今年の抱負、というか、自分に対する訓示。
生きてれば、嫌なことやムカつくこと、悲しいことは起こる。
その度に、心を揺らして擦り減らせるのは、自分にとって良くない。
無駄が多すぎる。
脳みそから抜き出して、いったん部屋の隅の引き出しにでも片してしまおう。
処分してしまいたいけど、これからも生きていくんならそうもいかないこともある。
それについて、きっちり対応しなきゃいけない時が来るかもしれない。
だけど、その時が来るまでは考えるだけ無駄な話だ。
自分を擦り減らすだけ。
そんなもんを片付ける引き出しを用意しとこう。
思考の外側に。
出来るかどうかはやってみないと分からない。
だけど幸い、気をそらすための方法はいくらでもあるからね。
家族と話したり、映画を見たり、音楽を聴いたり、ゲームをやったり。
自分の人生にとって、今悩んでも仕方ないことより、こっちの方が大切なんだって思い込めれば完璧。
どれだけ重大な悩みだって、今動いても何も出来ない時は、忘れて楽しく生きてる方が幸せだしね。
あとは、そのトラブルに対して行動が取れる時が来たら、がむしゃらに頑張るだけ。
そして、頑張ってもどうにもならないんだと気付いたら、その時はまた、放置してしまっていいと思う。
とゆーか、それしか出来ないんだから。
そのうち時間が何とかしてくれる。
何とかしてくれなくても、行き着く先は皆同じだし、そこに辿り着くまでは、精一杯楽しんだもん勝ちだと思う。
一度しかない人生だから。
まずは、新年明けましておめでとうございます。
まあ、年が明けたところで何がめでたいのやら、ですが、昨年の今日のような悲しい出来事が起こりませんように。
それだけは切に願う。
きっと今年も、いくつかの困難に出会ったりもするだろう。
生きていて良かったのか?なんて思う瞬間もあるかもしれない。
でも、生きていたからこそ、その困難と向き合って、それを乗り越えた時の喜びを味わうことが出来る。
だから、いつだって答えは、「生きていて良かった」だ。
新年を迎えて、いや、新年を迎えられたことに、ただただ感謝。
こんな気持ちを感じる節目として、一年という区切りがあるのかもしれないな。
昨日と今日では何も変わらないけど、新年明けたところで別にめでたいこともないけど、自分の気持ちの上で、ここまで生きていることを実感し、感謝して前へ進むために。
生きていて良かった、と。
今日もこの窓の向こうでは、誰かが恐怖に怯え、絶望の涙を流している。
世界とはそういう場所。
この部屋を出てはいけない。
安全地帯に閉じこもるんだ。
温かい空調の効いた我が家で、今日も明日も明後日も、歪んだ外の世界との温度差を感じている。
こんな世界で、誰を救いに行くの。
旅立ったあなたの心を、誰が温めてくれるの。
閉ざされたドアの前で、「ひとりじゃないよ」と話しかける。
人間は誰しもがひとりなのに。
たったひとりで、恐怖に怯え、絶望の涙を流すものなのに。
世界とは、そういう場所なんだって、メディアがずっと伝えてくれる。
温かい毛布と、心を込めた料理だけで、人は幸せになれるのに、それすらも届かない人達に、世界は命の糧を与えてはくれない。
「だから私が行くんだよ」
あなたはそう言って、重いリュックを背負いながら、閉ざされた心のドアを開けに行く。
愚かな人間だけの行為。
人が人を殺し、人が人を癒やす。
世界は今日も変わらず、歪んだ現状を晒し、それをマスメディアが自慢気に披露する。
残された道は、ひとりひとりが未来へ目を向けて生きること。
救う人の誘いを受けて、閉ざされた心のドアを開け、不安に満ちた世界へと飛び出すことを決めた人々へ。
良いお年を。
まさに、このアプリへの投稿を続けた一年間。
筋トレもエアロバイクも数日と続かない私が、これだけは日々しっかりと続けることが出来た。
もう、誰かに褒めてもらいたいくらい。
時には、仕事中にネタが浮かんじゃってこっそりスマホをイジったり、逆にネタが浮かばなくて悶々と眠れない夜を過ごしたり…なんてことはないか、考えてると気付いたら寝てたな。
とにかく、日々の生活に大きな影響を与えてくれた。
物語を考えるって、楽しくて時に苦しい。
苦しくても、そこから何かを生み出せた時はさらに嬉しくなる。
生み出したところで、健康になるわけでも裕福になるわけでもないのに、ただただ嬉しくなる。
この世界に、自分だけの作品を生み出せたという喜び。
これは、人間だけが為せる業。
ここ最近、リブートされた「猿の惑星」シリーズを観ているからか、なおさら「人間であることに誇りを持とう」なんて意識に囚われている。
いや、映画の中では、猿の方が賢い設定なんだけど。
人間の愚かさを垣間見せられて、その想いを強くしたというか。
…と、「猿の惑星」シリーズを振り返るお題ではなかったな。
この1年間を振り返ると、昨年このお題で書いた内容よりも、もう少しポジティブに頑張れた年だった気がする。
まあ、どんな年になるかなんて、終わってみなきゃ分からないんだから、その時その時を頑張って、楽しんでいられりゃそれでいいや。
…と、来年の今頃も気楽に考えていられますように。
ゆずに続き、みかん。
去年の今日は、なんか幻想的なものを書こうとして失敗した感じ。
無理やり話を繋げた感が凄い。
みかんが転がる先の未来って…我ながら意味が分からない。
まあそれはさておき、みかんにも大した思い入れはない。
ゆずよりもっと大衆的な気がする。
改めて、みかんについて考えてみると、皮に包まれ、いくつもの房に分かれていて、そのひとつひとつが、ちょうど一口サイズだったりして、「えっ?人間に食べられるために存在してるの?」などと、勘ぐってしまう。
いや、食べられるために存在してるには違いないんだが…最初からその意図で作られた?…誰が?とか、有神論にまで及ぶ思考展開となりそうな果物。
ビタミンとかミネラルも豊富だし。
そんな素晴らしい果物を、心のどこかで、おばあちゃんに似合う食べ物、なんて卑下している自分がいた。
これは戒めないといかん。
言い訳をするなら、冬のこたつの上に山になって置かれている大衆的でありふれた果物、というイメージから来るものだと思うが、そのイメージは、冬の温かく幸せな風物詩、とも言える。
家族皆でこたつを囲んで、テーブルの真ん中に乗ったみかんを手を伸ばして取り、それぞれが自分の手元でムキムキして、一口頬張った時の甘酸っぱさ。
至福だね。冬はこれだね。
…今回も、迷走している。
まったく何が言いたいのか、まとまらない。
去年の浸りきった自己陶酔作品の方が良かったかも。
一年経っても成長の跡が見えないとは、ホント、私はまだまだ未完な人間なんだな。
…ダジャレで終わらせちゃうあたりも。