ㅤあと何回、君とこうして同じ時間を過ごせるんだろう。
ㅤ鼻をくっつけるように、その香りを僕は吸い込む。
ㅤ口に含めば身体がカッと熱くなるほど、芳醇な君の味わい。
ㅤ無条件に捧げられるその身体を、僕は隅々まで味わう。
ㅤああ、次は一体いつ会えるの?
ㅤ俺の人生、今が一番幸せなのかもしれない。
ㅤいっそこの瞬間で、時間よ止まれ。頼む。止まってくれぇ……!
「バイトくん?ㅤいいから黙って味わいなさい」
「社長ッ!ㅤこの壷漬けカルビ、ガチでやばいっす~!」
「はいはい」
『時間よ止まれ』
ㅤ最近は「腹減った」「別に」「うるさい」ばかりで、碌に会話もしなくなってた。
ㅤ帰宅後は部屋に直行だし、居るのかどうかもよく分からない。
ㅤノックしてもしなくても君は怒る。居ない時に掃除するともっと怒る。私がなにをしても、いや何もしなくても怒るのだ。
ㅤクタクタで帰って来てみれば、シンクにお皿が満載だった。食べたあとの皿洗いまで、約束破りもここまで来たか。
ㅤ怒ってばっかの君にどう言ったら伝わるのか。なんだか今夜は疲れ過ぎて、何も言葉が組み立てらんない。
ㅤ部屋の前まで来て途方に暮れてたら、歌声が漏れてきた。ネット動画に合わせた裏声に、私はふふふと笑ってしまう。
ㅤ「まま、だいしゅき」と抱きついてきた頃と同じ、君の声がする。
ㅤ
『君の声がする』
ㅤ脱ぎ散らかされた靴下が見えた時、私の中で何かがプツリと音を立てた。
「なんで、いっつもそうなの!?」
「……え?」
「靴下脱ぎっぱなしなねしないで、食べてくるなら連絡してよ、突然料理して玉ねぎ全部使わないでっ!」
「え、なに、どした?」
ㅤ一度飛び出した不満は、どんどん溢れて止まらなかった。次から次へと、自分でも細かすぎて嫌になる。私は半分泣き出していた。
「た、たまにはっ、言葉に出して、言ってよっ!」
「……ごめん」
「謝ってほしいんじゃ、なくてっ!ㅤほかに、あっ、あのつく言葉とかっ、言うべきことあるでしょうがっ!」
ㅤ必死に涙を拭いながら訴えると、予想外の言葉が叫ばれた。
「あいしてるっ!」
「そっちじゃない!」
ㅤ思わず私も叫び返す。語尾がちょっとだけニヤけちゃったじゃない。
『ありがとう』
まだどこか夢のなかみたいな
ふわふわした気持ちで、朝。
ただひとりにそっと伝えたいのに
そこらじゅうに叫びたくもある。
胸のあたたかなざわめきを
なだめるようにキスを落として。
『そっと伝えたい』
ㅤ映画か小説のタイトルみたいな言葉を、あたしは馬鹿みたいに繰り返した。
「未来の記憶ぅー?」
「あっ、別に予言とか超能力とかじゃないよ?ㅤもちろん、変な勧誘でも」
ㅤ余程訝しげな顔をしていたのだろうか。法子はブンブンと首を振る。
「どっかの学者の説らしいんだけどね。経験と状況認識によって、人はある程度未来に当たりをつける能力があんだって」
「あー。……学習能力みたいな?ㅤもしこうなれば次はこうしよう、とか?」
「そそ……たぶん」
「たぶんって、テキトーだなあ」
ㅤ学生会館の隅っこに並んで座り、法子はあたしが差し出したスティック状のチョコレート菓子を齧った。オレンジがかったピンク色の唇の間から、ポキリと乾いた音が漏れる。
「言葉を使っての時系列的な思考?ㅤらしいよ。なんか、文学的だよねー」
「これまでの経験と、今の状況認識かあ」
ㅤ同じようにチョコレートを齧りながら、あたしはチラリと隣を見た。例えば——
ㅤ例えばそのチョコレートの反対側から私が齧り付いたら、どうなるだろうか。甘い未来の記憶の行方を、少しだけあんたと分け合えたなら?
「やっちゃん?ㅤどした?」
「あ……いや」
ㅤ我に返ったあたしは、何でもない顔をして続ける。
「あのゴミ箱にさ、ここからこの空箱が入ったら、次の講義サボる未来、みたいな?」
「それは未来の記憶とはちょっと違うかもだけどね……え、やる?」
ㅤ菓子の入った小袋を取り出して脇に置くと、法子はさっそく外箱を手に構えた。
「……入るまでやる気でしょ?」
「あったり前じゃん!ㅤパンケーキ行こ、パンケーキ!ㅤ行きたいお店見つけたから、さっ!」
ㅤ弾むような語尾と共に、チョコレート菓子の箱が宙を飛んだ。
ㅤ一緒ならきっと大丈夫だ。たとえどんな未来でも幸せな記憶になるから。
『未来の記憶』