『夜の海』
ぐるりと海に囲まれた場所で生まれ育ったので、夜だろうが昼だろうが、いろんな海の顔を見てきたつもりだ。
それでも、台風で荒れ狂う海だけは、直に見に行かないようにしている。
――命に関わるので。
お盆の海には入っちゃいけない。
台風の海を見に行っちゃいけない。
このふたつは幼い頃から嫌と言うほど言い含められてきた。
さらに言うと、夜の海にも入っちゃいけない。
これは、身内の怖い体験によるものだ。
で、いま現在。
テレビから次々と映し出される映像を見ている。
夜の海、加えて台風に荒れる海を。
自分なら、いや、地元民なら決して近づかないだろうに、画面の中の人たちは口を揃えて言う。
「安全を確保してお送りしています」
『自転車に乗って』
ヘルメット、よし。
学校の指定カバンを背中に、そして制服のスカート部分はぐるりとマジックバンドで抑える。
前かごに入れておくのは素人のやること。(ヒョイと盗られたら一大事)
スカートをはたかめかせるなんて、以ての外。(車輪に巻き込んで怪我のもと)
チャリ通舐めんな。
今日は風が強い。迫る台風の影響だ。
今夜半から本格的になるらしいが、今のところは風が強いだけ。
そう、つまり登校せねばならない。
なぜ休みにしてくれないのか。
わかってる、雨降ってないもんな。
電車もバスも動いてる。
風だけって思ってるんでしょ?
強風侮るなよ。
こういうシチュエーションは何度も経験してる。
向かい風と自分の脚力が拮抗して、五分以上その場から1ミリたりとも進まなかったこともある。
横風に煽られ、田んぼに落ちて全身泥だらけになったことだってある。(制服のクリーニング代は高くついた)
苦い思い出だ。
自転車通学者にとって、風は大敵である。
しかし、行かねばならぬ。
義理堅いメロスのように、はたまた無謀なるドン・キホーテのように。
いざ、行かん。
『心の健康』
迎え火焚くのは夕暮れ時。
その前に墓掃除に行ってきた。
父を早くに亡くし、母は毎日働き詰めだったので、子供の頃から盆も彼岸も私が掃除に行っていた。
帽子を被り、タオルを首にかけて雑草を抜く。徹底的に根っこから。
雑巾を絞り、墓石を拭く。
苔や汚れが結構ある。
無言でひとり、黙々と作業を続ける。
たまに、同じように墓掃除に来た見知らぬ人に「こんにちは」と挨拶。
買ってきた仏花を飾り、線香に火を点ける。
手を合わせて、心の中で話しかける。
「暑いねぇ、お墓綺麗になってサッパリしたでしょ?」
父亡きあと、母一人子一人でやってきたけど、とうとう母も逝ってしまった。
いつも私の体の弱さを気にかけていたっけ。
まあ、体はそんなに丈夫じゃないけど。
つい先日、熱中症になりましたけど。
帰りがけに仏壇に供える果物買わなきゃとか、お菓子もいっぱい置いとこう、私の好きなやつをとか。
ココロは元気にやっているので!
あとで提灯持って迎えに来るから、楽しみに帰ってきてね。
『麦わら帽子』
私がその人と出会ったのは、かれこれ三十年ほど前のことになる。
私たちは、たまたま列車の向かい席に乗り合わせ、他に大した数の客もなく、なんとは無しにポツリポツリと雑談を交わした。
日差しの厳しい夏のことだった。
ちょうど碓氷峠に差し掛かったところで、その人が言った。
「あの帽子、どうしたかなぁ」
なんのことかと尋ねると、幼い頃、碓氷から霧積へゆく道で、谷底へ麦わら帽子を落としてしまったのだと言う。
「あれは、好きな帽子でねぇ。当時、僕はたいそう悔しかった」
そこへ通りがかった若い薬売りが、懸命に拾い上げようとしてくれたけれど、ついに手が届かなかったらしい。
その話を聞いて、私は思わずため息を漏らした。
人と人とのめぐり合わせは、誠に不思議なものである。
「私の名前は、百合といいます」
突然話し始めた私に驚きながら、その人は先を促すように頷いた。
この名は父の思い出話が由来だ。
ある夏の日に、偶然行き合った母子との束の間の邂逅。
ゆっくりと谷間へと落ちてゆく麦わら帽子。
その時、傍らに咲いていた燃えるような車百合の花。
「父は若い頃、薬売りをしていました」
『終点』
財産目録の作成を手伝わされたことがある。
公証人を目指す友人から、親類のちょっとした財産管理の一環として任されたもので、公のものではないから手伝ってほしいと頼まれたのだ。
公正証書を作るわけでもなく、何かを認証するでもない、棚卸しや片付けの手伝いと似たようなものだと言われ、それならと頷いた。
訪れた家の離れに足を踏み入れた途端、私は呆気にとられて立ち竦んだ。
壁一面に掛けられた絵の数々。天井にも、床にも、所狭しとカンバスがあった。
そしてそのどれもが人の顔を描いているのだ。
陰気な男の顔、無邪気に笑う子供の顔、穏やかに微笑む老人の顔、物憂げに俯く女の顔……
呆然とする私に、友人が言った。
「この離れに住んでいたのは、無名だが一応画家だったらしい」
なるほど、ここにある絵の目録を作れということか。
それから数時間、友人と二人で黙々と作業した。
幸いにもカンバスの裏には日付が記入されていたから、年代ごとに記載することができた。
そうしているうちに気づいたことがある。
これは画家が出会った人々の顔なのだ。
どれも特段目を引く容姿でもなく、日常よく見かける、ふとした表情。
――ある意味、これは正しくその画家の財産だったのだろう。
私は自分の人生の終点で、どんなものを残すだろう。
そんなことを考えていたら、友人が小声でこう言った。
「おい、その画家まだ死んでねぇぞ」
それは失礼。