毛布

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6/9/2024, 1:43:00 AM

岐路って、どちらに行っても条件も結果も似たようなもので、どっちを選んでも気楽な岐路なんてのはお散歩ぐらいで、右の陽当たりのいい道か、左の木立ちが涼しそうな道か、どちらも選べるしハプニングも楽しい。

でも、気楽な岐路なんてのは無意識に選んじゃうくらいで問題にならなくて、わざわざ「岐路」と言った時には、それは自分の利害や価値観が絡んで気楽になれない「岐路」のことで、それはそもそも列車のポイントみたいに強引に進路が変えられたり、自分で選べるなら真剣に打算を張り巡らせたり、むしろ失うものの方を見積もったり、結局最後には条件だけではなくその時の「信念」(意気込み?)なんかで決めたりする。だから、そこから嫌なことが起こればしっかりぐずぐずと、いつまでも後悔もしがち。
選択されなかったもう一つの路も、結果的には嫌な面が見えない「観念」になってしまうので、現実逃避を受け容れやすい。

よく、岐路が来たら条件の悪い方を選べとか言われるけれど、それはそれがたまたまいい選択だった人か、選択にあたって自分の価値観を一度無効化できて、その選択の結果も受け容れて後悔なんてせず、しっかりと良い結末を作っていける実力者にしか言えないことだろうなと思う。
(それじゃあ、条件が悪いけれど必要な選択をした人に、人生というか社会が必ず何らかの意味で報いてくれるのか?それは期待してはいけないし、それこそ宗教じみた信念になりそう。)

自分(の価値観)にとって重要だと思う岐路がくれば、真剣に選択を迷うし、迷えば最終的にその時の信念(意気込み)なんかで決めてしまいがちで、その結果がうまく行かなかったり、嫌なことが起こるだけでもぐずぐずと後悔していくのが人間なのだと思う。
きちんと比較検討して、一度価値観もいろいろと多面的に相対化してから、その選択の結果をなるべく後悔しないのが、必要以上に重たいものを背負いこまない方法なのでしょうか。

つまりカエサルもあそこで負けてたかもしれないし、それでもサイコロ振ったのはカエサルだからですね。
(そこから大泉・鈴井みたいに、待ちかまえたように愚痴・悪態だらけになるのも、しっかり楽しいのですが。)

6/8/2024, 1:39:12 AM

世界の終わりに何をするのか考えるのって、その人の本質がいろいろと分かってしまう、大切だけどけっこう難しい問題じゃないですか。自分の価値観やセンス、もしくは欲望や抑圧してきたものがしっかり出てくるわけで。
本気で考えて、一緒に何何を食べたいとか、どこそこで過ごしたいとか、うっかり真面目に口にしたら、「あら、ふーん…(冷たい目)」とかされたりして、これはもう立ち直れませんよ。
それに最悪の場合には、いくら考えても何も思いつかないとかいう救いようのない虚無に直面するかもしれませんし。

でも、もしも世界の終わりが予測できて計画できるなら、たぶんその時世の中はもう大混乱で、無政府状態の地獄ですよね。
世界の終わりには、静かな部屋でとっておきのヴィンテージワインをあけて、しばらく一緒に静かな時間を...なんてのはたぶん無理で、「少しでも生存可能性が高くて人的災害のない安全な場所を探して避難する」の一択になるんじゃないですかね。














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しかし「世界の終わり」って、いきなり世界が消滅したり、突然地球が崩壊する状況はまずなくて、結局は自分の世界が終わる。せいぜい隕石や爆弾が降ってきてその周辺地域が一気に消滅することがありうるかどうか、そうでもなければつまり世界の終わりは個人の終焉、自分の死なんだと思う。
だからその終焉を他者と共有することはなくて、他者の方ではその世界が続いていくし、そこから先はもうその他者の終焉は自分には共有できない。
せめて各自の終焉に寄り添うことができるのかどうかだけど、自分が寄り添う状況とはつまり他者が先になっただけで、やっぱり自分には終焉を共有できず自分の「世界」は続いていく。
終焉はその状況や条件に依存した個人のもので、共有はできないものだろう。

ここで、確かに「この世界の終わりを一緒に」には心中めいたロマンはあるけれど、そういう文化的な背景から考えても、心中には「現世から一緒に消滅してこれ以上他者から干渉されなくなる」ことに意味があるのかもしれないけれど、でもそれもそこまでといえばそこまでで、行った先の地獄で一緒に過ごせるとはまず思えないし、そこから共有される世界が始まることはなく、それ以上は意味はあんまりなさそう。

「世界」は「舞台」のような場なので、社会の方は必ず誰かに、世界は何があっても、終わらずにいろいろと続いていくだろうことだけが確かな救い。

6/6/2024, 10:35:38 AM

最悪な事態が続けざまにいくつも起こることがあって、すると最初の頃に最悪だと思ったことは実は最悪なんかじゃなかったことに気づくし、結局はその場その場の状況で何かしら嫌なことを見つけて、最悪だ最悪だと言ってるだけなんだなとも分かる。

6/2/2024, 12:08:38 PM

正直というか、嘘をつかない、相手との交渉を守る、というのはかなり大切なことだと考えていて、それは一度相手が嘘をつけば、以後はそいつがいうことのウラをいちいち確認しなければならなくなって、大切な事項は文書で貰わなければ進められなくなるし、いくら仕事での付き合いとはいえこれでは面倒くさすぎるので、事情を説明して、交渉業務には不適切で相互にとってリスクになる人物としてなるべく担当を外してもらうことになる。
酷い奴になると最初から言った言わないで逃げるつもりでいるからね。
昭和の頃の船場の商人って、宴席の場で出た交渉でもきちんと納期守って取り引きを成立させていたそうで、そこで粗相があればその仲間内からもう取り引きがなくなったらしい。
その場しのぎに言ったもん勝ちでシラを切る小賢しい対応ってのは、当事者たちから厳しく排除されるし、それが今の政治家たちが死語にしてしまった「信頼」というものだよ。

6/2/2024, 12:22:18 AM

梅雨がなかなかあけなくて、もう7月になってるのに夏が先送りされているあたりのみんなの気分が好きだったりする。
そんなに夏が好きだったのかよ、とか思ってるうちに今度はクソ暑い、暑くてもうダメ、もういつまで残暑が続くんだよ、になる。

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