実家の押し入れにあった古いアルバムに、私が生まれる前に亡くなった祖父の写真を見つけた。
もちろんモノクロ。
当然私は、会ったこともない。
だから、その存在をリアルに感じることは出来ない。
でも、その存在があったからこそ、自分はこの世界に生まれ落ちることが出来たわけであり、色の無いモノクロで表現されたその人が、自分にとっていかに大切な人であったかを教えてくれる。
その人が、今の自分と同じように、家族に囲まれ、父親として君臨していた時代があったのだろう。
その時代の彼らは、決して白黒ではなかった。
今の私達と同じように、様々な色を身にまとい、様々な色に囲まれて生きていたはずだ。
でも、今を生きる私は、その姿を目にすることが出来ない。
モノクロの世界の人達。
もう決して、会うことも出来ない。
最近は、AIの技術で、白黒写真をカラー化することが出来るとか。
でもそれは、AIが推定した彩色であって、本物ではない。
そしてその推定が正しいかどうかの判断も出来ない。
それならば、その推定は自分の想像の中で行ってもいいんじゃないだろうか。
モノクロの写真に色彩を足してゆく。
そして、今は亡き祖父に当時の面影を蘇らせる。
未来はこれからやって来るが、過去はもう二度と訪れない。
そう考えると、実家に保管されたモノクロの写真達は、あの当時を記録する唯一の物証となる。
そして、それがモノクロであることもまた、その当時を表現するのにふさわしい配色となるのだろう。
まあ、そもそもモノクロームとは、単色を表す言葉であって、白黒写真は含まれないらしいが。
それはさておき、モノクロ写真、味があって好きだ。
色彩が足りない分、言葉で説明したくなるきらいがあるが。
本来は、静かに、アーティスティックに眺めるものなのかもしれない。
9/29/2025, 10:14:23 PM