『微熱』
あいつのことでやけ酒を飲む君を慰めるのは、何度目だろう。
始めのうちは居酒屋で、盛大に文句を言って潰れる君を、あいつに引き渡していたけれど。
回を重ねるごとに場所を変え、今ではこの静かなBARで、言葉もなく涙をこぼす君を、あいつに知らせることはしない。
もう、いいんじゃないかな。
君は、十分頑張った。
そして、その分傷ついた。
グラスを握りしめる君の手に、初めて触れる。
冷たい指先とは裏腹に、見返す君の瞳には、以前はなかった仄かな熱が籠められている。
このまま熱に浮かされてしまえばいい。
そして僕を選べばいい。
君の唇が微かに震え、僕の手を握り返してくれた、その時。
カランとドアベルが鳴って、誰かが近づいてくる気配がした。
『太陽の下で』
疑問に感じたのは、彼はなぜ外に出たのだろうということだけだ。
そして、安全な家から外に出たこと以上に信じられなかったのは、彼の体がサラサラと灰となってしまったことでも、それと同時に自分の体もボロボロと崩れ始めていることでもなく、振り返った彼が幸せそうに微笑んでいたことだ。
あのままずっと、ふたりで悠久の時を超えていくのだと思っていた。
彼もそれを望んでいたのではなかったのか。
どうして……どうして……
最後に残った小指の爪が塵になる瞬間、遠い昔、まだふたりが普通の人間だった頃、こんなふうに太陽の下で彼がそっとそこに小さく口づけてくれたことを思い出した。
「チーフ、また失敗です。サンプルМが破滅的自傷行為により消滅、それを追いかけたサンプルWも消滅しました」
「またか。どうにもオスの個体は不安定になるな。あの恒星の光と熱に体を晒すようでは、我々の寄生先として危険極まりない」
「どうしましょう。新たなサンプルを用意しますか?」
「いや、もういいだろう。この星はあの恒星に近過ぎる。もう少し先の惑星でサンプルを探そう」
『セーター』
この時期になると、セーターを編む。
一目一目針棒を動かして少しずつ編み上がる様は、まるで曼荼羅か魔法陣のようだ。
アンデルセンの物語では白鳥に変えられた兄王子たちを、末の妹姫が編んだイラクサの鎖帷子でもとに戻していたっけ。
もちろん、やさしい気持ちやあたたかい想いが籠められることも多いだろう。
むしろそちらが本来のものなのだ。
そういえば。
プレゼントされたセーターをよく見たら髪の毛が編み込まれていた、なんて都市伝説めいた話も聞いたことがある。
酷いなぁ。
アレは私の渾身の作だったのに。
白鳥の王子たちは本当に無事に地上に降り立ったのだろうか。
空中で鳥から人間に戻った者はいなかったのだろうか。
一目一目針棒を動かしながら夢想する。
空から落ちてくる美しい半鳥の王子。
あの人も早くこちらに落ちてくればいい。
そして私も――『落ちていく』
『夫婦』
今度の休みどうする?
うーん、どこか出かけようか? 日帰りドライブとか。
いいね。あ、ついでに洗剤とシャンプー買って帰りたい。
食材はいいの?
あー、それも買い足しが必要だー。
寒くなってきたから、通勤時に使うカイロもいるな。
それ言ったら、ボディローション欲しいよ。そろそろカサつくから。
じゃあ、ホームセンター行く?
そだね。夕食だけちょこっと外で食べよっか?
結局いつもと変わらないなぁ。
そういうもんじゃない? どうしても遠出したいわけじゃないし。
まあなぁ、ゆっくり出来ればそれが一番だし。
家が落ち着くって良いことだよ。
うん、居心地がいいのは良いことだ。
夫婦なんて、これくらいが丁度いい。
『どうすればいいの?』
少しの間、スマホが使えない場所にいた――なんてぼかす必要もない。病院で検査入院。
帰宅してアプリを立ち上げ、お気に入りに登録している人達の投稿を読み、どんなお題が出ていたのか確認する。
ほうほう。
もし自分が書くとしたら……
『スリル』『また会いましょう』『子猫』『冬になったら』あたりは、ブラックな落ちになりそう。
『秋風』は範囲が広いな! 真っ先に有名な古今和歌集の歌が思い浮かぶからエッセイ向きかも。
『宝物』『キャンドル』『たくさんの想い出』は、来月ならクリスマス絡みにするのにねー。
などと現実逃避をしてしまった。
留守の間の雨天で籠もった湿気と、溜まった洗濯物と、冷蔵庫に眠っている賞味期限切れの食料品。
どれから手をつけよう。
もう夕方なんだけど。
どうすればいいの?