生まれた時も、死にゆく時も、何も持たない。
手ぶらでこんにちは、手ぶらでさようならだ。
生きてる間にどれだけ推しグッズを揃えたとしても、サヨナラする時にはすべて手放すことになる。
せめて思い出くらいは持っていきたいけど、きっとどこかでリセットされて、何の記憶も持たない赤ん坊として生まれ変わるのかも。
だからって、何もいらない、とはならない。
物欲は限りなく、手放すことも忘れて手に入れ続けている。
自分がいなくなった後、遺された家族はこれの処分に困るだろうな、とか思いつつ、今日もAmazonのカートには新たな商品が増えてゆく。
注文ボタンをポチる時、ほんの少しだけ心に躊躇が浮かぶこともあるが、これを手に入れた時の喜びの方が必ず勝つ。
これが、生きるってことなんだろうな。
どれだけ完璧なアンドロイドも、趣味のコレクションは持たないだろう。
でも人間は、いろんなタイプのアンドロイドを集めたがるかもしれない。
お金に余裕があって、ガレージに何台もの車を並べている人もいる。
ほとんど乗ることのないまま、車として活躍もせずに放置されるものもあるだろう。
人間って罪深い。
だから毎日は楽しくなる。
食べて寝るだけの人生に何の意味がある?
働いてお金を稼いで、そのお金を無駄なものに使って。
いや、手に入れることに喜びを感じられるのなら、それは決して無駄ではないのかも。
使われずに放置されていても、せめて手に入れた時の喜びだけは忘れずにいたい。
とはいえ、本当に必要なのは、お金を出して買うものではないことも分かってる。
お金じゃ買えない幸せを手に入れたから、それ以外は何もいらない、という気持ちもない訳じゃないけど、やっぱり世界にはモノがあふれすぎて。
最近よく目にする中国の爆安オンラインショッピングサイトとか、どーしてこの値段でこの商品が?ってのが当たり前に並んでる。
怪しすぎて、手を出さずにいるけど。
何もいらない、そんな人生ならいらない。
欲しいもののために頑張って、手に入れて喜んで、その後それをどう扱うかはその人の自由だ。
積みゲーも積ん読もその人の自由だ。
こんなにモノがあふれた世界で、すべての人が本当に自分に必要なものしか手に入れなくなったら、きっと世界の経済は破綻するんじゃないだろうか。
「君さえいれば、他には何もいらない」なんてセリフを吐く人も、きっとそれはお金を払って手に入れた、どこぞの映画やドラマで憧れたシーンを真似しているだけだと思うしね。
たくさん手に入れて、たくさん生み出す人間でありたい。
それにしても、今回いくつの「手」が使われたことだろう。
4/21/2024, 12:54:08 AM