この島には、ひとつだけルールがあった。
まあ、昔からのしきたりみたいなもんだ。
それは、「一人で死んではいけない」というものだった。
いや、死ぬ時は誰でも一人だろ、とは思うが、要するに「自殺しちゃいけません」ということなんだろう。
そんなもんルールにするのもどうかと思うし、死なんていつどんな時にやってくるか誰も分からないし、そもそも、そのルールを破ったところで本人はもう死んでるんだから、なんのお咎めも罰も受けられない。
何のためのルールなんだか。
そういう訳で、死ぬことにした。
事情は伏せるが妻子には逃げられ、借金の取り立てが激化して、放っといても死ぬことになりそうだ。
どうせなら、自分の意志で自分の行く末を決めたい。
奴らに殺されるなら一人で死ぬこともないだろうが、俺は一人で静かに消えていきたいと思った。
ルールなんか知ったこっちゃない。
天井の梁にロープを結び、輪っかを作って首にかける。
あとは乗っているこの椅子を蹴れば…その時、電話が鳴った。
もちろん、出るつもりなどなかったが、留守電が作動する。
「町長ですがね、やめときなさい、もったいない」
…えっ?
「今すぐ説得係が行きますから。早まっちゃダメだよ」
…なに?
唖然としていると、見慣れた顔がぞろぞろと家に入ってきた。
…なんで?
「この島をね、守らなきゃいけない訳だよ。それでなくても過疎化が進んで、町長は、近いうちにこの島が無人島になるんじゃないかって心配してる」
「いや、それはいいとして、なんで俺が死のうとしてることを?」
「そんなもん、この家の監視カメラがすべて見てる。それを我々が常時監視してる」
「監視…カメラ?」
「家の中だけじゃないぞ。この島の至る所にカメラは設置されてる。たとえ山の中でもな。小さな島だから出来ることだ。そして、我々説得係も島中に待機してるよ」
そういう訳で、説得された。
事情は伏せるが、妻子が出ていった原因を解消してくれるという。
その上、妻に復縁を交渉してくれるとか。
どんな手を使うのかは知らないが…
また、借金取りが二度とこの島に渡って来ないようにしてくれるという。
…そんなことが出来るのか?
「簡単なことだよ。ここは俺達の島だからな」
イマイチ意味は分からないが、借金が帳消しになるのなら文句はない。
「一人で死んではいけない」というより、「一人で死ぬ前に話を聞け」だったか。
生活はかなり改善して、死を選ぶ理由は無くなった。
借金取りは姿を見せなくなり、妻子も無事に戻ってきた。
…無事に?
何故か、日々何かに怯えているような気もするが…。
どうした?と聞いても、作り笑いするだけで何も言わない。
数日後、海岸に死体が上がった。
見覚えのある顔。
借金の取り立て屋だ。
…なるほど。
いよいよ、この島から逃げ出す計画を立てなきゃならないようだ。
至る所に監視カメラが仕掛けられている、この島から。
朝から雨降り。
心もどんよりだ。
雨のせいか、朝の電車は混んでて、なんだか調子悪くて途中下車してしまった。
駅のホームで次の電車を待って乗る。
何やってんだ、俺は。
今日の心模様はどんよりだ。
まあでも、一日はこれからだな。
こんな朝のことなんて、気が付いたら忘れてる。
いつまでもホールドしない。
心模様なんてコロコロ変わって、いつの間にか青空が広がってるもんだ。
我ながら能天気な気もするが、心模様も脳天気も晴れ渡っていれば、きっとそれだけで楽しい一日に変わる。
満員電車で痴漢されている女子高生を助けて、ホームに降りて逃げ出そうとする男を羽交い締めにして駅員を呼んだ。
最終的には警察もやってきて、詳しい事情を説明した上で「被害者の方は?」と聞かれ周りを見回すと、女子高生と思っていた被害者がカツラを放り投げ、そこには加害者の恋人だという男が立っていた。
要するに、そーゆー二人のそーゆープレイだったらしい。
恨めしそうな目で二人に睨まれた。
…え、俺が悪いの? 二人の邪魔をしたの?
警官は、公衆の場でそのような行為は控えるように、と厳重注意して、二人を解放した。
ホームに残された三人。
「あ…なんか、すみませんでした」
とりあえず、頭を下げる。
さっきまで女子高生だったはずの男が、
「私達の愛の形に、何か問題がありますか?」
真面目な顔で訊いてくる。
「いや、そんなことは…ただ、ちょっと想定外だったもので…」
「あなたの想定内に収まるつもりはありません」
「はあ…そりゃそーですよね」
社会通念ってのは、正しいのか。
それに反していたら、非難されてしかるべきなのか。
そんなはずはない。
人は多種多様で、それぞれの持つ正しさは数限りない。
社会通念的にたとえ間違いだったとしても、あの二人が幸せの片鱗をそこに見い出すのであれば、それは他の誰にも否定することは出来ない。
ただ、家でやれ、家で。
「私達はね、誰にもバレないように、こっそりと楽しんでいるんです。あたかも本物の痴漢のように」
いや、そんなんだから他の人の目に怪しく映るんじゃ…という言葉を飲み込む。
俺が声を上げなければ、彼らは至福のまま、愛を深めていた訳だ。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて何とやら、だ。
いや…家でやれよ、家で。
二人が電車に乗るのを見送る。
何となく、一緒に乗るのは気が引けた。
次の電車を待って乗り込み、目的の場所へ。
永田町駅で降りて、出頭命令のあった最高裁判所へ向かう。
俺の彼女への愛の形。
それは、いかなるものにも邪魔されない、究極の愛。
ところが、国家権力に邪魔された。
ストーカー規制法に触れるという。
愛の形は十人十色じゃないのか?
