「でさ、もうそっからみんなやる気なくなっちゃった」
「なんだそれ。明らかに担任のせいだろ」
「でしょー?うちら何にも悪くないってのにさぁ」
イオリは夕飯を食べながら今日あったことを話す。俺は先に食べてしまったから今は聞き役に徹している。今日、クラスであったことをひたすら話し出す彼女。何でも担任の女教師がマジで頼りにならないらしい。その愚痴を延々と聞かされている。けど別にうんざりする気持ちにはならない。むしろ、懐かしいなと感じてしまう。大学生になると、クラスで取り組む行事とか担任の先生っていうのがなくなっちゃうから。青春してんだなぁ、とさえ思えてくる。
「ちょっとアズサ。ちゃんと聞いてるー?」
「聞いてる聞いてる。けど、早く食べたほうがいいんじゃね?見たいテレビあるんだろ?」
「そうだった、それまでにお風呂入っちゃいたいんだ」
そこから急いで食べ、「ごちそうさま」と言いながら皿をかたし出す。俺が洗うからいいよ、と言うとイオリは嬉しそうに笑った。さっきまでの不満げな態度は何処へやらで鼻歌交じりに洗面所のほうへ消えていった、と思ったら彼女の驚嘆する声がした。すごーい、と叫ぶ声が聞こえる。どうやら湯船を見てくれたようだ。彼女が喜ぶと思って泡風呂を作っておいてあげた。こないだ一緒に出掛けた時に買ったアロマキャンドルも用意しておいた。イオリの好きなもの、喜ぶものは何でも知っている。どうすれば笑ってくれるのか、世界中で俺が1番分かる自信がある。
泡風呂に感激したのか、今日はわりと長い入浴時間だった。イオリは慌ててリビングに戻って来る。髪はまだ、生乾きだ。
「それじゃ風邪ひくぞ」
「だって見たいテレビ始まっちゃうんだもん」
火照った顔でソファのど真ん中に座りリモコンを操作している。そのそばに冷たいルイボスティーを置いた。
「ありがとう」
にっこり笑ったイオリの隣に腰掛けたら端へ寄ってくれた。
「ほら、まだ濡れてるって」
「拭いてー」
「ったくしょうがねーなぁ」
口ではそんなこと言うけど微塵も思っていない。この髪に触れられるきっかけを探していた。呑気にテレビに夢中になっている彼女に気づかれないように、タオルでその長い髪を包みこんだ。
キミの喜ばし方も、甘やかし方も俺が1番知っている。この先もキミを守ってゆける自信がある。その気持ちは誰にも負けない。
なのに。
なんで。
どうして、
俺ら“兄妹”なんだろう。
この現実を怨まない日はない。
「駅まで送るよ」
そう言って、先輩は私の斜め前を歩き出す。1人で平気ですと断ったものの、そんなこと聞いちゃくれなかった。
「さすがにこの時間帯に女の子1人で歩かせるのは心配になるよ」
にこやかに笑って言う1つ上の先輩。ずっと前から好きだった。でもこの気持ちを伝える日は来ないと思う。だって先輩には彼女がいるから。
「みんな盛り上がってて楽しかったなー」
「そうですね」
「きみもちゃんと、飲んだり食べたりできた?会費払ってるんだからもとは取っとかないと」
「もとは取れたか分からないけど、それなりに食べれましたよ」
今日は大学のゼミの飲み会だった。2次会に参加しない組はここで解散となった。私もその1人で、駅に向かおうとしていたところを先輩に呼び止められた。正直、この人は2次会に行くのだと思ってたからこんな形で呼び止められてびっくりした。先輩は普段からいつも気さくに話しかけてくれるけれど、ここまで距離が近いことは無かったから、今は嬉しさよりも緊張が強い。
「何線?」
「京王線使います」
「じゃ、俺と一緒だ。途中まで一緒に行こう」
同じ改札を通る時、先輩から仄かにいい香りがした。香水だ。私はそれにときめくのではなく、反対に気持ちが落ちてしまう。この香りは先輩の彼女さんと同じものだから。きっと2人でお揃いのものをつけてるんだろうな。それを思ったら、今のこの状況はこの先滅多にないことだな、と思った。憧れの先輩と一緒に帰るなんて夢のようだ。夢ならこのまま覚めないでほしい。ずっと見てたい。そう願ってしまうほど、やっぱり私は先輩のことが、好きで。
「みんなあの後どこ行ったんだろうなー。カラオケかな?」
「そうかもですね」
「だとしたら抜けてきて正解だったな。俺さ、めちゃめちゃ音痴なの」
「えぇっ、そうなんですか?」
「うん。内緒ね。きみにしか話してないから」
きみにしか話してない。それはかなりのパワーワード。私しか知らない先輩の秘密。それを得ただけで不思議な優越感が頭の中を埋めてくる。音痴な先輩可愛いな、より、私しか知らない先輩のとっておきの情報を手にした嬉しさのほうが勝っていた。
そんなふうに、簡単にこの人の心も私のものになったらいいのに。叶わない願いを思ってしまう。らしくない。今日少しお酒を飲んだせいなのかもしれない。自分の最寄り駅に着くまでこの人を独占できることが嬉しくて、でもどこか切なくて。これが夢なら良いのに。そしてそのままずっと覚めなければいい。そう思いながらも、やってきた電車に2人で乗り込んだ。
気づいてた。
もうキミは、あたしのことに興味ないんだってこと。分かってても知らないフリしてたの。だってあたしは今でもキミのこと好きだから。
あたしの気持ちを知ってか知らずか分からないけど、近頃キミはあの子とよく一緒にいるようになった。その現場をよく見かける。細くて綺麗で髪が長いあの子。正直、あたしなんかよりもずっとお似合いだと思うよ。きっと周りの誰もがそう思ってる。ここまで詰められたらもう、あたしがお別れを言うしかないじゃない。もしかしてキミはそうなるように仕組んでたの?ほんとはもっとずっと前から、あたしからバイバイしたかった?知りたいけど、聞く勇気がない。さよならをする決心で残ってたちっぽけな勇気を使い果たしてしまったから。
それでも情けない話まだ揺らいでる。キミをここへ呼び出して、待つ今この時間も心はぐらぐらしっぱなし。私がさよなら言わなければずっとこのままなのに。でもそれじゃダメだっていう気持ちと、キミがもう一度あたしのことを見つめてくれないかっていうものすごい低い確率の展開を願う気持ちがせめぎ合ってる。苦しいよ、この気持ち。楽になるにはどうしたらいいの。別れをとるしか、道はないの?
