ありがとうと、さよなら。
もう会えない君に、伝えたい言葉はそれだけ。
一緒に暮らした日々にたくさん話をしたから、もう他に何も言うことはない。
ありがとうと、さよなら。
このふたつだけは、うまく伝えられた自信がない。
ありがとうは照れくさくて、さよならは遠く思えて。
でも、言わなければならない時は、思いのほか近くにあった。
ありがとう。
僕が自分らしく生きられたのは、君が僕らしさを教えてくれたから。
自分らしく生きることに、何の疑問も持たなくていいと教えてくれたから。
過ぎた日を想う今、僕には君が必要だったんだと気付く。
さよなら。
君を失うはずはなかったのに、何ひとつ間違ってはいなかったのに、君はその言葉を僕に告げた。
どうして?としか言えなかった僕に、ごめんね、とだけ残して。
君からのさよならに、ちゃんと答えられなかったな。
過ぎた日を想う時、そんな後悔ばかりが心を満たす。
ありがとうと、さよなら。
伝えたい言葉は、それだけ。
もう、伝えられる日はきっと来ないけど、この言葉を伝えたいと思えるようになったことが、僕が前を向いて歩き出そうとしている証なんだ。
過ぎた日への想いを乗り越えて。
雨の日はプラネタリウム。
現実の空には見えない星達を、シートに身を沈めてひとつひとつ数える。
そのひとつひとつが何らかの姿を形作り、太古の昔より、人々はそこに宇宙の物語を読み解いてきた。
それは、星達が織りなすデザインアート。
どこかの席の子供が泣き出した。
現実に引き戻される。
「ケンタウルス座は、ギリシャ神話に登場する上半身が人間で、下半身が馬の姿をしたケンタウルスをモチーフにした星座です」
美しい声音のナレーションが降ってきた。
照明が消え、一瞬の暗闇。
星達の輝きも消え失せる瞬間。
この街の夜空のように。雨の日の夜空のように。
ケンタウロスの咆哮が遠く聞こえ、雨は激しさを増す。
窓の外には、暗く立ち込める雲。
まだ、帰れそうにない。
館内のベンチに腰を下ろし、目を閉じて、まぶたの裏に先ほどの星達を思い描いた。
何かが問いかけてくる。
「ほんとうのさいわいは、いったいなんだろう」
そんなこと、分からない。
考えたって、分からない。
今はただ、この雨が止んでくれることを、心から願う。
「魚座、見つけられるかな」
さっき、泣いていた子供だろうか。
母親の声が答える。
「この雨じゃね。夜になって雨が上がったら、見えるかもね」
「秋の星座だって言ってたよ。僕の誕生日の星座なんでしょ?」
「そうだね。家に帰って夕御飯を食べたら、ベランダに出て探してみようか」
「うん!今日の夕御飯、何?」
奇遇だね。僕も同じ魚座なんだ。
以前ネットで調べたら、魚座は、常に空想と現実を行き来する精神を表す「リボンで結ばれた魚」がシンボルマークになっている、とあった。
…空想、か。
空を想う、そんな時間を過ごした後で、人々は思い思いに家路を辿る。
そこに「さいわい」はあるのだろうか。
ベンチで目を開けると、自分の周りには誰もいない。
魚座の話をしていた親子の姿もない。
さっきまで声が聞こえていたのに。
雨は上がったようだ。僕ももう帰ろう。
待つ人のいない部屋だけど、そこには僕の物語がある。
「さいわい」を見つけられるのはまだ先かもしれないけど、きっと、願い星は今夜も夜空に輝くだろう。
「僕もう、あんな大きな暗の中だってこわくない」
たぶん、一生言わないだろうセリフ。
「Shall we ダンス?」だったら、映画のタイトルとして言ったことあるかな。
よく映画なんかで男女が華麗に踊るシーンとかあるけど、よくもまあ恥ずかしげもなく…とか思ってしまう。
いやだって、男の方からは下心が見え隠れしてるし、女の方からは「私キレイでしょ?」オーラが…。
いやまあ偏見でしかないことは分かってるけど、そーゆーシーンは飛ばして見ちゃうな。
あんまりストーリーに関係なかったりするし。
とか言って、中学生の頃のオクラホマミキサー。
ドキドキとワクワクだったピュアな少年はいずこへ。
当時、女の子と手をつなげるチャンスなんてそうはないからね。
つないでみたら同じ皮膚でしかないのに、
でも、少し柔らかくて、スベスベしてたかな。
…これ以上言うと、通報案件になりそーなので自粛。
相変わらずの支離滅裂文章だが、思うのは、この「お題」はホント絶妙なラインを突いてくるなってこと。
物語向きだったりエッセイ向きだったり、口語だったり文語だったり、名詞だったり動詞だったり形容詞だったり。
365種類の言葉を生み出すのは、そんなに容易なことじゃないと思う。
AIの為せる業なのだろうか。
そんなことも気になりつつ、お題にしっかり取り組もうとする真面目な私と、どなたか、一緒に踊りませんか?