本気で愛したら、ずっと一緒にいたいと思うのが当然じゃないのか?
今日の二人に出会って、社会通念的にたとえ間違いだったとしても、幸せの片鱗がそこに見い出せるのであれば、それは誰にも否定出来ないはずだと改めて思った。
もちろん、これだけの愛を注がれている彼女がそれを拒むはずがない。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて何とやら、だ。
この裁判が終わったら、君の家に行くから。
待っててね。
月曜朝の不安はいつものように、心のどこかしらに居座ってる。
もう何千回も繰り返してきた月曜日。
当たり前のようにやってくる月曜日。
特に何がある訳でもない。他の曜日と何ら変わらない。
それでも、自由で楽しい週末を過ごして、たぶん昨日の夜辺りからずっと、不安の雫が心に少しずつ落ち続け、朝を迎えた今、それがいっぱいになって零れ落ちる。
そんな感じ。その雫の成分は分からない。
そんな時は、今日がいつもと変わらない普通の一日だと自分に言い聞かせる。
こんな日をもう数え切れないほど過ごしてきた。
その積み重ねで今ここにいる。
もっと積み重ねよう。もっと経験値を上げよう。
少なくとも、右も左も分からない初めての日々はもう過ぎた。
あの頃の不安に比べれば、きっとこれは幻みたいなもの。
すべてがうまくいく、とは思えなくても、すべてが何とかなる、とは思えるくらい生きてきた。
思い込みを取っ払って、まあいいかをモットーに、足るを知れば最強だ。
そうすれば、もしもまた初めての場面を迎えても何とかなる。
何とか出来るなら、これからも生きていける。
だから、今日という日も、この月曜日の朝もやり過ごそう。
ほら、いつもと変わらない満員電車。
職場に着いたら皆に挨拶して、ワクワクはしないけど、それなりにやりがいのある仕事に取り掛かろう。
その頃にはもう、今朝の不安はどこへやら。
やっぱりあれは、ただの幻なのかもしれない。
生まれた時も、死にゆく時も、何も持たない。
手ぶらでこんにちは、手ぶらでさようならだ。
生きてる間にどれだけ推しグッズを揃えたとしても、サヨナラする時にはすべて手放すことになる。
せめて思い出くらいは持っていきたいけど、きっとどこかでリセットされて、何の記憶も持たない赤ん坊として生まれ変わるのかも。
だからって、何もいらない、とはならない。
物欲は限りなく、手放すことも忘れて手に入れ続けている。
自分がいなくなった後、遺された家族はこれの処分に困るだろうな、とか思いつつ、今日もAmazonのカートには新たな商品が増えてゆく。
注文ボタンをポチる時、ほんの少しだけ心に躊躇が浮かぶこともあるが、これを手に入れた時の喜びの方が必ず勝つ。
これが、生きるってことなんだろうな。
どれだけ完璧なアンドロイドも、趣味のコレクションは持たないだろう。
でも人間は、いろんなタイプのアンドロイドを集めたがるかもしれない。
お金に余裕があって、ガレージに何台もの車を並べている人もいる。
ほとんど乗ることのないまま、車として活躍もせずに放置されるものもあるだろう。
人間って罪深い。
だから毎日は楽しくなる。
食べて寝るだけの人生に何の意味がある?
働いてお金を稼いで、そのお金を無駄なものに使って。
いや、手に入れることに喜びを感じられるのなら、それは決して無駄ではないのかも。
使われずに放置されていても、せめて手に入れた時の喜びだけは忘れずにいたい。
とはいえ、本当に必要なのは、お金を出して買うものではないことも分かってる。
お金じゃ買えない幸せを手に入れたから、それ以外は何もいらない、という気持ちもない訳じゃないけど、やっぱり世界にはモノがあふれすぎて。
最近よく目にする中国の爆安オンラインショッピングサイトとか、どーしてこの値段でこの商品が?ってのが当たり前に並んでる。
怪しすぎて、手を出さずにいるけど。
何もいらない、そんな人生ならいらない。
欲しいもののために頑張って、手に入れて喜んで、その後それをどう扱うかはその人の自由だ。
積みゲーも積ん読もその人の自由だ。
こんなにモノがあふれた世界で、すべての人が本当に自分に必要なものしか手に入れなくなったら、きっと世界の経済は破綻するんじゃないだろうか。
「君さえいれば、他には何もいらない」なんてセリフを吐く人も、きっとそれはお金を払って手に入れた、どこぞの映画やドラマで憧れたシーンを真似しているだけだと思うしね。
たくさん手に入れて、たくさん生み出す人間でありたい。
それにしても、今回いくつの「手」が使われたことだろう。