誰かの声が遠くで聞こえる。
今度は足音じゃない、誰かの声だ。
自分を呼んでいるような気がする。
いったい誰が?
聞き覚えのある声だ。
あ、この声は…。
おい、気付いてくれ。 
さっきからずっと呼んでるんだから。
俺だよ、俺。
お前が事故に遭った日に一度病院で会ったよな。
そう。あん時の死神。
これからそっちに行くからさ。
いよいよそん時が来たってことさ。
待ってくれよ。
なんであんたが俺んとこ来るんだよ。
俺はまだ、あんたと一緒には逝かないよ。
こんなにピンピンしてるんだから。
何かの間違いだって。
もう一度、リストを見直してくれよ。
他の誰かと間違えてるんじゃないのか?
…いや、リストってゆーか、デスノートにな、お前の名前が書いてあるんだよ。
懐かしい名前だなって思ってさ。
ほら、あの日、お前が一命を取り留めた日にさ、結構意気投合したじゃんか。
覚えてるか?
また会おうぜって言う俺に、いや、出来れば会いたくない、なんて照れちゃってさ。
照れてないよ。本心だって。
てゆーか、何だよそのデスノートって。
いつからそんなの導入したんだ?
そんなの映画かなんかの話だろ。
てゆーか誰が俺の名前書いたんだよ。
それが気になって死ねないわ。
…まあ、それは、お前の知り合いの、誰か、だわな。
このノートは、相手の顔を思い浮かべないと効力を発さないからな。
だから人違いってことは有り得ないんだ。
つまり、誰かがお前の死を願ってココにお前の名前を書いたってことだよ。
まあ、俺はお前のこと知ってたから、この名前を見てすぐに会いに来たけどな。
いやいや、勘弁してくれよ。
前回みたいに、事故で生死を彷徨ってる時にあんたが現れるのは仕方ないけど、なんでこんな健康を謳歌してる時にあんたに会わなきゃいけないの。
しかも、誰かも分からない奴の恨みを買って?
あんたの仕事、何か方向性間違えてると思うぞ。
俺はさ、誰かをあっちの世界にエスコート出来ればそれで職務全うなんだよ。
それが意気投合した奴なら仕事もやりやすい。
俺にとっちゃ、従来の候補者リストもこのデスノートも、似たようなもんなんだよ。
書いてある名前を読んで、そいつを呼んで、連れて行けばいいんだから。
ちょっと勘弁してくれよ。
俺、これからオルガに会いに行くんだからさ。
これが最後のデートだなんて悲しいよ。
そろそろプロポーズしようかと思ってたのに。
…ところでさ、さっき呼んでた俺の名前、もう一回呼んでみてくんない?
ずっと気になってて。
気になる?何がだ?
えーと、「パブロ・ピカソ」
これがお前の名前だろ?
…ん?違うの?
なんで嬉しそうに笑ってんの?
聞こえますか?
あの、遠い足音。
ゆっくりと近付いてくる、不穏な足音。
砂利を踏むような、アスファルトを擦るような。
それは着実にあなたへと向かってきている。
目的はあなたなんだ。
早く逃げた方がいい。
まだまだ遠いと高を括っていた。
まだしばらくは捕まることもないと。
だって、走れるし、闘える。
負ける気もしなかった。
だけど、それは思いのほか早く、抵抗を許さぬ強さでこの身に迫ってきていた。
まずは、足元に。そして、脳に忍び込む。
気付けば、「老い」はすぐそこに。
今でも抗ってはいるが、もうかなり侵食されている。
歩くことが少しシンドくなってきた。
芸能人の名前が思い出せない。
まずはそんなところから。
もはやそれは、遠い未来の話ではない。
恐れおののけ。
これは、何人たりとも逃れることの出来ない運命。
この世に生を受けたその時から、課せられた悲しい運命。
だから、まだそれが遠い足音であるうちに、やるべきことをやっておけ。
恐れおののきながらも、耳を塞がずにその音を聞き漏らすことなく、いつか追いつかれた時には、「待っていたよ」と受け入れて。
まさに、喉元過ぎれば何とやらで、とっても過ごしやすい秋の夜。
執筆も捗る。
良し悪しは変わらないが。
これからしばらくは、暑さを言い訳には出来なくなる。
熱中症が怖くてサボっていたウォーキングも復活させよう。
とにかく、まずは動くことを心掛けて、夏の間にやらなかったことを全部やってやる…くらいの気持ちで。
美味いもんも食おう。
綺麗な景色も見たい。
会いたい人だっている。
