『とりとめもない話』
どうも、今年の町内会班長の当番の者です。
お久しぶりですわね。夏にお庭に埋めてらしたアレのことでちょっと伺って以来かしら?
あの件はすぐに対処して頂けたみたいで、ほっと致しましたわ。ええ、お隣のSさんともね、話せば分かってくださる方でよかったって、こちらへ来る前に話してたんですよ。
時々ね、逆上される方もいらっしゃるから。
少し前にね、可燃物の日にゴミで出した人がいて、困りましたわぁ。幸いすぐに他の方が気づいて、こちらで処分しましたの。本当にもう、行政機関に知れたら大変なのにねぇ。
あら、いいんですのよ。こういうことはお互いさまですからね。
こちらとしても、事が明るみに出て警察やら報道機関なんかが出てくると、煩わしいでしょう?
なにより、ペナルティが科せられるのはなんとしてでも回避しないと……
ああ、いえ。そうそう、今日は町内会費を集めに来たんでした。イヤね私ったら、すぐ話が逸れてしまって。
……はい、確かに頂きました。と、こちらが領収書ね。
そうねぇ、痛い出費ですわね。他所の相場がお幾らなのか知りませんけど。でもまぁ、これで町内の平穏が保たれるなら安いものじゃないかしら。
あ、それと、お独りで暮らしてると伺ってましたけど、同居人の方が増えたのかしら? だとしたら、ご近所さんにも周知しないと。うっかり不審者通報してしまうといけませんからね。
え? 独り暮らしのまま?
あら、じゃあさっきからあなたの後ろを何度も横切ってらっしゃる方は?
ああ、なるほど。そんなに青い顔をなさらないで。そうですわね、お庭から床下に埋め直したんですものね。それなら家の外には出ないでしょうから、放っておいてもいいんじゃないかしら。
まあ、いざとなったら、ご近所トラブル処理係の方にお願いできますから。そのための町内会費ですもの。
あらいやだ! またとりとめもない話で長居してしまったわ。
それではこれで。ごきげんよう。
『風邪』
コポコポと音を立ててケトルから湯気が立ち上る。
湿気で曇った窓ガラスの外は、夜でもわかるほど重く垂れ込めた雲で覆われている。
私が住む地域はめったに雪が降らない。
雪と聞いて思い浮かべる景色は、実際には見たことのないものだ。
三好達治の詩の風景。
ぽつりぽつりと建つ和風家屋。
静かにしんしんと降り積む雪。
咳が出たので、またベッドへと戻る。
“風”に運ばれてきた“邪気”を体に引き込んで体調を崩すから、「風邪をひく」と言うとかなんとか。
ぼんやりと、いつもより回らない頭でそんなことを思い出す。
小さい頃は、親が林檎をすりおろしてくれたっけ。
プリンにゼリー。
くたくたに煮たうどんや玉子の入ったおじやもあったなぁ。
思い出すのが食べ物ばかりなのは仕方がない。
私にとって、「風邪をひく=寝込む」なのだ。
風邪をひいたとき限定のやさしい味を、懐かしく想う。
『イルミネーション』
“今までありがとう、でもごめん”
そんなメッセージが送られてきて、私たちの関係は終わった。
十二月に入り、年の瀬も押し迫ったこの時期に。
相手からしたら、年内中に終わらせて心機一転明るく新年を迎えたかったのだろう。
もう、次の恋人もいるようだし。いや、そういう人ができたから私に別れを告げたのか。
少し早めの大掃除が行われた仕事帰り。
通りがかったイルミネーションの並木道で、元恋人とその腕にしがみつくようにしてはしゃいだ声を上げる誰かを見た。
ふうん。
無意識に鞄の紐を握りしめる。
中には、ついさっき職場で使った塩素系と酸性の洗剤。
それと、返しそびれた部屋の鍵。
まぜるな危険、だっけ。
「天国への道は地獄から始まる」
と、ダンテは言った。
だったら、この美しい天上の風景のような道の先には、何があるのだろう。
綺羅びやかに輝く光の渦を抜けたら、きっとそこは真っ暗で。
ぽっかりと口を開いた地獄が待っているのではないだろうか。
『夢と現実』
こんな夢を見た。
ある日、私が常より大分早く帰宅すると、いつもは駆け寄るようにして出迎えてくれる妻が出てこない。
夕飯の支度でもしているのかと、そのまま部屋へ上がると、ソファに横たわる人影が見えた。
珍しいこともあるものだ、きっと疲れているのだろう。
足音を立てずに近寄ると、すやすや眠る妻の頭頂部に、パックリと裂けたような大きな口があった。
普段は高く結い上げた髪で見えないそこに、真っ赤な舌を覗かせながら開いている口。
まるでサメかワニのような歯がびっしりと生えている。
驚きのあまりよろけてしまい、弾みで物音を立てた。
その途端妻は飛び起き、私の姿を見て取るとすっと目を細めて言った。
「これまで仲良うやって参りましたのに、残念でございます」
そうだ、私たちは仲の良い夫婦であった。
嫁いできたときからずっと、妻は飯も食わずによく働き、私はそんな妻を大事にしていた。
飯も、食わず……?
思い起こせば、妻が物を口にしているのを見たことがない。
そんな人間が現実にいるだろうか。
これではまるで、昔話に出てくる――
「旦那様、おさらばでございます」
妻の手が私にのびる。
腕に、首に、女のものとは思えない力で指が食い込んでくる。
これは夢だ。夢でなくては。
こんなことが現実であるはずがない。
そう念じるものの、一向に目覚める気配がないまま、私の意識は遠のいていった。
『さよならは言わないで』
「僕は退屈なんだ。孤独なわけじゃない。だから、わざわざ追いかけてこなくていい」
残った儚いワインが、グラスの中で揺れている。
私がここへ来たのは慰めるためではなく、諌めるためだったのだと彼も気づいているのだろう。
不意にバルコニーへと出てきた知らない誰かが、私たちの存在に気づいてそそくさと戻っていく。
後を追うべきか迷っていると、黒く塗った彼の爪が、ディナージャケットのウール越しに私の腕に食い込んだ。
「さよならは言わないでおく」
いつにない、子供じみた仕草で私を見る瞳に、胸を突かれる。
その一瞬の隙を彼は見逃さなかった。
強い力で引き寄せられ、唇に何かが押し付けられる。
そしてそのまま私を突き飛ばすように、彼は室内へと戻って行った。
バルコニーに独り残された私は口元を手で覆い、そこに残る熱を感じていた。
室内では主役の帰還に華やいだ歓声が上がっている。
今夜は、彼の婚約披露パーティーなのだ。