助けたい。たくさんの子供達。
この世界に生まれてきて、この世界に絶望して欲しくない。
彼らを守れる存在として、自分には何が出来るだろうか。
大したことは出来やしない。
それでも、辛い思いをしている子供達の話を聞くと、やるせない気持ちで自分がもっと辛くなる。
遠い国の戦時下の子供達はもちろんだが、この日本でも、まともに食事も出来ない子供がいるという。
この飽食の時代に、ホントにやるせない。
いろんな親がいるだろうが、頑張って働いても、暮らし楽にならざりの家庭もあるだろう。
でも、親が頑張らなきゃ、子供達にはどうにもならない現実がある。
望んで子供を産む親はいるが、望んで生まれてくる子供はいない。
責任は取るべきだ。親としての責任を。
虐待する親は、社会から虐待されてその痛みを知るべきだ。
結局、歯向かうことの出来ない相手に対するイジメに過ぎない。
しかも、家庭という閉鎖的な場所ならバレないだろうという卑劣な考えもあるはずだ。
そんな奴らに、人の親となる資格はあるのか?
確かに、資格がなくたって子供は作れる。
だが、人の親としては失格だろう。
いや、人間としても失格だと思う。
いつになく熱く語っているが、私自身に親に不当な扱いを受けた過去はない。
感謝しかない育てられ方をした。
だからこそ、誰もが同じような子供時代を過ごして欲しいと切に願う。
そして、人の親になり、自分の子供に対しても、愛情いっぱいの接し方が出来るように。
車の運転や学校の進学に資格や試験が必要とされるのに、子供を作ることにライセンスが不要なのはおかしくないだろうか。
その人の子供に対する考え方を知れば、少なからず不遇な生命の誕生を防ぐことは出来ると思うのだが。
いろんな障害や抵抗があるのかな。
まず第一に守るべき存在が子供達だと思うんだけど。
他の動物達も、命がけで自分の子供を守る。
生き物の本能なんだと思う。
それに反する行為をするのは、人間くらいなんじゃないかな。虚しいね。
政治経済を偉そうに語る前に、家族への愛情を語れる人間でありたい。
…とはいえ、語り過ぎて長くなるのもウザいおっさん認定されそうだ。
え?もうすでにされてる?
それはやるせない。
このやるせない気持ちを、すべて我が子にぶつけて慰めてもらおうか。
日々頑張ってるお父さんにも愛の手を。
海へ、向かう。
季節は問わない。
ただ、海を見に行く。
普段、海を見ない生活をしてるから、フロントガラスの向こうに海が見えてきた時は、いつも少しだけテンションが上がる。
非日常であり、ドラマティックであり、開放的で、畏怖すら感じる。
遮るもののない風景が広がっているのに、その先へは進めない。
行き止まりだ。
我が国の行き止まりに辿り着き、大海原に思いを馳せる。
自分はちっぽけで、ちっぽけな自分がちっぽけな悩みを抱えて、昨日はあのオフィスビルで心を痛めてた。
居場所がそこにしかなくて、周りを不安で固められて、好奇の目にさらされて、逃げ出す扉は閉じられたまま。
身動きが取れないほどの屈辱を抱えたまま、終業のチャイムを聞いた。
一夜明けて、あの場所から逃げ出してきたけれど、やっぱりこの先へは行けない。
また車に乗って、あのオフィスビルのある街へ帰るだけ。
砂浜に立ち尽くし、非日常を味わい、今や静まり返ったテンションで、これからを想う。
…きっとうまくいく。
どんな一日も終わり、また水平線の向こうに太陽は昇るから。
帰りの車の中で、私がさっきまで立っていた場所が行き止まりではないことに気付いた。
車を捨てて、船に乗ればいい。
太陽に向かって、船を漕ぎ出せばいい。
自分の中で、勝手に線を引いて留まっていただけだった。
でも、私はまだ、逃げ出さないことに決めた。
あのオフィスビルで戦うことに。
いつか、この戦いを終えて次のステップに進む時が来たら、私は船に乗って、この大海原へ漕ぎ出そう。
いつかまた、海へ。
その日まで、その日に向けて、私は戦う。
裏返し…裏返し…裏返しといえば…お好み焼き?