仕事でミスをした。今までもミスは経験したけど、今回のはちょっと重要なもの。別に、ミスはミスなのだから大小関係ないのだけど、今日は結構メンタルにきた。
しょうがないよ、と俺の肩を叩いて一緒に謝ってくれた先輩に申し訳ない。上司に酷い言葉を浴びせられたことより、先輩にまで頭を下げさせてしまったことのほうが俺の中では大きかった。あの人はいつもにこにこしてるから、正直どう思ってるのか分からない。上がる時にもう一度謝ろうとした俺より先に、「今日はよく休んでね」と言ってきた。どんだけ人が良いんだと思った。
先輩の優しさを思い出しながら自宅までの帰り道を歩く。いつもより寒さが身にしみて感じてしまうのは気のせいじゃない。うまく切り替えられない自分に苛立ちを感じていたその時、ポケットのスマホが震えた。メッセージの送り主は、先輩だった。
“お疲れ様。明日は切り替えて一緒にがんばろう。あんなハゲ親父なんて気にするな٩(๑`^´๑)۶”
そんなメッセージを瞳に映した時、俺は思わず笑ってしまった。俺以上に、俺のミスを気にかけてくれてることが嬉しくもあり申し訳なくも感じた。
「……世話焼きな人だな」
1人でニヤつきながら俺は返事を打つ。少しだけ寒さが和らいだ気がした。明日は絶対に、役に立ってみせるから。
(……after 1/10)
日付が変わって0時0分ジャスト。
たった数秒前では出来なかったことが今は可能になった。おめでとう自分。ようこそ20代。
とは言っても私は酒も煙草にもさして興味はない。そもそもハタチを迎えることを待ち侘びていたわけでもなかった。昔は今と逆で、早く大人になりたいだなんて思ってたけど。高校卒業したあたりからもう充分大人扱いだし、年齢のせいで出来ないことなんてあまりなかった。だからこれ以上歳を重ねてもなあ。はっきり言って、この先歳をとっても、責任が付き纏う人生になるだけじゃん?
友人にそんな自分的解釈を話したら“あんたらしいわ”と言われた。彼女曰く、おおよそのことに対して私はいつもドライらしい。現実的って言ってよ。
そんな友人からのメッセージが早速届いた。
“20歳おめでとう〜……って、どうせ喜んでないだろうけど”。
そんな言葉と一緒にスタバのドリンクチケットまで送ってくれた。私も“ありがとう”をすぐさま返信する。
「明日、ヒマならどっか食べ行こーよ、っと」
彼女にご飯のお誘い文を打ち込んでる時、また別のメッセージを受信した。トーク一覧画面に戻る。嘘かと思った。
「え……」
夢でも見間違いでもなければ。そこに表れた名前はひとつ上のバイト先の先輩だった。連絡先を交換したのは確か半年くらい前。それから1度だってメッセージの交換なんてしたことはなかった。それなのに、なんで。
“店長から聞きました。今日誕生日なんだってね。おめでとう。もし、どこかで予定があったらご飯でもどうかな?美味しいお酒とお肉の店知ってます。ハタチの記念に良かったら”
「な、ななななな……」
思わず、寝転がっていたベッドから飛び起きる。勢いがよすぎたせいで足をすぐそばのチェストにぶつけた。めちゃくちゃ痛い、ということは夢ではない。
「うそ、うそ……」
何度も何度も送られてきたメッセージを読み返す。そんな、でも、なんで?わけが分からず自分の部屋の中で右往左往していると、さっきの友人から“オッケー”というゆるいスタンプが返ってきた。
「待って、ちょっといったん保留……!」
自分から誘っておいて彼女とのご飯を断るなんて酷いやつだとは自覚がある。でも、だって誘われちゃったんだもん。あ、だけど別に明日じゃないのか。そうだよね、そんなすぐに行くわけないもんね。
「美味しいお肉とお酒、かあ」
ハタチにならなきゃ味わえないもの。ひょっとして先輩は、私がハタチになるのを待っててくれたってこと?いやまさか。たまたま食べに行きたい店が美味しいお酒のあるところなんだろう。いやでも待って、文にはハタチの記念にってある。じゃあやっぱしそういうことなんだろうか。ていうかそもそも、なんで私をご飯に誘ってくれるの?
「……とりあえず、寝よう」
分からないことが多すぎるから、今日は遅いし考えるのやめよう。はたして寝れるだろうか。分からないけれど再びベッドの上に倒れ込む。時刻は0時13分。20歳になることは、やっぱり素晴らしいことなのかもしれない。……って、友人に言ったら調子のいいヤツって呆れられそうだな。