【秋の訪れ】
我が家の簾をひらりと揺らして、
きみが家の中を走り回る。
縁側に吊るした干し柿をつまんで、
囲炉裏の起こした炎を消して、
七輪で焼く魚の匂いに釣られてくる。
きみはいつもこの季節にやって来る。
私が寂しくないか確かめるように…。
そんな優しい子を我が子に持てて、
私は本当に、本当に幸せでした。
惜しむらくはきみの大人の姿を知らないこと。
それでもきっと、あなたは優しく思いやりのある、
素敵な男性に成長したのでしょうね…。
私の好きな赤いコスモスの花を持って、
あなたが手を引くあなたの子を…私の孫を、
毎年毎年こうして会わせてくれるのだから。
【旅は続く】
それでも、旅は続く。
行き先も分からず、目的も分からず。
ただ同じ過程を繰り返すだけの旅―――。
だけどひとつだけ分かるのは、
その旅が、私のただひとつの望みだということ。
その先に願ったことはすでに擦り切れ、
白紙に向かうような道だとわかっていても、
旅を続ける――それだけが私を維持する。
何百万、何千万、数億の旅を続けようとも、
私が私である限り、旅は終わらない。
【永遠なんて、ないけれど】
ここにあの人の遺した言葉がある。
軌跡が、文書となり、文書が、石碑となり、
石碑が、歴史となり、歴史が、紡がれる。
永遠なんて、ないけれど―――永遠は確かにある。
けれど只人である私たちに、
永遠は…存在しないのでしょう。
それは神に愛された者たちだけに与えられるものだから。
【涙の理由】
ときおり、理由(わけ)もなく涙が出ることがある。
もちろん映画に感動したとか、小説に感情移入したとか、とりとめのない理由で泣くこともあるけれど。
けれど、一番はっきりと覚えている涙の理由は、
―――あの人にもう二度と会うことができない。
その真実を突きつけられたときかしら?
記憶というものは残酷だわ。
声も姿も、匂いも温もりも、
すべて、すべて忘れてしまう。
あの人の存在が…無になるの。
そうしてあの人を完全に失ったとき、
わたしは人目も憚らずに泣いていた。
人生であれ以上に泣いたことなどないくらい…。
【コーヒーが冷めないうちに】
こぽこぽと、音を響かすサイフォンに耳を傾け、
コーヒーの香ばしい香りに包まれてあなたを待つ。
薄暗くなってきた夕方の店内、静かなクラシック、時計の針だけが時を刻み、扉が開くその瞬間まではまるで刻が止まったようにも思えてしまう。
一昨日、あなたは来なかった。
昨日も、あなたは来なかった。
今日、あなたは来るのかしら?
小さな期待と、わずかな失望。…そして一縷の望み。
その全てを両手に抱えて、私はあなたを待ち続ける。
扉が開く。鐘がなる。カウンター横の猫が飛び降り、爽やかな風が入り込み、顔を上げた私の瞳に映ったのは………いったい誰だったのだろうか?