高校3年間ずっと仲良しだった子がいた。どこに行くにも何をするにも学校以外でも、家族以上にその子と一緒にいた。けどそろそろ進路を固めなくちゃいけない季節になって。あの子は就職、私は進学の道を選んだ。初めて、進む道が違うことになった。それを知った時はなんだかちょっと寂しかったけど、“お互いがんばろうね”ってあの子が笑うから。私も負けてらんないな、夢を叶えるために頑張らなくちゃなって思えた。その辺りから、あんなに一緒だったのになかなか遊べなくなってしまった。こうやって、次の春には話も気軽に出来ない距離になってしまうのか。それを思うと急にとてつもない寂しさに襲われた。
そんなモヤモヤを引きずりながらも私は無事に第一志望に合格し、あの子も希望していた職種に就くことが叶った。お祝いしよう、と言われてファミレスに行った。よく学校帰りにここに来てはドリンクバーでねばってたっけ。そんな昔話も交えながら久しぶりに一緒にご飯を食べた。それが高校生でいる間の最後の2人の思い出だった。
その後あの子は上京した。私が思った通りの、簡単に会えない状況になってしまった。だけど不思議と寂しくはなかった。今生の別れじゃあるまいし、今は電話もメールもある。会おうと思えば会える距離だからっていうのもあるかもしれない。でも何より、お互いに夢を叶える一歩を踏み出せたという事実が寂しさを打ち消してくれているんだと思う。
あの子が東京に行く日に駅まで見送りに行った時、“私たち前に進んでるよね”って嬉しそうに私に言ってきた。泣いてる暇なんかないよ、って言われた気がしてお陰で涙が引っ込んだ。そうだよね。別れを惜しんでる場合じゃない。前に進まなきゃ。寂しい時、気持ちに迷いが生じそうな時、いつもあの子は私を励ましてくれた。大好きな最高の友達。だから、離ればなれになったなんて思わない。どんな場所にいたって、ずっとずっと友達であることに変わりはないんだから。
ソイツとは駅の路地裏で出会った。段ボール箱があって、しゃがんで覗くと一匹の子猫が入っていた。
薄汚くて目も見えてるんだか分かんないくらいの小ささ。触るとゴロゴロ喉を鳴らした。案外人に慣れてるのかもしれない。しかし酷いやつもいるもんだな。そんなふうに他人事に考えながらもその場から立ち上がる。きっとそのうち心の優しい人が現れるさ。健闘を祈る。
だがもう一度ソイツの頭を触ろうとしたが、蹲って顔を上げなくなってしまった。よく見ると小刻みに震えている。そう言えば今日は今季1番の冷え込みとか言ってた気がする。こんな小さいやつをこのままここに朝まで放置してたら無事じゃ済まない。
仕方ねぇな。
「ほら、行くぞ」
段ボール箱ごとソイツを持ち上げた。ぴくりと小さな体が動く。ブルーの瞳が俺を見つめる。しかもよく見ると。
「お前……綺麗な眼だな」
右はブルー、左の眼はエメラルドグリーンの色をしていた。オッドアイだ。珍しいこともあるもんだ。
「きっと神様からのプレゼントだな」
なら尚更、こんな所でくたばってる場合じゃねぇよな。腕時計を見るともうすぐ夜の6時になるところだった。近所にある動物病院にまだ間に合う時間だ。うちに牛乳ってあったっけか。つーか、こんなチビだと何食べるんだろ。急に親心が湧き出している。抱えた段ボール箱の中を覗くと2つの色違いの目がこっちを見つめ返していた。
「名前……どうしようかなぁ」
考えながら夜の繁華街を歩く。今日から2人か。よろしく、えーと、まだ“名無し”。
「変わってないなあ」
そう口に出してしまうくらい、3年ぶりに帰ってきた地元はあの頃のままだった。風景だけじゃなく、雰囲気とか時間の流れ方はあの頃のまんま。
「この道を真っ直ぐ行って、次を右に曲がって」
懐かしい道を歩いてみる。よくここで学校さぼったりしたっけ、とか、この先の空き地で遊んだよな、とか。案外覚えてるもんだなと思った。
今歩いてる道は岬の方へ続く道。道端にコスモスが咲いていた。時折、風に吹かれて揺れている様子が可愛く見える。
そう言えばあの時もこんな季節だったなあ。この突き当りを曲がろうとした時。反対側から来る人と派手にぶつかった。すみません、と謝る声が同時だった。申し訳なさそうに頭をかきながら立っていた。それがあなただった。
またこんなふうに小走りで駆け抜けたら、もしかしたら。居ないはずのあなたを想像してしまう。だが、曲がった先に待ち受けていたのは秋の穏やかな空だけだった。こんな日にこんな所に、あなたは居るわけないよね。