Shall we ダンス?
あ、一生言わないつもりのセリフを言ってしまった。
あ…通報はしないで。
我が家の車は23年目。走行距離約12万km。
よく走ってくれてるもんだ。
でも、今回の車検前点検で、驚きの見積金額を告げられた。
いろんなところにガタが来てて、修理しないと車検が通らないし、そろそろ交換部品が底を突くかも、とも言われた。
いよいよか。お別れの時が近付いてきた。
あんまり車に頓着がなく、走ってくれるだけで御の字だったりして、エンジンの馬力とか排気量とか、どーゆー仕組みで車が走っているのかすら、よく分かってない。
でも、車で走ることは好き。レースゲームも大好き。
自分を乗せて走ってくれたらそれでいい。
そんなだから、ここまで乗ってこれたのかもしれない。
だけど、限界は来る。
で、車の買い替えを考え始めた。
そしたらまず、最近の車がびっくりするほど高性能になっていることを知る。
我が家の車は、暗くなったら手動でヘッドライトを点ける。センサーなんかない。
夜はまだしも、トンネルに入った時なんて、周りの車が瞬時にライト点灯するのに、我が家の車だけワンテンポ遅れてライトが点く。いや、点ける。
なんだかちょっと、切ない気持ちになる。
いや、こんなの最近の話じゃないんだろうな。
何を当たり前のことを…てな話かもしれない。
もっと、驚くような最新の機能があるんだろう。
なんせ20年以上が過ぎている。
そのブランクを埋めるために、次の車を探し始めた。
そして、ワクワクし始めた。
新しい相棒に巡り会えたら、自分の生活はどう変わるんだろう。
それと同時に、20年以上付き合ってきた相棒とのお別れ。
これもまた大きい。
確か以前、生まれた時から住んでいた実家が取り壊される時の切なさをここに書いた。
元来がモノに思い入れる性格で、車に頓着はないと書いたが、これは性能やブランドに対するもので、これまで自分達をいろんなところに連れて行ってくれて、たくさんの思い出とともにある今の車への愛情だってハンパない。
そんな諸々があって、これから次の車検までの間には、私なりに思い揺さぶられる出会いと別れがある予定。
まあ、そんなエモいイベントなんかより、ローンが増えることの方がよっぽど暮らしに影響する訳だが。
我が家で起きた奇跡。
娘がまだ小学生の頃だったか、ショッピングモールの雑貨屋で、当時好きだった「おそ松さん」のフィギュア入りのお菓子を買いたいと言い出した。
それは箱に入れられていて、ひとつの箱に一人のキャラクターが入っているが、六つ子の誰が出るかは開けてみるまで分からないというシロモノ。
勘のイイ方はもうすでに気付かれていることと思うが、そう、そのお菓子を無造作に六つ選び、家に帰ってひとつずつ開けてみると、六つ子全員が揃ったという…まあ、改めて書くとそんなに大したことでもないんだが、いや、でも、これを達成できる確率はどれくらいだろう。
お店に箱は数十個あった。
その中から六個だけランダムに選んだ。
箱の外にヒントはない。
…数学は苦手です。とゆーか、確率計算を披露して、頭っから間違ってたら赤っ恥だ。やめとこう。
ただただ、我が家にとっては奇跡だった。
子供も大喜びだったし、六人全員を並べて飾るのは感慨深いものがあった。
ほんの少しだけ、我が子はツキに恵まれてるんじゃないか、今後も万事において上手くいくんじゃないか、なんて親バカを発動したことも否めない。
その後、娘が取り立てて運が良かった訳でもない。
いや、可哀想になるくらいツイてないこともあったような…まあ、それが人生ってやつだな。
あの奇跡をもう一度とは思わないが、あの夜の興奮は今思い出しても特別だった。
人は、どんな些細なことでも、暮らしの中に小さな奇跡を生み出して、それを心の糧にすることだって出来るんだと教えてくれた。
そして、おそ松さん、第4期制作決定おめでとう!