『 階 段 。 』
無抵抗を貫いてニヤけた薄笑いで返せば〝きもちわりいんだよブゥァーカ!〟と最後のツメまでしてくる ...
わたしはキリストと同じ日に生まれ同じ血液型で徳川家康や織田信長、豊臣秀吉等と同じ両手枡かけ天下取りの相で1999年の世紀末11月の下旬には晴天の霹靂如し突如私に届いたメールは未だに名が知れ残っている歌手の差し金 ... そして以後有名作家 ... 有名出版社代表取締役 ... わたしは ... いじめられながらきらわれながらのけものにされながらなかまはずれにされながらだれもからおまえだけにはいわれたくないおまえだけにはまけないおまえとだけはいっしょにされたくない ... なんていう降り止まない人の冷たさの籠った雪の中をへらへら自分を騙しながら誤魔化しながら問題をすりかえながらしあわせとか浮かばれる日とか私に限っては想像すらしてはいけない宿命のもとに生まれて来たのだと思い続けて来たのがこの時うまれてはじめて自分が変わるのかもしれないという勘違いをしたのだがこれは尚の叩き潰しというかとどめを刺す為の出来事 ... やはり私の人生はそういう物語だったのだとまた笑い得た。
今日の休みもまたなんだけど ... カティーサークを飲みながらジムノペディを延々と聴き続けています。ベッドで横たわりながらパジャマのままで。
ジムノペディは私に言わせれば死への階段を一歩また一歩のぼる毎に生きていた時の記憶が消えていくというような情景を比喩したみたいに描いた旋律だとわたしは感触する。
すべてをわすれたとき、しのせかいにつくのだとおもう。
くものしろいかいだん。
かわいた、まぶしくない太陽にむかって。
いっぽ また いっぽ 。
「事実は小説より奇なり」は ... イギリスの詩人バイロンの作品「ドン・ジュアン」中の一節から生まれた表現である。
昨今都市部のあちらこちらで撮影部隊のロケバスを頻繁に見掛けるのだが車両外装色の淡い金色にほんのり白々しさを感触する。テレビドラマ等の撮影だと思われるが弱体化した芸能界に金を出すような富裕層企業が未だ存在する事に妙な関心を唆られる。三浦春馬から始まった(※解り易いところという意味で。本当はもっと昔から ... 尾崎豊、hide、坂井泉また飯島愛等も同じ)芸能人連続殺人事件は各々SNSで飛び交う暴露を通して隠し切れる範疇を完全に逸脱して芸能界の存続は完全不可能レベルに達している現在で毎日のように主要都心部でそうしたロケバスを目の当たりにするのはまるでテロを目の当たりにしているような気分に真面目に感触させられる。一番ネタにし易い怒鳴り我鳴りはユチュブの喧バト、BD等の地下格闘に総て掻っ攫われて所謂ツクリモノは茶番と笑われ一切通用しない。女優俳優の美貌も高等整形で為した似非物で皆同様にしか映らず記憶に残らない。そして極め付けとして自論を謂わせてもらうが ...
〝 小説が経文に勝る事まず無し。絶対に無し。どころか足下に及ぶ事すら永久皆無。〟
金 ... は稼ぎ方が多様化してるわけだし ...
芸能界を遺したいのは ...
広く浅く眺めてる安い大衆庶民の一端から謂わせてもらえば芸能界なんで余興の存在自体が心底大迷惑以外の何物でもないんだよね。
好影響の微粒一切無し。
若し芸能界に演れる事が有るとするならば残されたネタは ...
神田沙也加、上島竜兵まで続いた芸能界連続殺人事件と香川県豊島地下の日本版エプスタインの詳細開示また反社完全粉砕解散 ... 所謂 ... 悪のパーフェクト・エンドロールだけだよな。
あ の な
すでにおわってんだよおまえらは。
【 在り方 】
生きて来た時間というものが積み重なって来て気付いた事柄の中にこんなのがある ...
