その風が吹くとき、きっと誰かが君を応援してる。
だから今だけは、不安を忘れて一歩踏み出そう。
その一歩は宙を舞うように大きなものとなり、
必ず目標へと近づく。
途中で失敗したって、その風は吹き続けるんだ。
君を想う人がいる限り。
追い風に乗って、この海へ漕ぎ出そう。
振り返れば向かい風。
だけどきっとそれは優しく温かい。
追い風に乗って、この空へ飛び立とう。
うまく飛べなくたって、
受け止めてくれる誰かがきっとそこにいるから。
追い風はきっと、君の背中を優しく押してくれる。
だから今日も、風に吹かれて大空を見上げよう。
青い空に流れゆく白い雲を追いかけて、
次の一歩を踏み出すために。
あの頃、君と一緒に映画館で観た映画を、家のリビングで、娘達と観る。
君とは違う人と結婚して、子供が生まれて、家族が出来た。
今頃どうしてるかな。この映画のこと、覚えてるかな。
エンディングは悲しい展開。
ハッピーエンドが良かったのに。
映画楽しかったね、と話したかったのに。
子供達も食い入るように見てた、エンディングシーン。
これはこれで、心に残る映画になったのかな。
何故だか少しだけ、心がじわりと滲んでゆく。
君と観た時は、封切りされたばかりの作品だったけど、もはや色褪せて、たくさんの作品に埋もれていた。
思い出も埋もれてゆく。
その中から時折、引っ張り出しては、あの頃とは違う暮らしの中で紐解いてゆく。
君と一緒に過ごした時代。
もう還らない、遠い存在。
ハッピーエンドにはならなくて、悲しい展開を迎えたけど、今はこうしてこのリビングで、感動を共有しながら過ごせる家族がいる。
そんな、一人想い。
エンドロールが流れるスクリーンの向こうに、確かにあの頃の自分がいた。
君と一緒にシートに並んで。
幸せだったんだと、思う。
「悲しかったけど、イイ映画だったね」
娘達が感想を言い合ってる。
そーだな。悲しいからって、ダメなわけじゃない。
それまでの過程や出来事が、積み重なって作品に彩りを与えてゆく。
「買い物にでも行こうか」
リビングで声を掛けると、三人のはしゃいだ声が返ってくる。
「いいねー、欲しかった本があるんだ」
「帰ってきたら、また違う映画、観る?」
「今日の夕飯、何がいい?今、冷蔵庫空っぽだよ」
この作品のエンディングは、幸せに包まれたまま、迎えられますように。
のんびりと、リビングでくつろぐ時間。
窓の外に広がる冬晴れの空は魅力的だが、騙されちゃいけない、外は凍えるような寒さだ。
あったかい部屋の中で、お気に入りの映画でも観よう。
明日から仕事始め。
当たり前の日々が戻ってくる。
いつもより長い休みがあって、ついに最後の日が訪れた。
もうちょっと、もうちょっとだけ、この至福の時間を味わいたい。
「夜はお鍋でいいかな」
妻からの提案。異論はないね。
「じゃあ、買い物に行きたいから車出してくれる?」
この寒空の下、出掛けるって?
「帰ってきたら、あったかいお鍋が食べられるよ」
それは…魅力的な交渉条件だけど、騙されちゃいけない、外は凍えるような寒さだよ。
「冬が寒いのは当たり前。だからお鍋が美味しいの」
言いくるめられて、車を出す。
正月も明けて、街はすでに当たり前を取り戻していた。
「人出が多いね。皆、寒くても動き始めてる」
「人間は、冬眠という素晴らしい習性を身に付けるべきだよ。無駄なエネルギーを使わずに、あったかいベッドの中でぬくぬくと…」
「そんな自堕落なものじゃないと思うよ。動物達の冬眠は」
冬晴れの空に騙されて、人は冬ごもりから抜け出してしまう。
あったかいリビングは心地良くて、そこで観る映画達は心に染みるのに、人は着膨れてこんな場所に集まってくる。
「明日から仕事か。また早朝の寒さに震えて出勤するんだな」
「当たり前の日常が始まるね。冬眠する動物達と違って、この季節も満喫するのが人間だからね」
「満喫?出来るの、そんなの」
「今夜はお鍋だよ」
夜、明日の仕事に備えて、数日振りのスーツや鞄の中身をチェックする。
食卓の上には、白い湯気を上げる鍋が鎮座して、その湯気の向こうに、妻の笑顔が揺れる。
鍋をつついて、はんぺんを一口。
「うまっ!」
冬晴れの空の下に出向いたおかげで、天晴れな夕食にありつくことが出来た。
これが、冬を満喫するということか。
…確かに、冬眠してたら味わえないな。
幸せの定義なんてない。
あえて言うなら、幸せだと思い込める能天気さ。
これがあるかないか。
自分には…ないかな。
でも、能天気でいようと試行錯誤する前向きさはあると思ってる。
ややこしいけど、頑張るに値するもんだと信じてるってこと。
どんな劣悪な環境にいても、自分は幸せなんだと感じられる。
この時代には非常に難しいことだと思うけど、時折ふと思うのは、「生きてるだけで丸儲け」ってのはまんざら詭弁でもないと。
楽しいこともあって、辛いこともあって、悲しいこともあって、ムカつくこともあって。
こんなにいろんな経験が出来ることが、生きてるってことな訳で。
それをすべてひっくるめて、「幸せ」と呼べるような人間になりたい。
…と思いながら、早五十余年。
日の出を待った。
心が苦しくて、ともすれば潰れそうになるのを堪えて。
この暗闇の時間を、一人きりで過ごすことの苦しみを、一人きりであるが故に、誰とも分かち合えないのが辛い。
そんな夜。
でも、朝はやって来る。
日の出とともに、たくさんの人々が動き出す気配を感じる。
実際には、まだ夜も明けぬうちから活動している人達はいるはずだが、この暗闇はその物音すら隠してしまう。
だから、たった一人。生きることは、一人に慣れること。
痛いほど分かっているはずなのに、日が昇る瞬間に期待してしまう。
昨日、別れを告げた太陽が、また会いに来てくれる夜明け。
一人であることに変わりはなくても、この繰り返しがあることが生きている証になる。
だから、日の出を待った。
心が苦しくて、ともすれば潰れそうになるのを堪えて。
昨日失った幸せの一欠片を、取り戻せるような気がして。
愚かなのは、新しい一日が始まれば、まだやれそうな気持ちを持ってしまうこと。
何も変わらないのに、何かが変わるんじゃないかと期待してしまうこと。
その愚かさのおかげで、今日も二本の足で立つ。
きっとうまくいく、きっとうまくいく、と心に言い聞かせて。
日の出を待った。
水平線の向こうに、昨日別れを告げた太陽が姿を見せる。
ありがとう。今日も生きていけるんだね。
昨日と同じ一日を繰り返すだけだとしても、その積み重ねがきっとかけがえのない人生になる。
だってそれは、自分にしか経験できないものだから。
日の出とともに、僕も動き出す。