Open App
8/16/2024, 9:53:31 AM

『夜の海』

ぐるりと海に囲まれた場所で生まれ育ったので、夜だろうが昼だろうが、いろんな海の顔を見てきたつもりだ。

それでも、台風で荒れ狂う海だけは、直に見に行かないようにしている。
――命に関わるので。

お盆の海には入っちゃいけない。
台風の海を見に行っちゃいけない。

このふたつは幼い頃から嫌と言うほど言い含められてきた。

さらに言うと、夜の海にも入っちゃいけない。

これは、身内の怖い体験によるものだ。

で、いま現在。
テレビから次々と映し出される映像を見ている。
夜の海、加えて台風に荒れる海を。

自分なら、いや、地元民なら決して近づかないだろうに、画面の中の人たちは口を揃えて言う。

「安全を確保してお送りしています」

8/15/2024, 3:10:07 AM

『自転車に乗って』

ヘルメット、よし。

学校の指定カバンを背中に、そして制服のスカート部分はぐるりとマジックバンドで抑える。

前かごに入れておくのは素人のやること。(ヒョイと盗られたら一大事)
スカートをはたかめかせるなんて、以ての外。(車輪に巻き込んで怪我のもと)

チャリ通舐めんな。

今日は風が強い。迫る台風の影響だ。
今夜半から本格的になるらしいが、今のところは風が強いだけ。

そう、つまり登校せねばならない。

なぜ休みにしてくれないのか。
わかってる、雨降ってないもんな。
電車もバスも動いてる。
風だけって思ってるんでしょ?

強風侮るなよ。

こういうシチュエーションは何度も経験してる。

向かい風と自分の脚力が拮抗して、五分以上その場から1ミリたりとも進まなかったこともある。
横風に煽られ、田んぼに落ちて全身泥だらけになったことだってある。(制服のクリーニング代は高くついた)

苦い思い出だ。
自転車通学者にとって、風は大敵である。
しかし、行かねばならぬ。
義理堅いメロスのように、はたまた無謀なるドン・キホーテのように。

いざ、行かん。

8/13/2024, 12:43:50 PM

『心の健康』

迎え火焚くのは夕暮れ時。
その前に墓掃除に行ってきた。

父を早くに亡くし、母は毎日働き詰めだったので、子供の頃から盆も彼岸も私が掃除に行っていた。

帽子を被り、タオルを首にかけて雑草を抜く。徹底的に根っこから。

雑巾を絞り、墓石を拭く。
苔や汚れが結構ある。

無言でひとり、黙々と作業を続ける。

たまに、同じように墓掃除に来た見知らぬ人に「こんにちは」と挨拶。

買ってきた仏花を飾り、線香に火を点ける。

手を合わせて、心の中で話しかける。
「暑いねぇ、お墓綺麗になってサッパリしたでしょ?」

父亡きあと、母一人子一人でやってきたけど、とうとう母も逝ってしまった。
いつも私の体の弱さを気にかけていたっけ。

まあ、体はそんなに丈夫じゃないけど。
つい先日、熱中症になりましたけど。

帰りがけに仏壇に供える果物買わなきゃとか、お菓子もいっぱい置いとこう、私の好きなやつをとか。

ココロは元気にやっているので!
あとで提灯持って迎えに来るから、楽しみに帰ってきてね。

8/12/2024, 4:30:57 AM

『麦わら帽子』

私がその人と出会ったのは、かれこれ三十年ほど前のことになる。

私たちは、たまたま列車の向かい席に乗り合わせ、他に大した数の客もなく、なんとは無しにポツリポツリと雑談を交わした。

日差しの厳しい夏のことだった。

ちょうど碓氷峠に差し掛かったところで、その人が言った。

「あの帽子、どうしたかなぁ」

なんのことかと尋ねると、幼い頃、碓氷から霧積へゆく道で、谷底へ麦わら帽子を落としてしまったのだと言う。

「あれは、好きな帽子でねぇ。当時、僕はたいそう悔しかった」

そこへ通りがかった若い薬売りが、懸命に拾い上げようとしてくれたけれど、ついに手が届かなかったらしい。

その話を聞いて、私は思わずため息を漏らした。
人と人とのめぐり合わせは、誠に不思議なものである。

「私の名前は、百合といいます」

突然話し始めた私に驚きながら、その人は先を促すように頷いた。

この名は父の思い出話が由来だ。

ある夏の日に、偶然行き合った母子との束の間の邂逅。
ゆっくりと谷間へと落ちてゆく麦わら帽子。
その時、傍らに咲いていた燃えるような車百合の花。

「父は若い頃、薬売りをしていました」

8/11/2024, 6:41:06 AM

『終点』

財産目録の作成を手伝わされたことがある。

公証人を目指す友人から、親類のちょっとした財産管理の一環として任されたもので、公のものではないから手伝ってほしいと頼まれたのだ。

公正証書を作るわけでもなく、何かを認証するでもない、棚卸しや片付けの手伝いと似たようなものだと言われ、それならと頷いた。

訪れた家の離れに足を踏み入れた途端、私は呆気にとられて立ち竦んだ。

壁一面に掛けられた絵の数々。天井にも、床にも、所狭しとカンバスがあった。
そしてそのどれもが人の顔を描いているのだ。

陰気な男の顔、無邪気に笑う子供の顔、穏やかに微笑む老人の顔、物憂げに俯く女の顔……

呆然とする私に、友人が言った。
「この離れに住んでいたのは、無名だが一応画家だったらしい」

なるほど、ここにある絵の目録を作れということか。

それから数時間、友人と二人で黙々と作業した。
幸いにもカンバスの裏には日付が記入されていたから、年代ごとに記載することができた。

そうしているうちに気づいたことがある。
これは画家が出会った人々の顔なのだ。
どれも特段目を引く容姿でもなく、日常よく見かける、ふとした表情。

――ある意味、これは正しくその画家の財産だったのだろう。

私は自分の人生の終点で、どんなものを残すだろう。

そんなことを考えていたら、友人が小声でこう言った。
「おい、その画家まだ死んでねぇぞ」

それは失礼。

Next