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4/6/2026, 12:09:30 PM

書く習慣:本日のお題「君の目を見つめると」

「君の目を見つめると」というお題だが、敢えて鏡で自分の目を見つめてみる。先日「見つめられると」というお題ですでに犬カードを切ってしまったからだ。

まつげパーマをやったので、いつもより目がよく開いているように見える。カールしているまつげと、その後新たに生えてきたまっすぐなまつげが混在して、江戸時代の脱穀農具・千歯扱き(せんばこき)のようになっている。

本日の白目はやや青みがかっている。日焼けしたり寝不足だったり花粉症だったりすると充血するので、白目が青いのは私としては健康的なサインだ。しかし、できればもっと柔らかい印象の色であってほしい。無駄に目力があるというか、端的に言って怖い。

1ヶ月ほど前に眉にかかるくらいの長さに切ってもらった前髪はすでに2cm近く伸びており、今にも目に入りそうになっている。地元の方言でいうと「ぶしょったい」、だらしないとか不精であるとかいった意味である。そろそろまた切りに行かねばならない。

黒目の色は普通に黒い……と思っていたが、光を当てると既視感のある赤茶色に見える。もしも自分の顔を何かで作るとしたら、目の部分はカラメルソースにするのがよいと思った。

スマホのライトを当てたり外したりすると、瞳孔が縮んだり広がったりして面白い。現象としては知っているけれど、なんの意識もせず体が動くのは奇妙な感じがする。膝を叩くと足が跳ね上がる脚気検査の反射も好きなので、たまに手刀で膝を叩いて「おお、上がった上がった」と遊んでいる。

さて、自分だけでなく人の顔にも思うことだが、顔の美醜というのはよくわからない。歯列矯正は「揃った/不揃いな」歯並びという基準があるから理解できる。しかし、横顔のラインや鼻の高低などは、そういう価値観の存在を知るまでは全く意識したことがなかった。自分の横顔が美の基準から外れていても今まで困ってこなかったから、おそらく今後も造作に手を加えない顔で生きていくことになるだろう。

自分が困っていないことで悩んでいる人にどんな言葉をかけるのかは、本当に難しいところだ。私が気にしていなくても本人は気にしているのだし、「わかる。私も悩んでるから」と偽の共感をしても声で嘘だとバレそうだ。

そんなわけで、たいていの顔の悩みには「意外」と驚くリアクションをとるだろう。

ちなみに私の顔にはほくろが多い。顔の下半分のほくろを線で繋げると、口の下にもうひとつのスマイルラインが浮かびあがる。妹や気の置けない友人とほくろの話になったら、スマイルラインほくろの話で自虐するかもしれない。だが、今日この話を書くために久しぶりにほくろの存在を思い出したレベルで、ふだんは全く気にしていない。

日焼けを気にせず野原を転げ回っていた子どもだったせいか、頬にはシミもできている。しかし人体はそういうものだろう。肌荒れがあっても、痛みや痒みがなければ気にしない。

このように、私が自分の容姿の欠点を把握しつつも気にせずにいられるようになったのは、ひとえに時代が変わったからだ。美しさを強要されない時代になりつつあり、私のような人間には大変ありがたい。誰かが頑張ってくれたのだから、恩恵を享受するだけでなく、こうして少しでも追い風になれるようなことを書いておくべきだろう。

4/5/2026, 12:03:15 PM

書く習慣:本日のお題「星空の下で」

星空の下で、夜桜を見る。
しかし悲しいかな、下界の街明かりの上では星明かりがかすみがちである。
そんなわけで文明の力を借りてみる。スマホを空にかざすと、今見える星が画面に出てくる素敵なアプリがあるのだ。

アプリによると、今夜の空には乙女座のスピカなどがいるらしい。肉眼で見えた星の名前もわかった。「アークトゥルス」というらしい。ギリシャ神話みのある名前の星だ。

アークトゥルスをググってみた。太陽よりも古い星であるとか、おおぐま座を追いかけていくから「熊を護るもの(ギリシャ語)」というのが由来であるとか、スピカの和名「真珠星」に対してアークトゥルスのそれは「珊瑚星」と提案されたがあまり広まらなかったとか、知らない話がたくさんあって勉強になった。

そろそろ桜の季節も終わりである。

来年は街明かりの消えた深夜に星下の桜を見に行きたい。

4/4/2026, 11:19:28 PM

書く習慣:本日のお題「それでいい」

歳を重ねるごとに「それでいい」と思えることが増えた。

妥協とも言えるが、私としては妥協よりややポジティブだ。妥協は「本当は良くないけどここらで手打ちにするか」という一種の諦めがあるが、私の「それでいい」は「それで充分だ」と現状を認めて満足するニュアンスである。

