のり

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12/13/2023, 11:43:46 AM

お題『愛を注いで』


愛を注がれ、愛されることを知って、愛されることを望んでいるのに、愛し方がわからない。
愛すれば愛するほど心のガラスを割ってしまいそうな恐怖に駆られて、立ちすくんでしまう。
愛し方に正解なんてないと頭では分かっているのに。
なのに卑しくも愛されたいと願うことをやめられない。
いくら注がれても満たされない私の心はさながら穴の空いたバケツだ。

11/25/2023, 1:55:55 PM

お題『太陽の下で』



 ――あの子が龍賀家待望のお嬢様ね。私初めて見ましたのよ。
 小さいのになんて…凛としたお顔立ちなこと。奥様に似て目がしっかり前を見据えておる。
 しかりてどことなく愛嬌もある。さぞ美しい娘に成長なさるのでしょう。
 だが……あの娘が男だったらなあ。聡明な当主様の元で安泰じゃったのになあ。
 ならばせめて、世継ぎを残して貰わねば。
 ええ。龍賀の名を世に至らしめる色濃い血を残すのです。
 君がもとで、龍賀に永久の誉れを――。

母の口癖は昔からちっとも変わらない。
村の衆のねばついた視線も、尾鰭が大量にぶら下がって広まった噂話も、本質的には同じものだ。
でも幼かった頃の私は、それがどういう意味を持つのか、その先にどんな出来事が待ち受けているのか知る由もなかった。
理解したのは、骨の中から疼く痛みとともに、背がだんだん伸びだした頃だろうか。……知らないままでいたかったけれど。

 ――娘、今日もあの爺の慰みにされていたのかい?
 可哀想に。血が出ている。こないだやられた傷もまだ癒えていないのに。
 キミの意志なんて関係ないもんなあ。アイツ、濡れていようがそうでなかろうがお構いなしだもんなあ。
 酷い爺だ。それを君に強要するこの家も、それを望むこの村も全部酷い。
 こんな村で惨たらしく生きていかねばならないキミは本当に可哀想だ。
 可哀想な娘。でも僕らだけは絶対にキミの味方だからね。
 村中から呪われるなら村中を呪ってもいいんだよ? キミはそれだけのことをされてきたのだから。
 それがキミがここで生きていく、唯一の手段なのだから――。

違う! と私は咄嗟に叫んだ。
骨の痛みを感じなくなった頃、背後から聴こえる囁き声に気づいた。
甘い慰めだった。誰にも知られてはいけない、誰とも共有出来ない深い傷を唯一分かち合える者だった。
けれども、慰めて、ともに悲しんで、それだけ。何も変わらない。
低い雲が垂れ込む忌まわしい村から出られないことには何ら変わりないのだ。

私だって、太陽の下で過ごしたい。
『友』といえる者と談笑しながらプリン・ア・ラ・モードを口の中いっぱい頬張りたい。
ハイヒールを履きカツカツと踵を鳴らしながらレンガ張りの歩道を闊歩したい。
いずれ出会う『彼』と劇的な恋に落ち、結ばれ、彼とだけの子を成したい。
女性としての当然の願いを抱いて、何が悪いのか。
……けれどもこの村も、龍賀の名前も、我が身を守る呪いでさえも、それを許さない。

だから。
誰か早くこの曇天に、風穴を開けてくれませんか。
太陽の下にすべてを晒してくれませんか。
お願いだから、助けてくれませんか。

11/24/2023, 10:55:35 AM

お題『セーター』

五年くらい前からずうっと着ているセーターを一枚だけ残している。
流石に外で着るには衿口が伸び切っているしグレーの生地も毛玉だらけだ。それに経年のシミも複数見受けられるので、今は家着として重宝している。
……といっても、断捨離のルーティーンが早い方だと自負もある俺にとって、高級でもない消耗品を五年も持ち続けていること自体が奇跡に等しいことなのだ。

「君、そのグレーのセーターだけずっと着てるよね」
衣替えの時期、同居人から指摘されたことがあった。
普段何でもポイポイ捨てる俺の捨てられなさそうにしている姿がそんなに物珍しかったのか、興味深そうに目を丸くしていた。
「ん〜〜……これ、すっごい着心地良くてさ。化繊じゃなくて綿だし」
「そうなの? 同じやつの色違いも前持ってなかった?」
「あれも悪くなかったけどこれは特別! 裏地が何かちげえのよ」
「へえ。……君が言うなら俺も買ってみようかな」
やや躊躇いの残るとっさの誤魔化しにも気づかず、誘導にまんまと乗ってくれた同居人の姿を確認し、俺はほっと胸を撫で下ろす。

特別なのは嘘じゃない。
だってこのセーターは、初めて貴方をお気に入りのバーへ誘った日に着ていたもの。「シルエットがらしくていいね」と貴方から褒められたもの。初めて抱かれた日、勢いあまった貴方から思いっきり衿口を引っ張られたもの。それから時が経ち、俺の家で貴方から同居の誘いを持ちかけられたときに着ていたもの。
たとえ貴方が覚えていなかったとしても、そんな思い出がたくさん詰まったセーターを、捨てられるわけがないんです。

11/24/2023, 12:47:41 AM

「冷たッ」
蛇口から勢いよく吹きでる水に触れるやいなや、彼女はぴくりと身を震わせて小さく叫んだ。

「え、何なに。どうしたの」
「水! 触ったら指先が凍っちゃいそうに冷たいの」
「そんなになの? えーどれどれ……うわっ!」
結果なんて見え見えだったのに、誘いに乗せられ同じように驚くと、それが嬉しかったのか彼女はくすくすと柔らかく笑った。
「でしょう? 外の水ってこんなに冷たいんだね。この歳になって公園なんて来なくなっちゃったからすっかり忘れてた」
「まあ今日、木枯らしもびゅうびゅう吹いてるし余計に、だろうねえ」
「だよねえ。……して、これからこの極寒の水でドロドロになった手を洗わねばならないのだが」

煌びやかなネイルが施された彼女の細い指先はケチャップで真っ赤になっており、芳ばしい香りも漂ってくる。
お揃いで買った具だくさんホットドッグを、先ほどまで公園のベンチに座って幸せそうに頬張っていた。……が、急転直下。彼女がうっかり手を滑らせ、ホットドッグは原型を留めずに地面へ墜落。その後始末で二人して手をどろどろにさせながらてんやわんやしていた。……というのが事の顛末だ。

「落としちゃったものはしょうがないじゃん。ほら美織、お先にどうぞ」
「ええ〜〜やだよう…………先行ってよ」
「美織のほうがどろっどろじゃん。爪先にケチャップが入ったらどうするの! ほら早く」
「うええそんなあ……むうう……ああやだな……ヒャアアア!」

裏表のない性格をそのまま表したような素っ頓狂な叫び声が白昼の公園に響きわたる。彼女は取り繕うことをすっかり忘れ、目を思いっきり見開き身体をぷるぷる震わせている。
艶やかな化粧もボディラインにフィットした服装もばっちり決まった普段の姿からは想像できないほど、あどけなく笑ったり大人気なく怒ったりするだなんて。
知り得なかった彼女の一面に触れ、驚きととほんの少しの郷愁とともに、私の心はことんと鍵が落ちて開かれた。