『言葉にならないもの』
書き物をしていると、モワモワと頭の中に湧いてくるものがある。
台詞でも場面でも設定でもなく。
ただモワモワと、湯気のような綿菓子のような何か。
色でも匂いでも音でもないソレを、なんとか掴み取ろうとして四苦八苦する。
文章どころか言葉にすらならないソレに、頭の中の引き出しをひっくり返してピッタリ嵌まる言葉を探す。
ジグソーパズルのように。
大抵の場合徒労に終わるが、稀にカチッと音が鳴るくらいピッタリ嵌まることがある。
そうすると不思議なもので、それまでただのモワモワだったものが一気に収束していって、あれよあれよと言う間に文章が綴られる。
自分でもびっくりするくらいの速さで。
推敲もいらないくらい過不足なく。
それを一度でも体験してしまうと、その気持ちよさが忘れられなくなるんだよなぁ。滅多に起こらないんだけど。
『真夏の記憶』
トマス・H・クックの著作に記憶シリーズと呼ばれているものがあって、そのうちの一冊が『夏草の記憶』だったっけ。
一瞬、それとこのお題を混同してしまった。
本のあらすじは、アメリカ南部の田舎町である女子高生が痛ましい事件の被害者になり、それから三十年後に、彼女に思いを寄せていた主人公の「私」が事件の全容を知ることになる……というもの。
ミステリにおいて、夏をテーマにしたものって主人公が10代の青春ミステリか、田舎を舞台にした郷愁を誘うものが多い気がする。
『こぼれたアイスクリーム』
覆水盆に返らず。
そんな言葉を思い出してしまうのも無理ないと思う。
たった今、買ったばかりのアイスクリームがぺちゃりと間抜けな音を立てて地面に落下した。
咄嗟に手を出すこともできなかった。
ただ、周りの音が消えて、やけにゆっくりと落ちていくのを見ていただけだ。
私が余所見をしてたから。
反対側の通りを、私の彼と私の友達が仲よさげに腕を絡めて歩いていたから。
だから――
彼らの姿が向かいのテナントビルに消えていくのを見届けてから、足元を見る。
あんなに美味しそうだったのに、いまや地面を汚すべちゃべちゃした気持ち悪いナニカだ。
あーあ、もったいない。
でも、もう一度買い直そうとは思わなかった。
「もう、いらないな」
気晴らしに、誰かを誘って映画でも観に行こう。
『やさしさなんて』
目に見えないやさしさがある。
誰かが亡くなった後に、別の誰かから聞かされるやさしさも。
やさしさなんて、人に見せびらかすものじゃない。
けれど、相手に伝わらないやさしさは、なんのため?
それを後から聞かされる相手の気持ちは?
そんなことを考えてしまう出来事が、かつてあった。
時と場合によるし、相手との関係性にもよるけれど。
時にそれが相手を傷つけることもある。
悪意じゃないのに。
善意や親愛からなのに。
やさしさ――なんて、せつなく厄介なものだろう。
『風を感じて』
「走っている車から手を出して、手のひらを進行走行に向けてニギニギすると、おっぱいの感触がする」
そんなしょーもないことでクラスの男子が盛り上がっていた時期があったな、中学生くらいの頃に。
あれはいったいいつ、どこで、誰から始まった話だったのだろう。
結構、全国区で聞く話だと思うんだけど。
同じ風を感じるなら、
《秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる》
みたいな、そういう四季の移ろいを感じたい。涼しい風が吹いてほしい。もう立秋も過ぎたことだし。ね?