『心のざわめき』
「よかった、約束通り来てくれて」
隣に座った人に、そう話しかけられた。
なんのことだか分からない私は、出来るだけ関わらないよう、ジリジリと体を反対側へずらす。
「去年の今日、ここで約束しましたよね。来年の今日、また会おうと」
知らない。そんな憶えはない。
誰かと間違われているのだろうか。
少し、怖い。
「憶えていませんか? あなたは忘れやすい人だから。でも大丈夫、私がちゃんと憶えていますよ。ただ、忘れられたままというのは寂しいので、少しお話ししましょうか」
そう言ってその人は、私との出会いと約束を話しだした。
聞けば聞くほど記憶になく、どう考えても私ではない誰かの話としか思えないのに、微に入り細を穿つその話は次第に私の胸に染み渡っていった。
「ああ、着いたようです。さあ、一緒に行きましょう」
この手を取れば、二度と元へは戻れない気がした。
本当に、私は約束したのだろうか。
まったく記憶はないけれど。でも――
心のざわめきを抑えながら、私はどうするか決めた。
『君を探して』
シェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』という絵本を思い出す。
体の一部が欠けた円形の生き物が、自分の欠けた部分を探しに旅に出る話だ。
景色を眺め、歌を歌い、虫たちと楽しく転がりながら旅は進む。
やがて自分にぴったりな欠片を見つけた時、あることに気づく。
人は皆、なにか欠落感を抱えていて、それが時に原動力となって前に進んだりするけれど、満ち足りてしまったらまたそれを不満に思うものなのだろうな。
まだ見ぬ君を探して進み続けている間が、一番幸せなのかもしれない。
『透明』
上記の文章、読めているでしょうか?
今日は透明のインクで書いてみたのですが。
『終わり、また初まる、』
その人は、死者の魂を船に乗せて彼岸へと送り届ける仕事をしていた。
若い娘が亡くなったときも、
働き盛りの農夫が亡くなったときも、
自分の年老いた母親が亡くなったときも、
その人は黙々と魂を送っていった。
「あの人をよろしくお願いします」
「あの子をどうか無事に向こうへ」
残された家族は大抵そう言う。
なぜなら、魂が彼岸へと辿り着けなければ輪廻の輪に入れなくなるからだ。
その人はいつも黙って頷き、船の舳先に灯したランタンを家族に触れさせる。
その仄かな温もりに、家族たちはほっと息をついて見送るのだ。
「つれていかないで」
ある時、親を亡くした幼子がその人にしがみついた。
その人はしばらく考える素振りを見せ、ランタンの灯を触れさせながら答えた。
「人の旅路はここで終わり、また初まる、まっさらな状態で、初めから、何度でも。そのうちのどこかで、出会うこともあるだろう」
幼子は目を凝らし、軋む音を立てながら遠ざかる船をじっと見つめ続けた。
『星』
昔、なにかの本で読んだことがある。
いま見ている星の光は、何百年、何千年、何万年前のものだと。
地球からの距離にもよるけど、基本的には過去の姿だ。
光の速さは秒速約30万km。
1秒前の光ですら、30万kmも離れた場所から来ている。
自分が生まれるずっと前、遥か昔の光を私たちは見ているのだ。
あの星も、その星も、いまでもまだ存在しているのだろうか。
私の目に届くまでに、どんなことが起こっているのだろう。
私がそれを目にすることはないのだろう。
とても不思議で壮大な話だ。