Open App
7/19/2024, 7:09:45 AM

『私だけ』

暑い。
葉書を投函して汗を拭う。
ちょっと首を傾けて投函口を覗くと、もういっぱいになっているのが見える。

そろそろ、このポストも溢れるかぁ。
次のポストは小学校の向こう側だ。
「かもめ~る」懐かしい響き。
暑中見舞いの葉書、夏らしいデザインのものが毎年出ていて、良い風物詩だったんだけどなぁ。

この国のみならず、世界中が高温期に入ってどれくらい経っただろう。
もう数えるのもやめてしまった。
あまりの暑さにいろんなものが溶けた。

樹脂で出来たもの
石油から精製したもの
それから――生き物

こんなことになる前は、「暑い〜溶ける〜」なんて軽口で言ってたな。
まさか本当に溶けるとは思ってもみなかった。
目の当たりにした時は、びっくりした。

しかし、さすがに鉄製の郵便ポストは溶けてない。
強い。頑丈。
今のところ。

さて、明日は小学校の向こう側に足を伸ばさなくては。
暑中見舞いは風物詩ですから。
使命感に燃えるよね。

だって、溶けてないのは――私だけ。

7/18/2024, 2:03:34 AM

『遠い日の記憶』

一番古い記憶といわれて真っ先に思い出すのが、ひとつの風景。

大きな窓枠。薄暗い室内。
窓の外には青々とした田んぼ。
真っ青な空。眩しいほどの日光。
おそらく夏。内と外の明暗のコントラスト。

その話を親戚にすると、それは私が赤ん坊の頃住んでいた家だと言う。
田んぼの横の一軒家で、まだハイハイもできない頃、ちょっとだけ借りていた家らしい。

「そういえばおまえ、そのころ野犬に襲われたんだぞ。物音がするから様子を見に行ったら、大きな黒い犬がおまえの上に乗っかっていてな」
「そうそう、大きな犬が口を開けて噛みつこうとしてるのに、キャッキャキャッキャ笑って喜んでいて、肝を冷やしたわ」

……はて、そんな記憶はないな。

7/17/2024, 7:36:14 AM

『空を見上げて心に浮かんだこと』


空を飛びたいと思ったことはないが、空に落書きをしたいと思ったことなら何度もある。

この空いっぱいにお絵描きしたら、さぞかし気持ちよかろう。
いや、絵心がないから、ちょっと描き加えるか色を変えるだけでもいい。

薄い曇り空なら、水色の線を
濃い曇り空なら、真紅の点を
雨空ならば、レモン色の雫を
雪空ならば、スミレ色の結晶を

快晴の青空には、そうだな……
やっぱり白が合うよね、真っ白な雲がベスト。

雲といえば、ふかふかの綿雲に乗って空を漂うのもいいな。

空を見上げると、よしなし事がいくらでも心に浮かんでくる。


7/16/2024, 9:56:43 AM

『終わりにしよう』


「ふう、もう今日は終わりにしよう」

モニターを眺め疲れた眉間をぐりぐりと揉んで、首を左右に傾ける。

画面の中では、かつては青く美しかった彼の作品が、随分と色褪せ、赤茶色に変色してきていた。

「だいぶ濁ってきたなぁ」

それに煩雑で喧しく、見ているだけで忙しない。以前は、もっとゆったりのんびり眺めていられたのに。

手を加えることもチラリと浮かんだが、もう手遅れな気がする。
いっそ作り直すか?
いや、面倒だな。


「もう、全部終わりにするか?」


いやしかし、と腕を組んで考える。
これでも結構、愛着があるのだ。
なにせ46億年も眺めていたのだから――


7/14/2024, 11:18:42 AM

『手を取り合って』

これまでずっと、過去に戻りたい、人生をやり直したいと思ってきた。

あの時、ああしていれば
あの時、あちらを選んでいれば
あの時、あれを諦めなければ

周囲と比べることはしなかったけれど、それは単に優越感や劣等感の対象を周りに求めなかったからだ。
自分が嫉妬するのは、あり得たであろう別の選択肢を選んだ自分。

実に滑稽。
みっともないこと、この上なし。

そんな自分が、近頃人生をやり直したいなんて、これっぽっちも思わなくなった。
この歳にしてようやく、である。

だって、どこからやり直す?
これまで何度、選択を間違えた?
それは本当に間違いだったか?
やり直したところで、死ぬまで失敗も後悔もしないなんてこと、ないよね?

それならいっそ、この滑稽でみっともない自分と手を取り合って、山あり谷あり奈落あり。
数多の失敗や間違いを笑い飛ばしてやろうじゃないか。


Next