どんな顔で手を振ったものやら、あまり記憶になかった。良くない考えがわっと襲ってきて頭が爆発しそうになる。感情が渦巻く。考えが追いつかなくなる。
『オッケー、多分そっちじゃないんだ。この方法は一旦おしまい』
君の留める声がする。立ち止まり、ようやくそっと息を吐く。
自分ではない視点で考えること、反対の意見を想像すること。そのうえで、嫌だと感じたらやめること。あの頃よりは随分上手くできるようになった。
君と離れてからも、私の中にはたぶん君がいて。君ならどう言っただろうと考えればなんて乗り切れる気がしてる。
そばにいてもいなくても、一緒にいることはできるから。最後に握った手のあたたかさを思いながら、断りの連絡をするために私はスマホを取り出した。
『君と一緒に』
自動ドアを抜け角を二回曲がると、バス停はすぐに見つかった。寒々しい日陰のベンチに腰を下ろす。
初老の小柄な男性がやってきて、しげしげと時刻表を眺め、ひとつぶん空けてベンチに座った。けれど時折身体を道路側へ傾けるようにして、彼はしきりになにかを気にしている。青空の下、巣穴に立って周囲を窺う動物……最近なんかで見たなあ。名前なんだっけ。
「遅いですよね」
そうだ、プレーリードッグ。思い出した瞬間、話しかけられ、一瞬なんのことか分からなくなる。
「バス」
笑ってつけ足されて、おやと思った。
「次、四十五分ですよね? まだ二十八分ですから」
プレーリーさんは不思議そうな顔をしたが、
「あっ、そうか」
と小さく叫んだ。
「もう平日でしたねえ」
年末年始の名残なのか、土日ダイヤを見ていたらしい。
「教えていただいて良かった。ありがとう。ちょっと時間潰してきます」
プレーリーさんは丁寧にお辞儀をして、手に持った茶色の帽子をかぶり直し駅の方向に歩いていく。
彼の行く手をやわらかな陽射しが照らしていた。
『冬晴れ』
何日も続いた雨がやんで、ほかほかとあたたまった部屋で録画しておいたドラマの続きを見る。CMのたびにベッドのうえで足を伸ばしたり腰を捻ったりしながら、幸せってこういうことだと私は唱える。
ハーブティー、飲む?
声が聞こえた気がして手が止まる。キッチンで沸かしたお湯を真剣な顔で湯呑みに移し替えて。「適温は70度だから」なんて私に説いた横顔。舌で触っては痛みを確かめた口内炎はいつの間にか消えていた。
右隅に陽を反射してのっぺりとした画面の中で、主人公とヒロインが寄り添う。ひとりでは成し得ないこと。あなたが隣に笑うこと。失ってはじめて、そうだったと思えること。
『幸せとは』
散々な初夢だった。なぜか私は看護師で、よく分からん手術を担当することになった。けれど医師がハチャメチャで、内蔵が飛び出してとんでもないことになる。切り刻まれたゾンビに追われ、冷や汗のなか目が覚めた。
部屋の中はうっすら朝日が差していた。枕元を改めると、縁起を担いで準備したイラストはちゃんとそこにあった。今年こそ、一富士二鷹三茄子の夢を見られるつもりだったのに。朝までここにちゃんと頭さえあれば。
年に一度のチャンスを反故にしてもう何年目になるだろう。寝る前に枕と頭を固定した紐はベッドの外でとぐろを巻いていた。苦い気持ちでカーテンを開ける。ゆっくりと昇る朝日を、今年も私は呆然と眺めた。
『日の出』
年末年始はなんだか許された気持ちになる。目が覚めた時には、とっくに午前が終わっていた。壁掛け時計を三度見して「まじかー」とつぶやいた息が白い。
外に出れば、勿論電車もコンビニもショッピングモールも絶賛稼働中だ。年末年始こそ仕事に追われる人たちもいる。だけど私のかかわるあれこれは、みんな一斉に動きを止める。メールは来ない、通知も届かない。世界が5日だけしんとなって身を潜めている。
だいたい、朝9時から夕方6時まで働くって誰が決めたんだろ。午後に2時間休憩を取るとか、5時以降は働かないとかって決まってる国もあるのにさ。
あたたまった布団の中で今年の抱負をがんばらないことに定め、私は再度眠りに落ちた。
『今年の抱負』