『海の底』
深い深い海の底。
そこは光が差さず、静寂だけが支配する世界。
探査艇の小さな窓の外でライトが照らし出したのは、見渡す限りの「本棚」だった。
潮の流れに揺れることもなく、無数の古書が整然と並んでいる。地上では絶滅した革表紙の背には、金箔で文字が刻まれていた。
「……誰がこんな所に」
操縦士が呟いた瞬間、一冊の本が勝手に開いた。
ページから溢れ出したのは、インクではなく、鮮やかな記憶の光。
かつて地上で語られていた恋の言葉、忘れ去られた歌の歌詞。
それらが泡となって窓を叩く。
ここはきっと。
地上から零れ落ちた大切なものを、海が密かに拾い集めて綴じ直した書庫なのだ。
窓越しに手を伸ばすと、ひと際古い一冊に『海底二万里』というタイトルが見えた。
『君に会いたくて』
会いたくて会いたくて震えると唄う曲があったっけ。
私はいま、寒波に震えてる。
『どうして』
「どうして」という言葉には、どこか負の雰囲気がある。
「なぜ」にあるのは、純粋に疑問に思うことや、理解が及ばないことを考えている響き。
「どうして」には、上手くいかなかった事柄や納得のいかない気持ちが透けて見える。類義語は「なんで」だろう。
だからなのか、連続して書き連ねると怖さを感じるのだ。
どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――――どうして……
『寒さが身に染みて』
子供の頃もよく叱られていたけれど、大人になってからもそれなりに叱られている。
コンスタントに、定期的に、そして忘れた頃に。
相手の勘違いや、やり取りの行き違いも含めると、これ死ぬまで無くならないんじゃない?
こんな時は、何か美味しくてあったかいもの食べて元気出すしかないよね。
――と、仕事帰りにお気に入りの和食屋さんに立ち寄ったところ。
値上がりしてるー!
そんな……新年早々……
ああ、世知辛い。
寒さが身に染みるぜ。
『20歳』
「おめでとうございます。今日で二十歳ですね」
そう言いながら市の職員が差し出したのは、分厚い請求書だった。
二十年分の医療費、教育費、食費、光熱水費、住居費、日用品費、被服費、交通費、そして存在維持費。
端数まで細かく刻まれた数字の羅列が、僕の喉を締め上げる。
ふと窓の外を見ると、同じスーツ姿の若者たちが、市役所のロータリーに停められたトラックに次々と詰め込まれるところだった。
支払えない者は、アレに乗ってどこかへと運ばれるのだ。
少子化を極めた我が国は、子育てにかかる費用を全額国費で賄うことにした。国民はそれを喜んで受け入れた。
ただし、それは成人するまでの話。
二十歳になった瞬間に、それは本人負担の負債へと変わる。
さて、と目の前の職員が微笑んだ。
「あなたの返済プランを伺いましょうか」