『木漏れ日の跡』
小さなベランダには、朝のわずかな時間だけ、隣のビルの隙間から光が差し込む。
私はそこに、使い古した籐の椅子を置いていた。洗濯ものを干す時に洗濯カゴをそこに置くとちょうどいいのだ。
三年前に引っ越してきた時から、その椅子は一度も動かされていない。
ある朝、ふと気がついた。
椅子の背もたれが、他の場所――座面や脚など――と比べて明らかに色が薄いのだ。
座面は洗濯カゴが光を遮り、脚の部分はベランダの壁があって日陰を作る。
背もたれだけが、三年前と色を変えた。
わずかな木漏れ日でもこんなに焼けるものなんだなぁ。
私はそこをそっと指でなぞった。
『ささやかな約束』
ご近所のGさんは、いつも小さな鉢植えを大事そうに世話している。
ある日、挨拶の流れでその鉢植えについて聞いてみたところ、こんな話を教えてくれた。
その鉢植えは、Gさんのご主人が定年退職の日にくれたものたそうだ。
ご主人は鉢植えを渡しながらGさんにこう言った。
「この花が咲く頃、ふたりでどこか旅に出よう」
Gさんは喜んで、毎日欠かさず水をやった。しかし数ヶ月経っても花は咲かず、いまだに葉が数枚つくだけだった。
最近、ご主人はそれをとても気にしている様子だとか。
「可愛い人でしょ」
そう言って鉢植えを見つめるGさんは、とても幸せそうだった。
『祈りの果て』
あるところに、老いた修道女がいた。
彼女は寂れた礼拝堂で、今日もひとり天使像に向かって傅いていた。
彼女の祈りはいつも同じ。
「世界が平和でありますように」
五十年間、毎日欠かさず祈り続けてきたことだ。
ある夜、祭壇の上の天使像が彼女に囁いた。
《あなたの祈りは聞き届けられた》
彼女は驚き、窓の外を見た。街は静寂に包まれ、何の物音も喧噪もない。
翌朝外へ出てみると、人々はみな笑みを浮かべ、穏やかに佇んでいた。
誰もが、ただ穏やかに。
働く者も、話す者も、泣く者もいない。
争いの種となるものすべて、富、名声、意志、欲望、感情、そして言葉までもが、祈りによって消し去られていた。
彼女は一度だけ大きく息をつくと、ただ佇むばかりの人々の輪に加わった。
『ティーカップ』
むかし、英国に留学した友人が、お土産にティーカップをくれた。
あちらの蚤の市で見つけたのだとか。
白磁にスイートピーの花が描かれている、可憐で上品なものだ。それに合わせたティースプーンにも同じ柄が描かれている。
一目で気に入り、以来紅茶を飲む時はそれを使っている。
あれから長い年月が経ち、結婚とともに遠くへ行ってしまった彼女とは、疎遠になってしまった。
そろそろ、温かい飲み物が美味しい季節。
今でもティーカップは使い続けている。
『寂しくて』
今日もまた、時計の針が日付をこえた。
シンと静まり返った部屋で、私はベッドに潜り込み、スマートフォンの画面をただスクロールする。
「……さむい」
誰にともなく呟いてみるが、壁は冷たい沈黙を返すだけだ。
メッセージアプリを開けば、グループチャットには楽しそうなスタンプや短い会話の履歴。
私が入れる隙間はない。
冷蔵庫には作り置きの惣菜。洗濯物も畳んである。部屋も、奇麗とは言えないがそこそこ片付けてある。
やるべきことはやっているはずなのに、満たされない虚しさが胸の真ん中に居座っている。
それが、冬の夜の底冷えのようにひたひたと、確かな痛みとして私を覆う。
耐えきれず、ベランダに出た。
夜風は冷たく、街の灯りがやけに澄んで瞬いている。
この街に、私と同じ思いを抱えた人は、一体どれほどいるのだろう。
ぼんやりとそう考えたとき、下の階の窓から小さな明かりが漏れているのが見えた。
誰かが、まだ起きている。
それだけのことが、ほんの少しだけうれしい。
私は冷えた両腕を何度かさすり、再び部屋に戻った。
明かりを消しても、その小さな窓の光だけが瞼の裏に焼き付いていた。