吹き出した汗がアスファルトに次々とシミをつくる。
太陽が私を虐げて、まるこげにしようとしているのだ。
「もう地球終わるんじゃないかな。」
隣の友人も、同じことを思っていたようで安心した。私は返事をする気にもなれず、こくりこくりと頷く。
「早く夏終わってほしいけどさー、夏終わったらもう本格的に受験だよ。うちら。」
「…やなこというなぁ。」
「だったらこの夏、終わらなくてもいいかも。ずっとこのまま、高校三年生のままがいい。」
「まじ勘弁なんだけど。」
正気かと思ったが、言っていることは痛いほどわかる。この夏が終わったら、私たちはバラバラになるんだ。
「受験と地球が太陽に灼かれ続けるの、どっちが嫌?」
「ギリ太陽。」
でもこういう友人と、ずっと一緒にいられるなら。
永遠の夏が過ごせるなら、それもいいかもしれない。
「じゃあ最後に、ココロの音を聞かせてちょうだい。」
そう言いながら、医者はよくわからない器具で僕の胸の辺りを軽く叩いた。しかし、何の音もしない。
「うーん、やっぱり先月から変わっていないねぇ。」
「そうですね。」
人によって、ココロの音は違う。人は先天的に、唯一のココロの音を持ってして生まれる。僕には生まれつきそれがなかった。
「もう君を見て6年ほどになるけど、本当にこんな人は初めてだよ。」
「まぁ、そうですよね。」
医者はいつも通り、カルテに先月と変わらない文言を書いて診察を終えようとする。このやりとりも先月したばかりだ。
「ココロの音がなくて、困ってない?」
「まぁ、困ると言うか、ココロ占いの話題に入れないことがしばしばあるくらいです。」
「それ地味に嫌だねぇ。」
人ごとのようにクスリと笑った医者を見て、心底気分が悪くなる。とはいえ、今日で病院に通うのは終わりにするつもりなので、もうどうでもいいのだ。
「君のココロの音、聞いてみたかったねぇ。」
上着を着つつ帰る準備をしていると、医者はぼやいた。思わず手が止まる。それでも僕の手は、それを遮るようにしてまた動いた。
「今日で定期的な診察は終わりになるけど、また困ったらくるんだよ。」
「はい。」
病院を出た。
右の拳でココロを叩いてみても、何も鳴らなかった。
「お前ってなんでいっつも漢字テスト満点なの?」
「えっ?」
互いに採点して返ってきた小テストには、いつも通り満点である20が崩れた格好で書かれていた。一方、返した彼の点数は毎度お馴染み6点である。今の今まで無言でこのやり取りを繰り返していたのだが、ついにこの日、彼は私に話しかけてきた。
「どうやって勉強してんの?」
「普通にテスト前の5分とかで見てるだけ。」
「俺も5分見てんのにこの差はなんだよ。」
「知らないってば。」
いきなりなんのつもりなんだろう、喧嘩を売りにきたのだろうか。テストを前の席に送る傍ら、私は少し彼に睨みをきかせる。
「あんま勉強してないのになんで毎回満点取れんだよ。こっちの身にもなってほしいわ。」
「だから知らないってば、どうせ本とか読まないんでしょ?」
「本?あぁ、それか。お前いっつも本読んでるよな。」
「まぁ…読んでるけど。」
なぜだかわからないが、怒りがしぼんでいく。冷静になれば、こんなやつ相手にする必要もない。そっぽを向いて話をちょんぎろうとしたところで、いきなり彼はそれを繋ぎ止めた。
「なんかおすすめの本、教えてよ。」
「……は?」
「なんでそんなキレてんだよ!いや、俺本とかよくわからねぇけどさ、俺毎回6点なのいやなんだって。」
「絶対漢字のワーク見てた方が早いって。」
「いいじゃん、せっかくの機会だし!お前の好きな本でもなんでもいいから!」
好きな本、好きな本か。それならいつも持ち歩いている、あの本が真っ先に思い浮かぶ。
「じゃあこれ貸してあげる、私のだから絶対汚さないでよね。」
「えっ、いいのかよ。」
「うん、また6点にイチャモンつけられても困るしね。」
そういうと彼は口をへの字にしたが、早速本を開き始めた。変なやつ、そんなことを思いながら私は前に向き直った。
「なんか、その空ぐちゃぐちゃだね。」
文化祭に向けて作品制作を進める友人に横槍を入れる。彼女の手は止まらないままで、私なんて見えていないようだった。
「まだ、未完成なの。」
「え?」
「この空はたぶん、描き終えられることはない。」
「それまたなんで。」
夕焼けになりかけた空に、やわらかな水色の絵の具がベッタリと重ねられる。
「空にはいろんな顔があるからさ、ずっと、しっくりこないんだ。」
「もう真っ暗だから、帰ろうよ。最近ずっとこればっか描いてるじゃん。」
「なんかもうちょっとで、わかってあげられるような気がするんだけどなぁ。」
それとなく彼女の周りに散乱した絵の具を片付けながら、筆を持つその手を目で追っていた。彼女は一体、何を躊躇い続けているのだろう。でもそんなの知ったところで、私が空みたいに曖昧な彼女を理解してあげられる日は来ないだろうから。
あなたと私でふざけて録音した、30分のラジオ。
12年経った今、この世界で再生できるのは私だけ。
世界でたった一つのラジオ。
あなたは忘れちゃったかな。
ひょっとしたら私のことも、覚えてないのかも。
どうしようもなく寂しくなった時、私はこれを聞く。
たった30分、過ぎ去ってしまった日々を忘れられる。
『このラジオは未来永劫なのだ!』
いつも決まって、あなたの言葉で終わる。
この言葉が忘れられずに過去ばかり見る私を、あなたはどう思うだろうか。