秋の訪れとともに、生きてることを実感するほどに。
ホント、秋ってイイ季節だ。
だけど悲しいかな、
すぐに終わってしまう。
ハロウィンを過ぎたら、クリスマスやお正月は冬真っ只中。
日々満喫しないとな。
朝が来た。
秋の訪れを肌で感じながら、さあ、仕事に向かおう。
バスに乗って、終点まで。
そこには、思い出のカレー屋さんがあって、あの頃と同じ匂いを辺りに漂わせている。
あの頃、この店のカレーライスが大好きで、毎日のように通っていたのに、いつのまにか来なくなった。
家からの距離が遠いのもあったし、近所に新しく美味しい店がいくつか出来たことも理由か。
…いや、一番の理由は、あの娘と別れたショックだったのかもしれない。
しばらく出歩けない日々が続き、食事のために終点までバスに乗る気力が無くなったというか。
二人で食べに来たことはない。
彼女がそんなにカレー好きでもなかったし、心のどこかで、この店は自分のお気に入りとしてしまっておきたかった。
だから、彼女との思い出が邪魔をしていたというわけではない。
店の扉を開けると、懐かしい光景が広がっていた。
あの、一番奥の窓際の席、いつも自分が座っていた席。
今日も空いている。
まるで自分待っていてくれたかのように。
…まあ、そんな訳はないのだが、引き込まれるようにその席へと向かう。
腰を下ろすと、そこからはもっと懐かしい景色が見えた。
この景色の中で、大好きなカレーライスを食べている自分がいた、あの頃。
あの頃は還らないが、自分はこの場所に帰ってきた。
何かを失ったりもしたが、まだここに、大好きなものがある。
いつか、この場所を失う日だって来るかもしれないが、きっと自分の旅は続く。
落ち込む日々もあるだろうが、立ち直れる時間や場所や好きなものがある限り、何度だって立ち向かうのだろう。
この旅を続けるために。
懐かしいカレーの匂い。
テーブルの上に、あの頃大好きだったカレーライスが運ばれてくる。
あの娘のことも大好きだったけど、彼女は僕の旅の途中で、あのバスを降りていった。
終点まで一緒にいられることはなかった。
カレーライスを口に運ぶ。
…やっぱり美味い!
これを味わうためなら、バスを終点まで乗り続けることも苦じゃないな、と素直に思えた。
僕の旅のキャラバンが、ゆっくりと前進を始めた。
ラクダの背の荷物に、この店のカレーライスを旅のお供として追加して。
実家の押し入れにあった古いアルバムに、私が生まれる前に亡くなった祖父の写真を見つけた。
もちろんモノクロ。
当然私は、会ったこともない。
だから、その存在をリアルに感じることは出来ない。
でも、その存在があったからこそ、自分はこの世界に生まれ落ちることが出来たわけであり、色の無いモノクロで表現されたその人が、自分にとっていかに大切な人であったかを教えてくれる。
その人が、今の自分と同じように、家族に囲まれ、父親として君臨していた時代があったのだろう。
その時代の彼らは、決して白黒ではなかった。
今の私達と同じように、様々な色を身にまとい、様々な色に囲まれて生きていたはずだ。
でも、今を生きる私は、その姿を目にすることが出来ない。
モノクロの世界の人達。
もう決して、会うことも出来ない。
最近は、AIの技術で、白黒写真をカラー化することが出来るとか。
でもそれは、AIが推定した彩色であって、本物ではない。
そしてその推定が正しいかどうかの判断も出来ない。
それならば、その推定は自分の想像の中で行ってもいいんじゃないだろうか。
モノクロの写真に色彩を足してゆく。
そして、今は亡き祖父に当時の面影を蘇らせる。
未来はこれからやって来るが、過去はもう二度と訪れない。
そう考えると、実家に保管されたモノクロの写真達は、あの当時を記録する唯一の物証となる。
そして、それがモノクロであることもまた、その当時を表現するのにふさわしい配色となるのだろう。
まあ、そもそもモノクロームとは、単色を表す言葉であって、白黒写真は含まれないらしいが。
それはさておき、モノクロ写真、味があって好きだ。
色彩が足りない分、言葉で説明したくなるきらいがあるが。
本来は、静かに、アーティスティックに眺めるものなのかもしれない。