いや、でも、上手く裏返せるスキルは持ってない。
とゆーか、料理の才能が壊滅的だ。
まず、先端恐怖症で刃物恐怖症だから包丁が持てない。
そして、目分量が苦手なくせにレシピをちゃんと知ろうとしないから、濃いか薄いかはその日によって変わる。
そもそも、一生懸命自分が作ったものが、その日のうちに消費され消えていくことにも、一抹の寂しさを感じてしまう。
こうして書いた文章は、どこかにずっと残せるのに、どれだけ芸術的な完成形の料理でも、粉々に噛み砕かれ、胃の中で消化され消えるのだ。
…いや、消えないか。
別のものに姿を変え、また体から出てくる。
あの素晴らしい料理が、トイレで出会うアレになる訳だ。
でも、分かってる。
食べる自分が、食べてくれる誰かが、美味しいと喜んでくれれば、それが作った甲斐を感じさせてくれるだろう。
問題は、その領域に達する自分が想像出来ないということだ。
理由は上記の通り。
自慢話は、自信の無さの裏返し。
謙虚さも、自信の無さの裏返し。
…いや、これは裏返ってないか。
なら、謙虚さは、実は出来るという自信の裏返しか。
料理なんて無理とか言っときながら、実は一流レストランのシェフな私だったりして…な訳ないけど。
話がまとまらない。
まあそれはいつものことだが、「裏返し」ってテーマの正解は何なんだろう。
正解なんてないのかもしれないけど、まあ要するに言いたかったのは、お好み焼きを上手く裏返すのは至難の業だってこと。
最近食べてないからな、お好み焼き。
こんな、独り言のようなつぶやきが、誰かの目に届いてしまうなんて、まったく困ったアプリがあるもんだな。
あ…これは、なんて素晴らしいアプリなんだ、もっとたくさん読んで欲しい…の裏返し。
高所恐怖症の鳥はいないのかな。
幼い頃の飛行訓練に失敗して、トラウマになっている鳥は?
車で事故を起こして、二度とハンドルを握りたくないって人はいると思うけど、道で転んだからって歩くのをやめる人はいないか。
むしろ、しっかりと歩けるように精進するだろう。
鳥のように飛んでみたい、とは思わない。
生身で飛ぶのは思いのほか怖いと思う。
空には、人間が作り出した鋼鉄の乗り物だって飛んでいる。
バードストライクなんて、悲惨な最期は迎えたくない。
木の上でゆっくり休んでたら、突然鉄砲で撃たれるなんてリスクもあるし。
魚のように泳ぎたい、とも思わない。
海には、怖そうな生き物がいっぱいいるから。
そっちの怖い方になればいいという案もあるが、得てして彼らはグロテスクだったり悪者顔だったり。
釣られたり捕らえられたりして、食べられる運命ってのも受け入れがたい。
人間って臆病だな。いや、俺だけか。
ただ、すべての動物に対して羨ましいのは、学校や仕事がないってことかな。
もっと限定すれば、通勤、通学がないこと。
この酷暑や台風の中、出勤するのはホントにツライ。
それがない動物達は…いや、鳥だったら満員電車になんか乗らなくても飛んでいけるし、酷暑や台風でも、海の中なら大した被害はないか。
…鳥や魚も、悪くないかもな。
思えばあなたは、さよならを言う前に必ず、「次はいつ会える?」と聞いてきた。
時に即答し、時にはぐらかし、私から聞くことは無かった。
あなたが聞いてくれるから、途絶えずに私達は、次に会う約束を交わすことが出来た。
あなたが病に倒れ、病室でしか会えないようになって、あなたからこの質問をされることはなくなった。
デートではなくお見舞いになったから。
あなたが、少なからず負い目を感じているから、だろう。
病室のあなたは、日を追うごとに衰弱していくように見えた。
ある日、お見舞いに訪れた私の目の前で、彼が涙を見せた。
堪えきれずに溢れた涙だった。
私はすべてを悟り、彼に初めて問いかける。
「次はいつ会える?」
彼は俯いて、「もう会えないと思う」と答えた。
「…どうして?」
「分かるだろ。もう、お見舞いは終わりにしていいよ」
「…さよならなの?」
「うん。もう、次は無いと思う」
「じゃあ、さよならを言う前に約束して」
生まれ変わったら、私を探して。
どんな姿に生まれ変わっても、私を探して声をかけて。
私はあなただと気付くから。
私もあなたを探して生きるから。
「…分かった。もし僕を見つけたら、その人と一緒になって。たとえ見た目や性格が違っても、それはきっと僕だから」
数日後、彼の訃報を聞いた。
泣き崩れると思っていたが、心はすでに、生まれ変わったあなたを探すことで占められていたようだ。
思いのほか、冷静に受け止めることが出来た。
そして、三年後、あなたとは見た目も性格も違う、ある男性と知り合う。
その頃には、生まれ変わりなんてないのかも、と思い始めていたが、彼は私と会ってさよならを言う前に、必ず聞いてくる。
「次はいつ会える?」
私は答える。
「会えるなら、毎日でも」