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『さよならは言わないで』

「僕は退屈なんだ。孤独なわけじゃない。だから、わざわざ追いかけてこなくていい」

残った儚いワインが、グラスの中で揺れている。

私がここへ来たのは慰めるためではなく、諌めるためだったのだと彼も気づいているのだろう。

不意にバルコニーへと出てきた知らない誰かが、私たちの存在に気づいてそそくさと戻っていく。
後を追うべきか迷っていると、黒く塗った彼の爪が、ディナージャケットのウール越しに私の腕に食い込んだ。

「さよならは言わないでおく」

いつにない、子供じみた仕草で私を見る瞳に、胸を突かれる。
その一瞬の隙を彼は見逃さなかった。

強い力で引き寄せられ、唇に何かが押し付けられる。
そしてそのまま私を突き飛ばすように、彼は室内へと戻って行った。

バルコニーに独り残された私は口元を手で覆い、そこに残る熱を感じていた。

室内では主役の帰還に華やいだ歓声が上がっている。

今夜は、彼の婚約披露パーティーなのだ。

12/4/2024, 9:58:41 AM