今も元気にしてるかな。季節の変わり目によく体調を崩すあなた。うまくやってるといいけど。
西の空にひつじ雲が見えた。秋の空らしい景色。穏やかな空と裏腹、吹いてくる風はほんのり冷たくて思わず身震いしてしまう。この風もきっとあの頃吹いてたに違いない。すっかり秋なんだなぁ。ほんの少し感傷的になりながら、再び私はこの道をゆっくり歩き出した。
駅につくまで、どちらも言葉を発さなかった。私はただ前を歩く彼の背中を見て歩く。見慣れた光景だというのに、今日だけはこんなにもつらい。こみ上げてくるものを必死に隠しながらその背中についてゆく。
「ここでいいよ」
ようやく口を開いて彼が足を止めた。いつの間にか駅前だった。ここでいい、即ちお別れだ。彼はゆっくりこちらに向かって振り向いた。いつもの、えくぼが見える私の大好きな笑顔だった。
「見送りありがとね。1人で帰れる?」
「いつまでも子供扱いしないで」
「そっか、ごめん。もう子供じゃないもんね」
彼は私の頭にぽんと手を乗せた。そういうところが子供扱いされてる気がしてならないのに。今日だけはそれが嬉しかった。まだまだ私は子供だからもう少しそばにいてよ。そう言えたらどんなに良いだろう。
「あの、」
「また会おう」
私の言葉を遮るように彼が言った。ひどいね。気持ちを伝えさせてもくれないの。いや、それとも優しいのかな。今ここであなたに訴えたところで、私の気持ちに答えてくれないのは分かってる。言ったところで悲しく項垂れて1人で家まで帰る羽目になるから。だから言わせないようにしてるのかな。もしそうなら、もっと好きになっちゃうよ。
「また会おうね」
もう一度彼は言った。その言葉をどこまで信じて良いものなのか。あんまり優しいこと言わないでよ、本当に期待しちゃうから。
戸惑う私の前に彼は右手を差し出してきた。私も同じように手を出したら強くぐっと掴まれた。ほんの3秒間の握手だった。
そして彼は私に背を向け改札の中へ消えていった。“また”って、いつなの?それくらいは聞いても良かったかな。期待しないで、でもひっそりとその日が来るのを夢見ながら1人になった帰り道を歩いた。
数センチのドアの隙間。そこから音もなく身を滑らせ脱出する。これくらいは造作もない。出た先の廊下は薄暗くて人の気配も無かった。俺の他には近くには誰も居ない。少し埃っぽいから地面は歩かない。それに、何か危険なものが落ちているかもしれない。窓の縁に飛び乗って、そこを伝いながら出口を目指す。ゆっくりと進むより一気に駆け抜けるほうが時短だし確実に進める。姿勢を低くしてタイミングを測ろうとしていたその時、まさかの背後の扉が開いた。
――ヤバい、見つかる。
分かってはいたけどどこにも隠れる場所なんてなかった。となれば、この場から逃げ出すしかない。だが、相手の動きのほうが俺よりコンマ数秒早かった。身体を羽交い締めにされる。相手のほうがリーチが長いから抜け出すことは容易じゃない。しくじった。もう少し上まで登るべきだった。
「もぉー。だめでしょ、イタズラしちゃ。おかーさーん、またポンちゃん逃げようとしてたぁ」
イタズラじゃない。これは脱出だ。だが相手は俺の言い分を聞こうとせず、慣れた手つきで俺を拘束する。
奥の部屋からあらあらダメねー、と呑気な返事が聞こえた。
「逃げちゃだめだよ」
だから逃げるんじゃないっての。ここから脱出して俺を待つ外の世界に行くんだよ。しかし娘は両手で俺の身体を持ち上げる。そして、意味もなくぶらぶら揺らした。おいコラやめろ、引っ掻かれたいのか。
「もーっ、ワンパクな男の子なんだからぁ」
にこりと笑って俺を抱き締める。少しは加減しろ、といつも思う。お前は人形を抱いてる要領で俺を扱うな。もっと繊細なんだぞ、分かるか?毛玉吐くぞここで。
「なぁに?にゃーにゃーにゃー」
煩えな。さっさと離せよ。だが反論しても全く意味がなかった。大人しくさっきまでいたリビングにあっさりと連行されてしまう。
畜生。また、今日も駄目だったか。だが何度だって挑んでやるさ。そのうち3秒であの廊下を走り抜けてみせてやるぜ。とりあえず、今日のところは休戦だ。いいか、今に見てろよ。俺は決してお前なんかに屈しないからな。お前なんかとはじきにオサラバだ。
「ポンちゃん。ミルク飲む?」
……フン、仕方ねぇから貰ってやるよ。おっと、あんまり温めすぎるなよ。猫舌なんだからな。