『冒険』
危険を冒すと書いて冒険という。
できれば何事においても平穏無事に過ごしたい私とは、無縁の言葉だ。
せいぜい、散歩のときに普段行かない路地にちょっと足を踏み入れるとか、いつもなら着ない色の服を買ってみるとか、耳馴染みのない異国の料理をファミレスで頼んでみるとか、そんなもんである。
それで十分。
それだって勇気とお財布を振り絞っている。
命や生活を脅かすようなこともなく、毎日がちょっと楽しくなるくらいがいいのだ。
『届いて……』
かつて、この時期に届けていたもの。
暑中見舞いの葉書、お中元。
今はどちらも贈らなくなってしまった。
お中元は経済的に負担だったのでホッとしているが、暑中見舞いの葉書はちょっと寂しい。
かもめ~るの販売が終了したのを機に、送るのを止めたのだ。
青空に入道雲
風鈴に麦茶
蚊取り線香が燻る蚊取りブタ
スイカに麦わら帽子
浮き輪やビーチボール
金魚と水面の波紋
海とカモメ
夏らしいイラストが可愛くて、毎年どんな絵柄が出るのか楽しみだった。
今はSNSで一言書き込むだけだけど、普段暑いだのなんだのとボヤいてるので、なんかこう、情緒とか風情とかが届いて……いないよね、多分。
『あの日の景色』
麦わら帽子に虫取り網。
丸ごと水に浸して冷やされた西瓜。
タンクトップに半ズボンで野山を駆け回る子供たち。
窓という窓が開け放たれた家。
風に吹かれてチリンチリンと鳴る風鈴。
日の当たる庭を眺めながら縁側で飲む麦茶。
そんな昭和の夏が、映画や歌詞には出てくる。
まるで日本の夏の原風景のように。
でもさ、これって平成や令和だからノスタルジックに感じるんだよね?
明治や大正の人達は、ちょんまげに着物で団扇を扇ぐ姿を懐かしく感じていたのだろうか。
『願い事』
――やけに具体的な願い事だな。
ショッピングモールの1階中央に飾られた笹竹に吊るされた1枚。
何の気なしに眺めていた中に、それはあった。
ほとんどの短冊が一文で真ん中に大きく書かれていたが、それは小さな文字でびっしりと紙一面に細かく記されていた。
何月何日何時何分に、これこれこういう事が起きますように。
要約すると、そんなことがいっぱい書いてあった。
これはもはや願い事ではなくて予言では?
本当に起こったらびっくりだな、とスマホで写真に収めようとしたが、何度シャッターボタンを押しても撮影できなかった。
できる限り覚えておこうと思ったのに、ショッピングモールを出たら思い出せなくなっていた。
それ以来、毎年同じような短冊がないか探してしまう。
『空恋』
今日は七夕。
だから、このお題なのかな。
空を見上げて恋人を想うか、
空に恋焦がれるか。
空は空でも、青空より夜空のイメージ。
そういえば、カササギは織姫と彦星が天の川を渡る際に橋をかける鳥と言われている。
私は何羽ものカササギがズラリと並んで翼を広げて橋を架ける様を想像していたが、友人にこの伝説を話した時、「でっかい鳥なんだねぇ」と言われて、はたと思った。
カササギ何羽で橋を架けた?
そんな時にはグーグル先生。
検索したら、たくさんのカササギが集まって橋を架けたそうな。
それはいいとして、織姫と彦星は逢瀬を楽しんでいる間、ずっとカササギを踏んづけていたんだろうか。
『波音に耳を澄ませて』
三方を海に囲まれた場所で生まれ育ったせいか、小さい頃から海は身近で関わりが深い。
波音の思い出といえば、キラキラ輝くものよりも、ちょっと不穏なものの方が多い。
よく、海が荒れる時化の前に、祖母や伯母たちがはっとした顔で一瞬動きを止め、こう言ったものだ。
「波の音が変わった」と。
子供心に、その言葉がなんだか怖くて。
理由もわかっていないのに、悪いことが起きませんように、怖いことがありませんように、と心の中でこっそり祈っていた。
祖母や伯母たちにとって、海は日常なのだ。
匂いや色合い、音の変化を敏感に感じ取るのが普通だった。
大人になって海から少し離れた場所で暮らしていても、時折ふと思い出す。
荒れた海の恐ろしい音を。
その前兆を感じ取ろうと耳を澄ませていた頃の自分を。