。私がよろしくお願いします、と言ったら静かにお辞儀された。なんか冗談とか言いづらい雰囲気だった。今日は1人で帰ったけど、明日は誰か声かけてくれないかな
1月9日
移動教室とか、2人ひと組になって受ける授業が好きじゃない。だって誰も私に声かけてくれないから。今日の体育はとりあえず数が半端な男子と組んだけど、あんまおもしろくなかった。
1月12日
なんか新しい学校楽しくない
でもまだ1週間も経ってないんだから、そこまで落ち込むことじゃないよ。きっと、大丈夫だよね
1月17日
私のことをヒソヒソ喋ってる女子グループがいた。どこの学校にもそういうやつはいるんだな。やなかんじ
1月22日
つまんない。居場所がない。毎日朝になるとお腹痛くなる。ママにはほんとのこと、言えない
ここから先は白紙だった。
そういえばそうだったな。あの頃、転校先が嫌で嫌で仕方なかった。学校なんか無くなっちゃえって思ってた。
あの頃はきっと物凄く辛かったに違いない。でも、20年経った今はあの時のことなんか半分忘れかけてる。当時のことをこんなふうに冷静に考えられる。大人になったんだなと思う。あんなこともあったんだなあ、って、思えるようになれた自分を褒めたくなる。
そして、私は白紙のページをもう1枚捲ってペンを滑らせた。
2024年1月18日
昨日は、人生の一大イベントdayでした。彼から、プロポーズを受けました。ずっと一緒にいたいって心から思える人に巡り会えたことすごく嬉しい。
せっかく見つけた日記がこんなにも白紙が残っていたので、また今日から記したいと思います。あの頃の私も驚くくらい、楽しい出来事で埋め尽くせるといいな。
まるで、閉ざされてたものが20年ぶりに動き出した、そんな不思議な感じ。
明日はどんなことが起こるんだろう。
気持ち穏やかに、日記を閉じて引出しの中へしまい、「また明日」と呟いた。
元気ですか?
こっちは昨日、木枯らしが吹きました。
そのせいで落ち葉が舞って、道路に沢山落ちてたよ。
掃除してくれるボランティアのおじさんは大変そうだったけど、私はその風景を見て綺麗だなあって思ったの。赤っぽいのや黄色いの、色んな色が地面に敷き詰められてるみたいで、まるで自然の芸術みたいだなって。
あれ、なんかちょっと夢見がち発言だった?でも、こんなふうに考えられるのは良いことだと思ったの。外の景色に目を向けられる余裕があるってことだから。それでもやっぱり、あなたと離れて寂しくないなんて思えることはないけどね。
そっちはどうですか?
日本みたいに四季がはっきりしてないんだよね。1年じゅう暑いって聞いたよ。日差しが強いんだってね。
次、あなたに会った時気づかないくらいに真っ黒に日焼けしてたらどうしよう。別に、そんなことで愛想尽かしたりしないから心配しないでよ。でも間違いなく、去年よりあなたは見た目が変わってると思う。こないだ送ってくれた写真見て思ったもん。私がそばにいないからって、甘いものばっかり食べちゃダメだからね。
日本はまだまだ寒いです。
でもいつかは春が来るから、また桜が咲いて暖かくなるから。それが私は楽しみです。あなたに会えるの、もう少しかなってほんのり期待を持ちながらこの冬も過ごしてるよ。そう思ってるだけで風邪引く気がしないから不思議だよね。
あなたにまた会えるまで元気でいるつもりだから心配しないで。でも、時には私のこと恋しく思ってよね。
あなたも身体には充分気をつけてください。
また連絡します。
愛を込めて。