〝 図々しさという汚れを研き落としては、無論、想像していたように己の魂と共にその付近というものも同様に輝きを放つ。然しね ... そうした慎ましさは洗練されればされる程澄み切った酸素の如く清々しい気分の中で良い意味で急速に目立たなくなって来るのです。それ自体がとても素晴らしい事なのですが ... そうした中でこそやはり繁殖する濃い甘味を追求し続ける弱魂が時として絵になりもする辛酸を舐めまた嗅ぎながらも食い下がるその姿に人は感化されたりもするわけだがそれが仏教で謂う末那識というものに重なったりする。
まなしき【末那識】
我に執着して存在の根拠となる心の働き。 意識がなくなった状態にも存在し、迷いの根源とされる。
流行歌、流行映画、流行語、流行表現、大抵すべてがこの末那識だ。
そうした中で ... 死にたくならないで居続けること、生き続けていたいと願い念い続ける事のどれほど難解な事であろうかとわたしは念うのである。〟
冥利? ぷッ んなもんどこにもありゃせんよ。
理路整然 ... 説得力 ... ろぉ ほぉ .. ぁ、わらっちゃった ... 論破王 ...
嗚呼、昔こんなことを思ったこともあったよ。
永田町の代議士、各党代表3人くらいずつ集まってもらって一人につき一児の赤ん坊の世話しながら政治討論してもらうの。まさに
〝 🍼ザ・論破ぁ〜ルーム👶🏻 〟
本気で国政を考えるって、本当ならそういうこったろ。
まぁ、冗談はジョーダン🏀として
ジョークは冗句として ... ... ......
ざまぁーねーやなこの世もあの世も。
さて、引き続き努力努力。
独酌 独酌。
ジムノペディとは、ギリシア語の gymnos(裸の)と pais(子ども・少年)という意味からなり、裸体の少年たちが、踊ったり体操風の遊戯を行ったする古代スパルタの神々(古代ギリシアの戦没兵士)を祀るための儀式の名称「Gymnoppaedic」から、エリック・サティーが作った造語です。
エリック・サティ
エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Éric Alfred Leslie Satie、フランス語: [eʁik sati]、1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、フランスの作曲家。
出身地: フランス共和国 オンフルールとパリ
ジャンル: クラシック音楽; 新古典主義音楽; ロマン派音楽
学歴: パリ音楽院中退; スコラ・カントルム卒業
職業: 作曲家
私が初めてこのジムノペディという曲を耳にしたのは薬師丸ひろ子・世良公則主演三田佳子助演映画『Wの悲劇』だった。曲のタイトルも、作者のエリック・サティという名前も知らなかったが、当時17か18歳だったと憶う ... よくわからないが神妙不可思議な耳触りにうっとりしていたのを記憶しているのだが ...
あの頃から35年を経て ... 未成年だったあの日の私がうっとりしていたこの曲のはっきりわからなかった景色は死へ誘う階段を一段一段上がっている情景だったのだろうと今では感触する。
誰もが何もかもにつけて私が悪いと結論づける人生だった。それに抗う気すら起たなくなる程の羅列だったのだが ... この曲が初めて ... あなたは、唯のひとつも悪くなかった。だけどどうしても戦わないあなたに世界は嫉妬し、業を煮やした。さあ、あなたはよくここまで耐え続けました。さあもう躊躇う事なく、その透明な階段を登って私のところへ来なさい。もうこれ以上苦しむ必要はありません ... そんな声が聴こえた。
美味い酒、気に入った酒ほど、シラけさせるんだよ ... ジンセーっていうか、しあわせになりたい ... 辿り着きたい、とか ... 愛されたい ... 人から尊ばれたいとか ... はたまた、これは、いい意味で (?) かしら ... 侮辱されても笑って、ウンウンて流せる ... 。
オンナの中に入って恥じらいのほどける一瞬をむさぼるみたいに薔薇の棘のような尖った乳頭を唇で塞いで互いの心を溶かし合うとか ... ハハ ... ガキだったなあ ...
『雨の慕情』なんて歌が流行った時代もあった。今の若者にはわからんだろうなあ ... 。
( ※ 現代の若者は、私みたいな半端者とは異なる確りとした大人が整備した世の中を生きてる。不毛な身口意の業を垂らさない。)
夢ってのは、人が念う以上 ...
はかな‐い【儚い・果敢ない】
頼みにできる確かなところがない。
淡くて消えやすい。
「―望み」。無常だ。「―この世」
掌に降りた雪の如く瞬く間に消えて姿を消すからこそ美しいのだろう。
死者の身体になら触れても雪は溶けないんだよな ...
また埒の開かない事を考え続けてしまった。