少し離れて空を眺めていたら、「星が好きなんですか?」と穏やかに話しかけられる。厳格なほど距離を保ち、マグカップを手に年配の男が座った。名札には『ひろさん』と書かれている。
身体の左側が焚き火に照らされ不思議なほど温かい。向かいで、串に刺さったマシュマロが数本焼かれていた。出入り自由の居場所空間と銘打たれたこの場所は、気付けば季節外れのバーベキューを呈している。
話のきっかけは本当に些細なことだ。年齢や性別や、どんな悩みを持つかなど誰も先んじて聞こうとはしなかった。ささやかな、けれど確固たる信念というか、傷つけず傷つかないルールみたいなものを祐未は感じた。
『灯火を囲んで』
待ち望んだ晴れだから。羽毛布団を陽に干して、駅前のスーパーで、お湯を注いで作るスープと季節限定の生チョコを買い込んだ。湯たんぽと熊のもこもこ靴下も押し入れの奥から引っ張りだした。
これで向かい向かい撃てるはず。ヒトリボッチで過ごす季節を。
『冬支度』
深煎りは83度。
珈琲を淹れる時のお湯の温度だ。
珈琲豆の歴史とか産地ごとの特徴とか、行きつけのお店のおすすめとか、星の数ほど披露された知識のなかで、なぜか唯一覚えていることだった。
休日の朝は早起きして、熱心に道具を整えていた。珈琲一杯にどれだけ手間と時間をかけていたのだろう。注ぎ口が観葉植物の茎みたいに細いポットから、少しずつお湯を注いでは薄茶の雫が落ちるのを眺め、時が止まるようなこの時間が好きだなと、あなたは笑った。
『時を止めて』
ずっと下ばかり見て歩いていた。時折しゃくり上げてしまう声に、すれ違う人がなんとなく避けていくのがわかったけど、もうどうしようもなかった。
視界に、小さな色紙をバラバラと撒いたようなオレンジが映る。仄かな香りがふわりと鼻をくすぐった。立ち止まったあたしは、ようやく頬を拭う。
いわし雲を背に並んだ、秋の代名詞。それ以外の季節にはきっと誰も気に留めない、その花の花言葉は、初恋。
『キンモクセイ』
「なーんでみんなすぐどっか行っちゃうんだろうね?
「みんなって?」
「みんなだよ。お財布にやって来る栄一も、学生時代に仲良かった子も、靴下の片っぽも」
「それってさ、ほんとに願ってる?」
「へ?」
「叶わない願いって本当には願ってないらしいよ?」
「なにそれ。誰情報よ?」
「こないだラジオで、ジェーン・スーが言ってた」
「ほお……」
そんな会話を交わしたのは猛暑と呼ばれた頃だった。今回ばかりは本当に、心の底から願ってたのにな。
『行かないでと、願ったのに』