Ryu

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9/11/2024, 12:26:35 PM

…あれ?
壁に貼られたカレンダーの、9月25日に赤丸が。
記憶にない。
俺は一人暮らし。
出会いの記念日をこっそりマークするような、可愛い彼女もいない。
なら、なんでこの日に赤丸が?
しばらく考えたが、答えは出なかった。
仕事に行く。

…あれ?
職場へ向かう電車の中で、仕事のスケジュールを確認しようとスマホのカレンダーを開くと、9月25日に予定が登録されている。
登録内容は、「HappyBirthday!」
誰の誕生日だ? 誰が俺のスマホに?
まったく分からない。
しばらく考えたが、答えは出なかった。
職場に到着する。

「おはよう」
同僚と挨拶して、自分の席へ。
…ああ、やっぱり。
席の卓上カレンダーにも、赤丸。
そして、書き込まれていたのは、「美咲の誕生日」
「美咲って…誰だ?」
思わず漏れた俺の言葉が聞こえたのか、隣の席の同僚が俺の席を覗き込む。
「…何それ? 2034年のカレンダーなんて、自分で作ったの?」

妄想という名の推測をする。
これは、時空の歪みか何かが為せる技で、まあそんなことはどーでもいいが、つまり10年後の俺には美咲という名の彼女がいて、その人の誕生日が今月来るってことか。
いや、もしかしたら、もうその頃の俺はすでに結婚していて、10年後の今月25日に娘が産まれ、美咲という名を付けるのかも。
妄想は膨らむが、いつの間にかカレンダーの印やメモは消え、2024年に戻っていた。

10年後。
俺には、娘はおろか、彼女もいない。
相変わらずの独り身で、孤独な日々を送っている。
でも俺は今、幸せだ。
何故なら、最高の推しがいるから。
いろは坂46の美咲だ。
今月の彼女の誕生日には、彼女がセンターで歌う新曲が発売される。

その名も、「オチが弱くてゴメンなさい」
…売れないだろうな。

9/10/2024, 12:53:46 PM

娘が幼い頃、知り合いから貰ったぬいぐるみがお気に入りだった。
その名も「ニャニイ」ちゃん。
いや、娘がアンパンマンの映画から拝借して付けた名前だが。
クタクタのぬいぐるみで、持ち運びやすいのもあってか、どこへ行くにも一緒だった。

公園に遊びに行く時も、家族で旅行に行く時も、必ず持っていったから、写真にはたくさん残っている。
時が経つにつれ、薄汚れていったのも見て取れて、それだけ愛されていたんだなと伝わってくる。
そんなニャニイちゃんは、ある日、電車のシートに置き忘れられて、サヨナラとなった。
もちろん、問い合わせて探してもらったが、見つからず。

娘はグズって泣いたが、その反応は親が思っていたほどではなかった。
興味が次のグッズに移るのは早く、親の方も元気付けようと奮発したおかげか、それほど引きずることもなく、ニャニイちゃんは我が家から姿を消した。

むしろ、ショックが大きかったのは親の方、いや、父親の私の方だったかもしれない。
なんだか、家族の一人を失ったような…いや、そこまではなくとも、娘の友達が行方不明になってしまったような、なんとか探し出してあげたい気持ち。
一人、電車のシートに取り残され、どこまで連れて行かれたのか。
汚いぬいぐるみだと処分されたか、どこかにひっそりと保管されているのか。

何も分からない。
喪失感だけが残った。
あの後、同じようなぬいぐるみを買いたいと探し回ったが、これだ!ってのは見つからなかった。
残されているのは、幼い娘が大事そうに、もとい、振り回すように手に持って写された写真のみ。
クタクタのぬいぐるみだったから、いつもギュッと握りしめられて…ずっと離さずに一緒だと思ってたんだけどな。

ちなみに、アンパンマンのニャニイちゃんは、その名の通り夢猫の国の住人だったが、我が家のニャニイは、小さなバッグに入って顔を出すタイプの虎だった。
猛獣だった。
幼い娘は、いつも公園で猛獣を振り回してた。

9/9/2024, 11:40:06 AM

私は世界に一人だけ。
私の命も世界に一つだけ。
だけど、私と同じ「人間」は数え切れないほどいて、命もそこら中に散らばってる。
それは、貴重なの?かけがえのないものなの?
代わりはいくらでもいるんじゃないのかな。

現に、日々たくさんの人達がこの世を去ってゆくが、世界はまた新たな生命を生み出し、補充は完璧だ。
秀でたスキルがある訳でもなく、世のため人のために役立っている自負もない。
さて、世界に自分は必要か?

