『ミッドナイト』
深夜零時、街の騒めきが嘘のように息を潜めた頃、私はいつものようにとあるBARの扉を開ける。
カチコチと時を刻む古時計。
黙々とグラスを磨くバーテンダー。
客は、私ひとり。
「いつものやつを」
差し出されたのは、夜空を溶かしたような深い紫色のカクテル。
一口飲むと、意識が少しずつ現実から剥離していく。
ここでは、昨日と今日の境界線が曖昧になる。
やり残した後悔も、明日への不安も、この琥珀色の灯りの中ではすべてが等しく「過去」として許される気がした。
「またのお越しを、お待ちしております」
店を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
振り返ると、そこにはもう看板も扉もなかった。
ただわずかなアルコールの熱だけが、口の中に残っていた。
『逆光』
寒風吹きすさぶ冬枯れの中で、咲いている花があった。
夕暮れ時で辺りは薄暗い。
スマートフォンを向けてシャッターを押したが、画面の色合いが暗く、輪郭もなんだかボヤケて写ってしまう。
でも、撮りたいんだよなぁ。
震えながらも健気に咲くこの花を。
少し考えてから、夕陽をバックに撮ってみた。
グラデーションがかったオレンジ色の空に浮かび上がる、影絵のような黒い花影。
うん、素敵。いい感じ。
画像を保存して家路を急いだ。
『こんな夢を見た』
おや、漱石の『夢十夜』か?
今日のお題を見て、まず思ったことだった。
こういうお題の時は、みんなの見た夢の話がいろいろ語られて面白い。
よく、「人の見た夢の話を聞くのは退屈だ」という言葉を聞くけれど、それは取り留めもなく、整合性もオチもない話を聞き続けるのに飽きてしまうからだろう。
文章化されたものは、不思議系のショートショートのようで興味深い。
そう思いながら、みんなの投稿を読んでいく。
ふと、ある投稿に目が止まった。
そこに書かれているのは、昨夜私が見た夢だ。
目覚めると記憶が薄れていくのが当たり前の夢の中でも、一際はっきりと覚えている夢。
その人の過去の投稿も読んでみる。
あれも、これも、全部全部、私が体験したことや、言ったこと、やったことばかり。食べたものや、買ったものまで。
これは、いったい――
そんな夢を見た。
『タイムマシーン』
もしもタイムマシーンがあったなら、過去と未来どちらに行きたいか。
よくある質問だが、私は断然過去派だ。
というか、子供の頃から未来へ行きたいと思ったことがなかった。
あの時ああしていれば。
あんなことをしなければ。
あの言葉を取り消したい。
過去に戻ってやり直したいことがいっぱいある。
それに加えて、年月を経るにつれて会えなくなった人達も増える。
鬼籍に入ってしまった人。
遠くへ行ってしまった人。
疎遠になってしまった人。
そういった人達に、もう一度会いたい。声が聞きたい。話がしたい。
うんと遡って、平安時代の宮中も見てみたい。
歴史に名を残す偉人達にも会ってみたい。
タイムマシーンは浪漫だよねぇ。
『特別な夜』
村の言い伝え通り、百年に一度の赤い月の昇る夜が来た。
この日、村人は一人残らず広場に集まり、一晩中踊り明かさなければならない。
「絶対に、足を止めちゃダメよ」
今はもういない親友の言葉を胸に、私は無心でステップを踏み続ける。
周囲では村人たちが、恍惚とした表情で激しく舞っていた。
奇妙なのは、誰一人として足音を立てていないことだ。
数十人が踊っているというのに、広場は静まり返っている。
ふと、隣で踊っていた誰かがよろけて動きを止めた。
その瞬間、赤黒い靄が辺りを覆い、目を開けるとそこには誰もいなかった。
驚いて周囲を見渡すと、それまで踊り続けていた者たちが一斉にこちらを向き、音のない拍手を始めた。
無事に、乗り越えられた。
これであと百年は大丈夫だと。