ㅤそろそろ寝なくちゃと部屋の明かりを消し、ベッドサイドのランプを灯した。布団をめくって寝転がると、ここまでのやり取りをスクロールしてみる。たっぷり十画面分遡った会話の始まりは、あなたからの「おやすみ」だった。
『なんかさ』
『「おやすみ」って言ってからが』
『長いよね、私たちw』
ㅤ心を読んだような返信に口許が緩む。眠ってしまうのが惜しくなる。
ㅤ潜り込んだ布団のなかから、またもや言葉が夜空を駆ける。
『夜空を駆ける』
ㅤトーストを齧りながら、今朝の占いを見比べている。電車のなかで目に付いた、性格診断を試してみる。
ㅤ起きてから眠るまでに見た空を、好きそうかそうでないかに分類したり。誰かとのリプライの行間に、無理矢理本音を咀嚼してみたり。
ㅤもはや意味も答えも持たない分析を、あらゆる角度で私はつづける。二年経っても私の心は、たらればの深みに沈む。今夜もまばゆい虹色をした、はち切れそうな夢へと眠る。
ㅤすべての事実が私に囁く。あの人とは結局、上手くいかなかったはずなのだと。
ㅤはじまる前に消えてしまった、ひそかな想いの喪に服す。
『ひそかな想い』
ㅤカーテンの隙間から洩れる朝陽で目が覚めた。彼は隣でまだ眠っている。初めて二人で迎える朝。ㅤㅤそっとベッドを出て先に身支度しておこうと思ったのに、「ん……」と小さな声がして彼は身動きしてしまう。ゆっくりと目を開けて「おはよう」と言った彼が、夢から戻りきらないような顔で呟いた。
ㅤ
「えっと……あなたは誰?」
ㅤ私は慌てて顔を覆った。明るいとこですっぴん、見せたくなかったのにー!
『あなたは誰』
ㅤ昔はね、雑誌の投書コーナーにペンフレンド募集、なんてのがたくさんあったのよ。
ㅤ私の相手の人は神戸に住んでてね、『絵を描くのが好きなひと、絵について話しましょう』って投稿してたの。絵について、文字でやり取りしたい人なんだ、面白そうって興味が湧いたのが始まり。
ㅤその人の元には、私以外にも全国から手紙が届いたと思うのよ。最初は返事がすぐに来なくて、2ヶ月空くこともあったかなあ。でもそのうち、週に一度は届くようになってた。好きな絵の話が出来るのは本当に楽しかったなあ。
ㅤ最初は手紙を送りあってたけど、途中からは絵を同封することも多かったな。私は身近にあるものをスケッチしてた。部屋にある文具とか飼ってた猫とから、向こうは風景画がほとんど。その人の知るとっておきの場所を教えてもらってるみたいで、ドキドキしたのを覚えてる。その頃にはもう、その人のことすごく好きだったからね。
ㅤある時、珍しくお花が描かれてる紙だけが送られてきたことがあった。真っ赤なガーベラが光の加減でとても美しく描かれてた。それで私もお花を描いて送ったの。ちょうど新緑の季節で、お庭に白いハナミズキが咲いてたから、それをスケッチして。いつもより少し気合いを入れて、色も付けたのね。そしたらその後、返事がプツリと途絶えてしまった。
ㅤそりゃもう、いろいろ考えたわよ。初めての花の絵にちゃんとした感想が欲しかったのかなあとか、真似してお花描いたのが良くなかったのかなあとか、追加で何か手紙書いた方がいいかしらとか。
ㅤ郵便受けを毎日覗いて、寝ても覚めても考えつづけて。頭が焼き切れそうになる頃、突然相手が訪ねてきたの。
ㅤ二人で入った近くの喫茶店で、あの人は私の描いた絵をテーブルに広げて言った。
「このハナミズキは、そういうことでいいのでしょうか」
ㅤ赤いガーベラの花言葉が『燃える神秘の愛』で、白いハナミズキの花言葉は『私の想いを受け止めて下さい』だったなんてこと、私ちっとも知らなくて。
ㅤ手紙の行方はいつの間にか、プロポーズとその返事みたいになってたってわけね。
ㅤおばあちゃんは一口お茶を飲むと仏壇に振り向いて、そこに飾られた写真をニコニコと眺めた。
ㅤおじいちゃんとの馴れ初めは、何度でも聴きたくなる私のお気に入りのお話。
『手紙の行方』
「ダイヤモンドダストって、見たことある?」
きみはよく、地元の冬の話を僕に聞かせてくれた。ダイヤモンドダストの話は、特に僕のお気に入りだった。お酒が回ると、僕は決まって君に、光る氷の粒の話をねだった。
空気中の水蒸気が寒さで結晶化して、太陽光を反射し輝くのがダイヤモンドダストの正体だ。良く晴れた無風状態でしか見られない物だという。息が凍るほど寒いと、吐いた息に含まれる水分が耳許で凍ってかすかに音が聞こえる。それと同じように、ダイヤモンドダストもさらさらという音がするらしい。
実際に見た時の話を、君は毎回言葉を変えて僕に話して聞かせてくれた。そして最後に決まってこう言うのだ。
「すっごく綺麗だよ。絶対見た方がいい」
南国生まれの僕には、想像も出来ない世界だった。
虹のように輝く氷。ふたつと同じ形のない雪の結晶。君の話に僕の想像は膨らむばかりだった。そんなものをこの先すべて、ふたりで少しずつ眺めるつもりでいた。
君を失ってから、僕は実物を見るのをやめた。代わりに手の届く限りの美しい物を見た。
花火を見ても蛍を見ても、星空を見ていても、僕の心には君の話してくれた雪の輝きが降り注ぐ。その輝きが消えるまで、僕は君の笑顔を数える。君という輝きが、ずっと僕と共にある。
『輝き』
2/17は「天使のささやきの日」だったんですね!
ダイヤモンドダストの音も、こう呼ばれるそうです。