『冬晴れ』
曇りがちな冬の中で、冷たく冴えた晴れ間は貴重に感じる。
あいにく、今現在うちのほうは雨天で太陽は覗いていないけど。
ところで今日、1月6日はエピファニー(公現祭)だ。
イエス・キリストが生誕してから聖十二夜を数え、今日の公現祭でクリスマスは終わりを迎える。
だからクリスマスツリーも本来なら今日まで飾っておき、2月2日のキャンドルマス(聖燭祭)で燃やす。それをしないとゴブリン化するという話もあるのでご注意を。
私はクリスチャンではないので、そこらへんの諸々は関係ないけれど、体調不良で未だ初詣に行けずにいるから古い御札や御守りのお焚き上げをお願いできていないんだよなぁ。
『幸せとは』
禍福は糾える縄の如し。
辛くてしんどくて良いことなんて何もないと思っているこの時が、後で幸せへと繋がる細い糸になることもある。
そしてそれは逆のことも言えるのだ。一寸先は闇である。
幸せとは、なんて真面目に考え出すとロクなことにならない。
些細なことで一喜一憂するのが人なのだから。
今日は手に手を取って微笑みあっている者が、明日には罵り合い唾を吐いているかもしれない。
意味のないつまらない毎日が、後から薔薇色の日々に思えるかもしれない。
幸福も不幸もなく、ただいっさいは過ぎてゆく境地に至るやも――
せめて笑っていられるように、地味にコツコツやるだけですよ。
『日の出』
生まれてこのかた、初日の出を見に行ったことがない。
なにせ寒いので。
そう、あの寒さの中、身を切るような未明の空気の中で、ゆっくりと昇ってくる太陽を待っていられないのだ。
なにしろそれはもう、寒いので。
ありがたさや神々しさを感じる前に凍えてしまう。
経験者である友人に聞いたところ、太陽が姿を見せ始めたあたりから、じわじわと暖かい光に体が包まれていくのが、生き物としての根源的な何かを感じさせて感動するとかなんとか。
とりあえず、霊感商法やセミナーなどに気をつけるように、高い買い物や契約を結ぶときは即決せずに一旦持ち帰って家族や周囲の人間に意見を聞くように、と注意しておいた。
日の光を浴びるだけで幸せになれるのは良いことだが、少々迂闊なところのある友人なのだ。
半魔のヴァンピールだから太陽に耐性があるものの、まったくの無傷というわけでもないのに、困ったものである。
『今年の抱負』
つい二、三日前まで40度の熱を出していたもので、「健康第一!」これに尽きる。
5兆円降ってこないかな〜とか、
日がな一日、本を読んで暮らしたいとか、
そういう煩悩はいくらでもあるのだけれど、突き詰め削ぎ落としていくと、健康が最後に残るのだ。
もちろん心の健康も込みで。
アレがしたいコレがしたいと言う前に、それを可能にする体力がほしい。
例えば今、目の前に積み上げられた図書館本。
クリスマス直前に限度冊数いっぱいまで借りてきてホクホクしていたが、寝込んでしまって未だ一冊も読めていない。
返却日は2日後だ。
1日5冊ずつ読める体力と集中力があればなぁ。
『新年』
新しい年が来た。
ふと思ったのだけど、今のように暦が一般家庭に行き渡る前は、どうやって今日から新年だと判断していたのだろう。
昔は太陰暦だったから、月齢を数えていたのだろうけど、それにしても新月は何度でもやってくるだろうし、そのうちのどの新月を年のはじめとするか定めた基準はなんなのか。誰が決めたのか。
ググってみたら、約六千年前の古代エジプト人が1年は365日だと発見したらしい。
ああ、ナイル川の氾濫とか月の満ち欠けと関係深そうだもんなぁ。
だが、私の言いたいことはそこじゃない。
なにも1年で一番寒い時期を年のはじめとしなくたっていいじゃないか。
もうちょっと暖かくなってからの方がいろいろと動きやすいだろう。
1年の終わりとはじまりなんて、どう考えてもやること多くて忙しいんだから。
それでも既に数千年以上これで定着しているのだから、仕方ない。
あけましておめでとうございます。
炬燵に潜りながらのご挨拶ですが、ご寛恕くださいますよう。