「先生。今年もお世話になりました!」
私がそう言うと、先生は決まって顔じゅうにハテナマークをめぐらせ、一瞬間をおいて「ああ……」と合点がいったように頷いた。
「まだ蝉も鳴いてないけどね」
いまは6月。当たり前だが、周りにそんな挨拶をする人はいない。
「だって、先生とは年に一度しか会えないじゃん。だから今日言わないと」
「年に一度で十分よ」
撮ったばかりのマンモの画像を先生はチラリと見る。
「親きょうだいでもない限りそうそう会うもんじゃない、外科医なんて」
やさぐれた言い草に私はギャハハと笑う。
「先生、友だち居ないでしょ」
「いるよ〜? 100人ぐらい」
電子カルテに入力しながらの返事が棒読みだ。
「とにかく今年も異常なし」
「はーい」
「帰っていいよ」
「ありがと~ございました。良いお年を!」
「気をつけてね。良いお年を」
「おおー! 来年まであと10秒ー!」
12月。今年と来年の騒がしい真ん中で、私はいつも半年前のやり取りを思い出す。薄暗い診察室。友だちの居ない先生の、電子カルテに照らされたちっとも寂しそうじゃない横顔を。
『良いお年を』
※今年1月にこのアプリを知り、もう少しで一年が経ちます。
ご覧くださる方、いいねをくださる方いつもありがとうございます。
体調不良でおやすみすることもあるのですが、引き続きマイペースにつづけてまいります。
これを目にされた方すべてに、穏やかな年の始まりが舞い降りますように。
どうぞあたたかくしてお過ごしください。
未知亜
プラネタリウムを出て、二人して空を見上げた。いま見ているのがどの方角かもわからない場所で、さっきまでと同じ画角で星が見えるわけもない。
「夜が長くなったよね」
星座や星の話をするのかと思ったが、あまり関係ないことを君がつぶやいた。
「もうすぐ今年も終わりなんて信じらんないな。一年ってどんどん早くなってる気がする」
知ってる? と君が続ける。幼いうちは生きてきた年数に対して一年の割合が大きいから、時間はゆっくり感じられるらしいよ。大人になるにつれて人生の20分の1、30分の1って感じにどんどん縮小されていくから、そのうち一年はあっという間に感じられるんだって。
「ふうん」
その説は、私もどこかで聞いた気がする。でも、私の今年はどの年よりも長い。
「なに? 納得できない顔してる」
君が笑う。
「だって、私の信じる説とは違うから」
子どもの頃の方が時間が長く感じられるのは、出会う物事が新鮮だから。大人になるにつれ知ってる出来事が増えて対処の仕方も楽になると、その分時間の流れが退屈であっという間に感じられるって考え方もあるよ。
そう解説すると、君は私みたいに
「ふうん」
と答えた。
「なに? マネしないでよー」
何万年も何億年も生きる星には、地球の一年がどう感じられるだろう。意味もない問いかけだけど、君と出会ったこの一年は、私には止まってるみたいにゆっくりで長かった。
何万年も前の光がようやく地上に届くように。私の過ごした年数が、ある日突然いつか急に速さを増すかもしれない。星の光に包まれて私は一気に年を取るのだ。そんなふうに考えるととてもわくわくする。
「まーた、なんか違うこと考えてるな」
君がこちらを見つめてニヤリとした。
『星に包まれて』
大通りに出ると足元でイチョウの葉がカサカサ鳴った。立ち止まったら、つないでいた手がピンと伸びてあなたが振り向く。
「どうしたの?」
答えの代わりに、折り重なる黄色をつま先で弾く。地上数センチで大小さまざまな葉っぱが小さく舞った。
あなたがなにかつぶやいた気がして、私はその顔を見上げる。前にもこんなことあったなと思う。
「なに?」
今度は私が尋ねたけど、あなたは笑ってそっと私の手を引いた。すべて肯定してくれるようなその笑顔に果てしない安心を覚える。
よく晴れたイチョウ並木を、私たちは駅に向かってまた歩き出す。
久しぶりに見たおじいちゃんの夢だった。記憶よりずっと若かったけど、おじいちゃんだとすぐわかった。
戦争の話、昔の旅の写真、紺色の箱の煙草と、ドーナツ型に吐かれた煙。覚えているのはそんなことだ。肺を患って長期入院した挙句、秋の朝に静かな終わりを迎えた、おじいちゃんの旅路。
窓を開けて空を見上げ、私は心でつぶやいてみる。
また夢に遊びにきてね。おじいちゃんとあの電車に乗って、心の旅路を一緒にたどってみたいから。
『心の旅路』『静かな終わり』
やりたいこと叶えたいことを100個書けという宿題を、私は8割しか果たせなかった。
ノートをめくっていた指先が、ページの端にかかる。
「えっ?」
あなたはためらうことなく、ビリビリとページを破り取った。破った先から紙片が更に細かく引き裂かれる。
「あっ、あっ、あっ」
手を宙に差し伸べ間抜けな声を上げるだけで何もできない私に、
「アシカじゃないんだから」
とあなたが笑った。
「悩むために書いてもらうんじゃないって言ったよね?」
「……はい」
「これはいわば、凍った鏡みたいなものでしょ」
大きめの紙吹雪と化した私の『なりたいことリスト』が目の前で振られる。
「映したい現実を映すためには、今と違うやり方を試さないと。そのために一旦割ったの、あなたの中の凍てつく鏡」
割るか替えるか、一緒に考えましょう。
『凍てつく鏡』
初めての場所は、いつもドキドキする。
地図アプリの導くままにだらだらした坂をのぼった。衛生の誤差なのか現在地があちこちさまよい、目的地を一度通り過ぎてしまう。
坂の中腹のささやかな階段を降りる。壁一面に、おびただしい数のポスターやチラシが貼られていた。下の方に埋もれた日付は5年前のものまであったのに、求める知らせは見つけられない。
階段を降りきった、教卓のようなカウンターでチケットを見せると、唇に2つピアスを刺した女性スタッフは、右手奥を示し低い声で「ワンドリンク制です」と言った。
バーでジンジャエールを買って端の方に立つ。ステージ前には数人の客しかいなかった。ライブハウスと書かれていたのでもう少し広い場所を想像していたが、50人も入ればいっぱいになりそうだ。
すぐに客電が落とされ、ステージが穏やかな青に染まる。演目も出演順もまるで分からなかった。何時間待つことになるかも知れない。それでもこんなにドキドキするのは、ここが知らない場所だからだ。
ライトが反射する白に青が交じる。まるであの日の雪明かりみたいだった。最後に交わした言葉さえもう記憶がおぼろげなのに、雪の中の景色だけを今も鮮明に覚えていた。私はカップを握りしめる。
やがて青が濃さを増すと、海の底に沈む雪のひとひらのように君がふらりと現れた。
『雪明かりの夜』