... そのうち、なにもかもを受け止めることができる時が来るから ... その時までの ... ぼこぼこした荒原を行くのだ ...。祈りたる御守り ... そして私の様な ... ある意味では是れも一種の卑怯に含まれるとも謂える ... ガンジーの魂にも似た〝 決して戦わないそして逃げもしない。〟という貫徹を誓いという紐で首にぶら下げ ... その代償として私は一切の楽欲を断つのである .... 。
私は ... いや自分は ... 昨今この〝叶う〟という言葉を嫌うようになってしまいまして ...
な ん か ね ...
十字架を見世乍ら ...
〝 だから ... なんとかおねがいしますよ ... 〟
そんなものを感じ得てしまうのですよ。
私や誰かが満面の笑みを弾けさせる歓喜の一時は要らない。
泣いて下を向き溜めた息を足下に落とし送る衆生がひとつも無い世界を ...
〝 望 み 〟ます ... 唯一。
嘲笑という狂気の悦をこよなく愛する者の絶命と無間への到達を切に ... 〝 祈り 〟ます ... 。
其れが、時を止めてしまう所作であるとしても ...。
生きている ... 生き続けている〝今〟という空間に固執する意義というか ... そういうの諸々というか全部 ... わからなくなって来てるんだけどこれ ... 俺だけじゃないよなっつか ... わからなくなってない人の方がかなり少ない世の中のような気がする ... でも、🇯🇵日本人が自殺が多いのはなんとなくわかる気がするんだよね ... 。我欲に、悪い意味でも、捕まる人っていないから ..... 。きらきらした水平線を眺めてるみたいな時間に最上のしあわせを感触するでしょ。背中の痒いところに手の爪が届いた時みたいな快感とか、口の中で砕いたピーナッツが喉を潜る時の悦楽みたいなそうしたものは二の次三の次で ... だからね ... 雨や曇り空が長らく続けば、微笑しながらあきらめて去って死わるを選んじゃうんだよな。もっと、テメー勝手で図々しく奪い合えばいいんだろうけど ... そんな事をすると水平線が斜めになったり海に穴が空いてしまったりあおぞらがひび割れてしまうんじゃないかって本気で思い込んでしまっているある意味マヌケな民族、その血統だから ... 🇯🇵 ... だぁ〜めなんだよなぁ ... 自分の為にがんばれねぇんだよな。まいるゎマジ。
昭和天皇は植物学者である牧野富太郎博士の名言
「雑草という草はない」
に共感し似たようなことをおっしゃったと伝えられています。
そのエピソードは次のとおりです。
皇居周辺の草刈りをした侍従がお帰りになった際に一部雑草を刈り残したことをお詫びした。
昭和天皇は ...
「雑草という草はない。
どんな植物でもみな名前があってそれぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。
人間の一方的な考え方でこれを雑草として決めつけてしまうのはいけない。
注意するように。」
とおっしゃった。
牧野富太郎博士は植物学者として知られておりNHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槙野万太郎のモデルでもあります。
雑誌記者だった山本周五郎氏が1928年に牧野博士にインタビューした際に
「世の中に〝雑草〟という草は無い。
どんな草にだってちゃんと名前がついている。」
という名言を残しています。
自分はどうしても〝常識〟という言葉を好ましく念えないのである。
自分には〝常識〟という言葉に、冷たさや短絡さ、また怠惰のような解釈を感触するのである。
私は〝常識〟とは〝慮い遣り〟の対義語であろうとどうしても捉えれてならないのである。
〝 雑 草 〟
この言葉が後ろ手に隠すズルさと同様のものを感触するのである。
常識などという見識は、長い年月を慮うとき、なんともいいかげんな人やそれ以外の凡ゆる事柄を俯瞰し小馬鹿にする愚言に念えてならないのである。
不器用な慮い遣りを呆れ嘲笑するばかりで手は貸さず ... そういう虚しさを覚えるのである。
死ぬ自由が今、は ... 取り敢えず無い事が ... 神様の私に対する救い ... なのかも知れない .... けれど ... 。
俺には友達って居ないんだよね ... ひとりも ... 。
なんかって時に味方とか味方以外とか敵とか或は関係者、無関係者 ... そういった選別というか分別というか ...
〝 分別は、ごみを出す人がごみの素材・種類を分けること。 選別は、集まったごみのなかから特定の素材、種類を選びとって分けること。〟
(※意味調べたら分別も選別もゴミ絡みで説明してたよ ... 笑。)
友達 ⇒ 仲間→味方→派閥→敵味方 ...
ひとりでいればこれを逸れれるからさぁ。
12歳頃からこんな習性が身に付いてきれいに仲間はずれとか除け者、いじめられっ子、遣いっパシリとかやってやらされて ... そうしてるといつの間にか人間以外の物に、話しかけたりはしないんだけど、人間以外の物の心の声みたいなものをさがしはじめて、必死に耳を傾けはじめたんだよね自分さんは。
私以外の人間は、どうせ、格好がつかない瞬間から厭離すること、また格好がつく瞬間に向けて蠢動するばかり躍起になる其れは格ではなく質であるから否定してはいけない ... あきらめて、受け入れなければならない ... ... ...... 。
そうやって1999年2000年2001年という世紀末前後に私の人生に於いての小さな事件が起きた ...
宇多田ヒカル ... 三谷幸喜 ... 見城徹に文章やメロディを盗作されるという事件だが勿論、公になったりなんかしないしてない。
私の中の大問題はね .......
敬虔なる孤独を漸く見つけたら ... ゼニの亡者の私腹肥やしネタにされ枯らされて朽ち果てさせられたってことなんだよね ... 。
きっかけになってしまった〝成る沈む〟ってタイトルの詩には首相になる前の鳩山由紀夫からも賞賛のメールを(※当時存在したスタービーチというメアド晒しの出合い系でy.hatoyama@...というドメインから極めて紳士的で厳かな褒め言葉を頂いた。)受けたが ...
私は当時から今に至って33年目の古参東京都内タクシードライバーで ... 🚕 ...
未だに有り難くも世間一般からサクサク小馬鹿にされ乍ら衆生修行をサボらずに過ごせてますがね ....
chikushow .....
俺には尊敬してるやつなんざこの世にゃひとりもいねえよヴァ〜カ。
スキニシネタコカス。
昔、佐野元春の歌で…〝つまらない大人にはなりたくない…〟こういう歌詞があって…そんな言葉に心を踊らされて…じわじわ落ちてきたけれど…今ね…なんというか時代が変わって…お金の稼ぎ方や…幸せのあり方とか…幸せって言うものの捉え方とか…そういったものが変わってきて…
つまらない大人になった今…結構良かったなって…つまらなくない大人にならなくてよかったなって…。なぜかそんなふうに思うんだよね。
なんでだろうね。