はっきり言って、必要ないだろう。
貴重でもないし、代わりはいくらでもいる。
だけど、家族にとっては、自分の代わりはいないはずだ。
貴重とは言わないが、必要とされている。
生きる意味は、きっとそこにあるんだろう。

世界を俯瞰で見た場合、ナンバーワンはおろか、オンリーワンでいることさえ難しいと思う。
広大な花畑でオンリーワンの一輪であることは、それだけの価値を自分に見い出しているということだ。
自分の価値…それは、誰かの息子であり、旦那であり、父親であるということ。

そう考えると、花畑ではなく、花束としてまとめられた時にこそ、自分の存在に価値が生まれるのかもしれない。
そういえばあの歌も、舞台は花屋の店先だったな。
世界はあまりにも広すぎる。
そこで秀でようとするには、人生は短すぎる。
それなら、自分が少しでも輝ける場所を作り上げよう。

ほんの小さな舞台でいい。
その舞台の上で、その花を咲かせることだけに、一生懸命になればいい。

9/8/2024, 2:17:49 PM

毎年の健康診断で、聴診器を当てられ、「心雑音がします」と言われてきた。
なんだそれ?だからなに?と受け流してきたけど、ここに来て、いよいよ対峙しなければならない時が近付いている。
この、胸の鼓動をこれからも刻み続けるためには、遅かれ早かれ手術が必要だとか。
そー言われたら、嫌ですとは言えない。

生きてなんぼだから、どれだけ痛みを伴おうが、お金がかかろうが、やるしかないじゃないか。
そんな気持ちで Google や YouTube で調べると、術後は激痛と闘いますとか、いらんこと教えてくれる。
もう、目を瞑ってその日を待つしかないな。
いくつになっても、怖いもんは怖く、痛いもんは痛い。
まあ、その感覚を失くしたら、長生きなんか出来ないんだろうけど。

とはいえ、それほど長生きしたい訳でもない。
人生って、量より質だと思う。
めっちゃやりたいことやって二十歳で死ぬのと、牢獄に入れられたまま百まで生きるのなら、迷わずに前者を選ぶ。
ただ、ある程度満足できる質のイイ人生を送るには、それなりの時間が必要だと思うんよ。
半世紀じゃまだ足りてない。

若人が「胸の鼓動」という言葉からイメージするものと、アラフィフがイメージするものが同じ訳がない。
そう考えると、人生はそれなりに長い。
胸の鼓動に青春を紐付ける時代もあれば、すべてが疾病に通じてしまう晩年もある。
どちらが良かったかと問われれば答えは明白だが…いや、自分の胸の鼓動の大切さに気付けている今も、そんなに悪くない。

言いたいことはほとんど言えたから、この辺で。

9/7/2024, 11:51:51 AM

うまくいかない日もある。
それは誰だって同じだろう。
落ち込んで、自分が嫌になって、地下鉄の階段をトボトボと降りる夜。
同じように俯き、同じように一点を見つめ、スマホを一心に操作するサラリーマンの群れ。
目にしている情報は、心躍るものだろうか。

暑さも落ち着いてきたし、そろそろ出掛けるハードルも低くなってくるかな。
熱波にやられずに外に出られる季節が来れば、きっと今より週末が楽しみになる。
うまくいかない日もあるけど、週末にワクワクをセッティングして、心躍るように自分を盛り上げてゆこう。

どーでもいいことだが、昨日は「終末」について書いて、今日は「週末」。
同じシュウマツでも、こんなにも意味合いが変わるのか。
楽しみな「週末」の方が、毎週やってきてくれることを思えば、私達はもっと人生に期待してもいいんじゃないのかな。
地下鉄のホームでも、週末にやれることをいっぱい夢想して、ニヤついて、スキップでもして心躍らせていたい。

ヤバいオッサンだと思われるのは承知の上で。

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