今日の文章にしてもそうだ。
本日で記念すべき30個目の作品になる。
しかし特に気合は入れず、思いついたことだけを書いた。
なんなら寝落ちして、いつもの夜の時間ではなく朝に書いている。

最初に投稿した文章も「それでいい」の極みだった。
お題は「たまには」で、「たまには、別の道を歩いてみる」から書き始めた。まだ桜が咲く前の、春の初めの川のほとりを散歩する話だ。魚や鴨や柴犬を眺め、コーヒーを片手に歩いて家まで帰る、ごく短い文章だった。
その「たまには」の結びは、こうなっている。

"帰宅して服を脱ぐとき、白いシャツにコーヒーをこぼしているのに気がついた。

たまには、こういうこともある。

更に、ズボンのチャックも開いていた。

たまには、こういうこともある。"

私はかなり間抜けな部類の人間だが、それでいい。

4/3/2026, 2:46:39 PM

書く習慣:本日のお題「1つだけ」

1つだけ願いが叶うなら、一切の体調不良から解放されたい。老いに伴う体調不良がなくなるのなら、それは老化からも解放されるのではないか。死亡という究極の体調不良がなくなるのなら、それはもはや不死である。

『アナイアレイション -全滅領域-』という映画がある。隕石が衝突して異空間状態になってしまったエリアを探索する元軍人の生物学者と、3人の仲間たちの物語だ。

生物学者が「細胞分裂の回数に限界があるから老いる。それを解除できれば不死になれる」と語る場面がある。中学の理科や高校の生物の内容をほとんど忘れているので、かなり興味深い初耳情報として「へー」と感心してしまった。

しかし、無限に細胞分裂するエラーは癌なのではないか。
正確にコピーされた細胞なら、無限に分裂しても癌ではないので不死になれるのか。

不死になれなくてもいいから、なるべく病気も身体的な苦痛もない人生を送りたい。それが私のささやかで大それた、たった1つだけの願いである。

4/2/2026, 3:19:41 PM

書く習慣:本日のお題「大切なもの」

大切なものといえば余暇である。

私は欲張りかつ落ち着きのない人間だ。通話しながら別の作業をするのはもちろん、食事中にはテレビを見ながらスマホでYouTubeを流しつつ電子書籍を読んでいる。シンプルに行儀が悪いのだが、食事中に目や頭が暇になるのが耐えられないのだ。

平日の夜と週末の限られた時間に、やりたいことを詰め込んでしまう。生き急いでしまっているなあと思う。

マルチタスクが止まらない時は、映画館へ行く。
スマホを手放し、ただ画面と音響に集中して物語に集中する。贅沢な時間の使い方である。

人が少ないレイトショーで、ゆったりと映画を観る。観終わったらどうせもう終電はないので、家まで徹夜で散歩しながら帰ろうと腹をくくった。静まり返った夜の街を抜けて、川沿いに歩いて家へ帰る。

北から南へゆったりと流れる川は、潮の満ち引きで水位を変える感潮河川(かんちょうかせん)である。せせらぎは聞こえない。風が強くて川面が波立つ時だけ、潮騒めいた波音がする。

映画館から家の近くまでのんびり歩いていると、軽く数時間かかる。最後に食事をとってから半日くらい経っているし、その後は映画を観ながら飲み物を飲んだだけだ。そう考えたらにわかに空腹を覚えるから人体は不思議だ。誰にも気づかれない幽霊みたいに夜明け前の青い薄闇の中をうろうろさまよっていた自分も、やっぱり生きているんだなと実感する。

早朝からやっているファミレスか24時間営業のファーストフード店へ行き、休息しつつ早めの朝食を摂る。一度座ってしまうと気が抜けて、コーヒーなどを飲みながらずるずると居座ってしまう。
やがて本格的に朝食を摂りにくる客で店内が混み始め、アホな徹夜散歩挑戦者は迷惑をかけないように退散する。

家までたどり着いたら、部屋着に着替えてストレッチをする。徹夜明けに入浴すると危険らしいので、体をほぐし終えたらまず仮眠をと

……柔軟中に床で寝落ちし、目が覚めたら夕方だった。

というのが、私の大切な余暇の一例である。

思考を強制停止させ、運動由来の心地よい肉体の疲労に身を任せるこの無駄な時間が、私のバランスを保っている。

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