タイムマシーン
休日の昼間、エンジンに火を入れた。17のとき、自分の金で初めて買ったバイク。たまに乗らないと、動かなくなる。動かなくなっても生活には困らないが。それでも定期的に走らせていた。
古い友人の訃報が届いた。もう何年も会っていなかった。会わなくなった理由は何だっただろうか。何かあったはずだが、思い出せない。そのぐらいの些細な口喧嘩だったと思う。時間が経てばそのうち。そう思って、結局そのまま終わってしまった。
整備を終え、出発した。街を出て、郊外に出た。あてもなく走り続ける。
過去に戻れたら、そう思わなくもない。けど、タイムマシーンは悪魔のマシンだ。過去を悔いろと頭の中で喚き立てる。
広い道に出た。そろそろ日が沈む。ライトを点けた。トルクが上がり切る前にギアチェンジする。
悪魔に言われなくても、後悔など腐る程ある。だからといって立ち止まるわけにはいかない。
再びギアを上げる。もっと、もっと速く。スピードを上げろ。過去に追いつかれないように。
特別な夜
服を着たまま、プールに飛び込む。誰もいない真夜中の学校。
水中には、時間もルールもくだらない常識もなかった。
自分の意志に水が抵抗するたびに、自分の存在を感じる事ができた。
転校することが決まっていた。最後の日だった。
すばらしい夜。
飛び込んだのは、最後の日だからだった。なぜもっと早くやらなかったのか、悔しさが冷たい。
海の底
朝四時。この時間でもそれなりに車が走っている。
ヘルメットを被り、バイクに跨った。荷物を確認してから、ゆっくりと出発する。
緩やかな下り坂。寄り道せずに三時間。ただひたすら一本道。
地面はコンクリートだが、両側と上部は海が見える。さながら、水族館のトンネル水槽そのものだ。等間隔で照らす照明が、神秘的な海の世界を見せてくれる。いやはや、日本の科学技術の進歩は、実に素晴らしい。
とは言うものの、感動は、新聞配達を始めた数週間だけだった。慣れてしまえば、地上の日常の様に順応した。人間の感覚とは恐ろしいな。
恐ろしいと言えば……。
このトンネルと海底の街は、国の威信を掛けた、大規模公共事業だ。当然ながら、政治家が主導的に関わっている。
今日の朝刊の一面は、『裏金事件で国会議員三名逮捕』だ。
今更だけど、このトンネル……。本当に大丈夫かな。
君に会いたくて
歯を磨いて家を出た。
隣の家にしのび込み、一番高そうなスーツを盗んで着た。
つぎに、街の靴屋で一番高い黒の革靴を履いて、そのまま出てきた。
そのあと、デパートでブランド物のネクタイを盗んで結んだ。
途中でシルバーの外国車を盗んで走った。
前の車も全て追い抜く。赤信号もノンストップ。アクセル全開だ。
待ち合わせの近くで気付いた。
しまった。花を忘れた。いつも僕は、一番肝心なところが上手くない。
閉ざされた日記
五歳の時。初めてひとりで留守番をしていた時だった。ごめんください、の声を聞いて玄関に行くと、荷物を背負った男が立っていた。
品の良い中折れ帽を取りながら、貸本屋です、といった。字が嫌だ、と言ったら、ならこれを、と背負子から赤い本を差し出した。開いてみると、真っ白だった。男を見返すと、寝る前に読んでください、そういって去っていった。
夜、再び開いた。すると本のページから小さな光の玉が飛び出し、額の中に侵入してきた。その瞬間、眩しい映像が一気に流れた。これは……。
どうやら人の記憶のようだ。生まれてから死ぬまで。この記憶は、お医者さんみたいだ。頑張って勉強してお医者さんになって、沢山の人を助けて、助けられなくて。そういう映像が頭の中に映った。家族の映像もある。この人はなかなか幸せそうだった。
目が覚めた。朝だった。気になって本を開いたが、真っ白のページがあるだけだった。
それから毎晩、1ページずつ開いた。光の玉がいろんな人の記憶を映してくれた。新聞記者、先生、蕎麦屋さん、政治家、ケーキ屋さん、野球選手。よく笑う人、よく泣く人、外国の人、病気の人、誰かを心配する人、有名な人もそうじゃない人も。毎日、一人の記憶を見た。
時が流れた。私は、ベッドにいた。
全身だいぶ痩せた。こうやせ細った腕では、もう本のページをめくる力も出ない。
でも良く生きた。いい人生だった。
失礼しますよ、と声がした。閉じかけの目にうっすらと影が見えた。中折れ帽だった。
お代を頂戴に上りました、軽く帽子を取ったしゃれこうべがいった。
充実された人生のようで何よりです。ああ、何も心配はいりません。どうか安らかに。
そういって私の額に指を突っ込んで、光の玉を取り出した。しゃれこうべが玉を本に挟むのを見て、私はそっと瞼を閉じた。