空は青く、海も青く、そして地球も青い。
そんな星に住む僕達は、きっと青に包まれて生きているんだ。
心がブルーに染まるのも必然だろう。
悲しみや切なさ。
失くすことなんか出来ない。
心に吹き荒れる青い風を止めることも。
だけど、怒りに染められた真っ赤な風よりは心地良い。
この星が、いつまでも青く、美しい存在でありますように。
いろんな悩みを抱えて、ここから逃げ出したいと思った。
ここから遠く離れれば、何かが変わると思った。
でも、人の営みはあらゆる場所で行われていて、そこには形は違えど様々な悩みが存在する。
悩まなくていい場所なんて無いんだ。
「人のいないところ…ジャングルとか砂漠とか、いっそのこと宇宙まで行っちゃえば…」
「そんなの、生きていけるか悩むよ。孤独になりたいわけじゃない」
「今は、どれだけ悩んだって、生きてはいけるんだろ」
「そりゃそうだけど、何もかも捨てて逃げ出したくなる時って、あるだろ」
「俺は…あんまり無いかな。ここから逃げ出したら、お前と過ごす楽しいひとときを失うわけだし」
「ほう…言ってくれるね。そんなに俺との会話を楽しんでくれてるんだ」
「まあな、だから、お前と一緒に遠くへ行くんだったら悪くないかな。…どうだ、温泉でも行かないか?」
「男二人で?変な勘違いされそうで怖い」
「アホか。遠く離れて勘違いされたから何だってんだよ。そーゆーこと気にしないために遠くに行くんだろ」
「…なるほど。遠くへ行っても、俺達の拠点はここってことか」
「そ。遠くへ行きたい、なんてのはさ、今いる場所に慣れ親しんだから言えるセリフだよ。そりゃ嫌なこともあるけど、遠くに行ったところで今より幸せになれるかは分かんないんだから」
「お前…大人だな」
「同い年のおっさんが何言ってんだよ。で?温泉行く?行かない?」
「いやーでも、男二人で行くのはやっぱりちょっと…」
「分かったって。じゃあ、ディズニーランドにするか?」
「…スーパー銭湯くらいにしとこうぜ」
「遠くに行きたいんじゃなかったのかよ…」
「なんとなく、クリスタル」
「ダーククリスタル」
「クリスタルキング」
この辺を知ってる人達とは、話が合いそう。
とゆーか、世代が窺われる。
クリスタルは、なんかキラキラした水晶みたいなモノ?
あんまり縁がないな。
割れ物恐怖症かもしんない。
小学生の頃、職員室で先生に「このフラスコを教室に持って行って」と頼まれて移動中、階段の手前で「俺、ここで転んで割っちゃうんじゃないかな?」とか考えながら階段を上ったら、見事に転んで粉々に割った。
言霊ってやつだ。
それからは、ガラスのハートならぬ、クリスタルハート❤でやらせてもらってる私です。
夕方、妻がパートから帰ってきて、しばらくするとキッチンから漂ってくるトウモロコシの匂い。
何だかワクワクする。
夏の風物詩じゃないだろうか、トウモロコシ。
美味いしね、あれ。
トウモロコシ嫌いな人なんていないんじゃないか?って思ってたら、自分の娘がトウモロコシ苦手な人だった。
まあ、おかげで彼女の分も私がいただく。
茹で上がり、テーブルに置かれ、漂う夏の匂い。
夏祭りの夜を思い出す、と言いたいところだが、屋台のトウモロコシは、茹でるより焼く方がメジャーだよな。
焼きトウモロコシ。あれもまた美味い。
でも、久しく夏祭りなんて行ってないな。
あの雰囲気は好きなんだけど、いかんせん最近の夏は暑すぎて。
行ったとしても、かき氷食べて終わっちゃいそう。
まあそれも、夏の風物詩だったりするが。
その季節季節に合うものがある。
特に食材や料理には旬ってものがあるから、必然的に一番合う季節が限定される。
夏なら、トウモロコシ、かき氷、スイカ、そうめん、冷やし中華、等々。
まあ、一年中食べたいものだらけだが。
でも、夏の匂い。
これを感じるための旬ってやつだろう。
幼い頃の夏特有の空気感、好きだったな。
故郷は雷の多い地域で、夕立ちとともに遠く雷鳴を聞いていた、実家の縁側。
世界に自分一人になったような空想を働かせて、静かに暗雲立ち込める空を見ていた。
何か、恐ろしいモノが迫りくる雰囲気。
だけど、安全な場所に守られている感覚。
少年時代の夏休み。
…そんな情緒はどこ行った?
縁側にはエアコンの風が行き届かなくて、長時間はいられない。
夕立ちというよりゲリラ豪雨。
情緒が…いや、自分が年を取ったということか。
なんせ、五十何度目かの夏。
もう、夏の匂いを嗅ぎすぎて、鼻が麻痺してるんだ。
今の私をあの頃に引き戻してくれるのは、夕刻のトウモロコシの匂いくらいのもんだしな。
そよ風がカーテンを揺らす。
その向こうに、会いたかった君がいる。
おぼろげな記憶を頼りに、ここまで来た。
本当だろうか。
風に揺れるカーテンはボロボロだ。
その病室も荒れ果て、病院自体が廃虚と化している。
こんなところに君が?
僕の憧れだった君がいるというのか。
僕はゆっくりと、揺れるカーテンの端をつかんで、そっと横にスライドさせた。
白いベッドに、横たわる君。
確かに君だった。
だけどそれは、緻密に描かれた、絵だった。
部屋の片隅に大きなキャンバスが置かれ、そこに、天使のように眠る君の姿が描かれていた。
これは、僕が描いたもの。
かつて、この病院に僕が入院していた頃に。
愛しかった君を想い、毎晩のようにベッドに腰掛け、筆を執り続けた。
いつか退院して、君にまた出会うことを夢見て。
願いは叶わず、こんなに時は過ぎた。
そして僕は、この絵の存在すら忘れていた。
退院して、君ではない誰かと家庭を持ち、僕の空想でしかなかった君にサヨナラを告げて。
いくつも失いまた一人になり、君を探してここまで来た。
おぼろげな記憶を頼りに。
薄汚れたベッドに座り、目覚めることのない君を見つめる。
もう、一緒になることを願うこともない。
ただ、この場所で君と過ごした日々を思い出したかっただけ。
病に苦しんでいた僕の心の糧となり、僕の行く末を導いてくれた君のことを。
白いカーテンの向こうから、君の声が聞こえる。
「さあ、そろそろいきましょうか」
僕は、ベッドから立ち上がり、キャンバスを抱えてカーテンを開ける。
「見つけたよ。君の絵」
「持って行くの?」
「うん。本当は、ここに入院していた頃に、そのつもりだったんだけど」
「そっか。幸せな時間が増えて良かったね」
「そうだね。もう、思い残すことはないよ」
朽ち果てた病室の片隅でカーテンが揺れていた。
もう、その部屋には誰もいない。