『日の出』
生まれてこのかた、初日の出を見に行ったことがない。
なにせ寒いので。
そう、あの寒さの中、身を切るような未明の空気の中で、ゆっくりと昇ってくる太陽を待っていられないのだ。
なにしろそれはもう、寒いので。
ありがたさや神々しさを感じる前に凍えてしまう。
経験者である友人に聞いたところ、太陽が姿を見せ始めたあたりから、じわじわと暖かい光に体が包まれていくのが、生き物としての根源的な何かを感じさせて感動するとかなんとか。
とりあえず、霊感商法やセミナーなどに気をつけるように、高い買い物や契約を結ぶときは即決せずに一旦持ち帰って家族や周囲の人間に意見を聞くように、と注意しておいた。
日の光を浴びるだけで幸せになれるのは良いことだが、少々迂闊なところのある友人なのだ。
半魔のヴァンピールだから太陽に耐性があるものの、まったくの無傷というわけでもないのに、困ったものである。
『今年の抱負』
つい二、三日前まで40度の熱を出していたもので、「健康第一!」これに尽きる。
5兆円降ってこないかな〜とか、
日がな一日、本を読んで暮らしたいとか、
そういう煩悩はいくらでもあるのだけれど、突き詰め削ぎ落としていくと、健康が最後に残るのだ。
もちろん心の健康も込みで。
アレがしたいコレがしたいと言う前に、それを可能にする体力がほしい。
例えば今、目の前に積み上げられた図書館本。
クリスマス直前に限度冊数いっぱいまで借りてきてホクホクしていたが、寝込んでしまって未だ一冊も読めていない。
返却日は2日後だ。
1日5冊ずつ読める体力と集中力があればなぁ。
『新年』
新しい年が来た。
ふと思ったのだけど、今のように暦が一般家庭に行き渡る前は、どうやって今日から新年だと判断していたのだろう。
昔は太陰暦だったから、月齢を数えていたのだろうけど、それにしても新月は何度でもやってくるだろうし、そのうちのどの新月を年のはじめとするか定めた基準はなんなのか。誰が決めたのか。
ググってみたら、約六千年前の古代エジプト人が1年は365日だと発見したらしい。
ああ、ナイル川の氾濫とか月の満ち欠けと関係深そうだもんなぁ。
だが、私の言いたいことはそこじゃない。
なにも1年で一番寒い時期を年のはじめとしなくたっていいじゃないか。
もうちょっと暖かくなってからの方がいろいろと動きやすいだろう。
1年の終わりとはじまりなんて、どう考えてもやること多くて忙しいんだから。
それでも既に数千年以上これで定着しているのだから、仕方ない。
あけましておめでとうございます。
炬燵に潜りながらのご挨拶ですが、ご寛恕くださいますよう。
『良いお年を』
子供の頃は、新しい年が来ることの意味もわからずに、ただ大人たちや世間の雰囲気に当てられて、「夜更かししても怒られない!すごい!」と、ふわふわした楽しい気持ちで年を越していた。
ありきたりだった年の瀬の挨拶が、少しも当たり前のことじゃないのだと身に沁みるようになったのはいつからだろう。
ふたつ歳上の先輩が、若くして病で逝ってしまった年からか。
身体に怪我はなかったものの、家の一部が壊れ、自然災害で大変な思いをした年からか。
世界規模で疫病が蔓延して、外出もままならなくなった年からか。
おまけに、人によっては来年もまた会えるかどうかわからない、繋がりの薄い関係性の人も増えた。
みなさん、どうかお気をつけて。
あなたもわたしも、良いお年を。
『1年間を振り返る』
いつものお題と違って、このお題はみんなの1年を垣間見る楽しさがあっていい。
普段は作品だけを投稿して自分を出さずにいる人も、普段からエッセイや日常話で自分を前面に出している人も、このお題にはついなんとなく正直な感想を吐露してしまうのではないだろうか。
みんなの投稿ひとつひとつに、その人の顔が見えるような気になって、心の中で声をかけたりツッコんだりしている。
「まあ、そんなことが」とか、
「大変だったんですね」とか、
「平穏無事でなにより」とか。
そういうお前はどうなんだ?と言われると、大枠としては可もなく不可もなく、けれど着実に体力は衰えていて、今は罹患したインフルエンザのせいで年内中は外出禁止です。
ああ、1年の最後が病気療養だなんで締まらないなぁ。