木漏れ日。
ネットで検索をかけてみると、日本語でしか表現できない繊細な美しさが込められているという。
英語だと「Sunlight that filters through the leaves of trees」。
木々の枝葉がフィルターとなって、森に降り注ぐ日光を細かく刻んでいく。もちろん枝葉とは、高さや木の形にしたがって階層になっているわけで、葉の数量は均等でない。葉の表面の模様に従い、細かく反射する。地面に到達する頃には独特の光加減となって、やわらかい雰囲気になってくれる。
森林浴なんて、人生でやったことは3回もないのだが、想像できるのはとても良いことだ。木漏れ日の空を見上げると、そこには無数に散らばる陽の光の雨が。
雨宿りならぬ日射宿り。
イメージとしては、ジブリ作品のトトロみたいな鬱蒼とした森。何か、祀られた重鎮の、そのお膝元である林道にて。古びたバス停留所がある。
バス停は、掘っ立て小屋が付属している佇まい。
小屋は、本来は別の目的で建てられた感じ。その昔、石地蔵の祠が居て、それが撤去されて小屋だけ残った。転用してバスを走らせた。以降、忘れた時代を二つ三つ。この、阿婆擦れ加減の長寿命。
ちょっと風で揺らしたら、もう原型なく崩れ去るだろう。みたいな、ふらふらとした立ち姿。
一歩入ってから、頭上を見上げてみる。屋根裏は夜の空の薄雲のように、蜘蛛の巣で蹂躙と化している。
外側の横や屋根は、虫で喰われた隙間や風雨と風化で脆くなってしまった木材の塗装が。有り体に言えば、剥げてしまっている。釘とかも飛び出たまま。危ないまま、今まで放置されっぱなし。
そんなバス停の小屋としての役目は終わり、既に廃線となって、いつまで経っても、いつまで立っても、バスは来ない。と思っていたら、バスが来る。
まあ、そんな架空を書いたんだけど。
あとでトトロのバス停見たら、小屋なかったわ。
バス停の、あの置物だけ置かれている。上が丸っこくて、「稲荷山」みたいなのが書かれてあるやつ。
そういえば、図体のでかいトトロがドシンと揺らして、でっかいハスの花でドドドと雨粒受け止めてたな。
まあ、シーンとして描かれませんでしたが、アソコが木漏れ日である可能性は、無きにしもあらず。
ラブソング
当たって砕けろ的に、直接言えばと言われるけれど。
それだとおみくじ的に結果がすぐに分かって天国地獄。
気持ちの整理をつけようと、紙にしたため天へと掲げ。
口上文句のように声高々と言葉にすると、リズムとメロディが思い浮かぶ。
ひらりひらりと花びらの散る。
風の音は、きっと爽やか。
歌詞を俯瞰してみれば酸っぱいブドウ。
しかし、赤葡萄酒の熟成期間によれば、長期間であればあるほど深みのあるフルボディ、赤みの強い色合い。
あとから見れば、あとの祭り。
ワイングラスのかち合う音。
それはある晴れた日の、鐘の音の白い教会。
・手紙を開くと
手紙を開くと、なんだこりゃ。怪文書?
筆記体で出来た英文だ。海外に友達なんていない。なのに、これが送られてくるなんて。
他に何か入ってないかな? んっ? なんだこれは。植物の種?
こんな事が数年前にあったらしい。中国からの贈り物。
アレの真相は、闇の中。結局なんだったのか。ジャックと豆の木位、想像したい。
「今から観光客としてやってくるからな。その餞別だ。ただでやるから受け取っておけ」
そんな意味じゃないか。
・すれ違う瞳
ここ数年の都内某所は、なかなか髪色変えが目立ってきていて、会社員以外の奴らが髪を染めて歩いてきている。黄色、緑、青、赤。茶髪にインナーカラーて黄色とかもある。
職場だと、一部分に灰色とかもあって、何ですかそれ? みたいな感じ。
50歳後半の初老女性とかで紫髪とかいた。関西じゃあるまいし。ここ関東だし。白髪染めも多様性があるのだろう。
そう考えてみると、瞳に関しては注意深く見ることがなかなか無い。きっと黒だろうと決めつけているからか。まあ、人の瞳の奥をみる機会なんてそうそう訪れるものでもない。
それよりも、虹彩の模様とかのほうが気になるなって。
観察眼を呼び込みたい。
青い青い。
理由あって、日暮里舎人ライナーに乗っていた。
初めて乗る電車?なので、乗り心地とか乗客など通常時とは違っている。
僕は終点に降りる予定でいて、だが、舎人公園駅でほとんどの乗客は降りていった。舎人公園には何があるんだ?
調べてみると、ネモフィラが見頃らしい。
青い花の定番である。
「まさか、それ目的で降りていったのか?」
おかしい。だいたい、ファミリー層なのである。子どもが、ネモフィラとかいう雑草みたいな花興味を持つわけない。
きっと他に理由があるはず。
と、思っていたら終点に着いた。
日暮里舎人ライナーの終点は、見沼代親水公園駅である。公園というより、細長い水路に緑道があるタイプなのだが、未就学児などは水路の中に入ることができる。
近所のガキンチョが、5月なのに裸足で入って、水路にいるらしいザリガニやメダカなどを探し回っている。
そう、コレだよコレ!
と思いつつ、水路沿いを行く。
「Sweet Memories」
英語だ……。
まったく気乗りしない。
甘い記憶、甘い思い出か。
と思ったら、MemoryがMemoriesと複数形になっていることに気付いた。この違いは何なのだろう。思い出が複数個あるとは、どういうことだろう。
調べる打鍵音を響かせる。
ネットによると、Memoryと単数系ならば、思い出の中で特に思い出深いもの……「あの日の思い出」のような感じになる。
記憶という意味に近い。人々が過去の出来事や経験を振り返る際に用いられる言葉で、単数系であればその時の感情や知識を含むことが多い。
一方、Memoriesと複数形ならば、「子供の頃の思い出」、「忘れられない思い出」と、複数の思い出を指す。
例えば、海の匂いを嗅いだら、子供の頃家族と行った海水浴やプールなどの様々な思い出が呼び起こされる……。
感情、五感を刺激するものがキーとなり、その後連鎖的、羅列的に物事を思い出すようだ。
Sweetについても検討しなければならない。
これも同じく調べてみると、心地よい、愛らしい、親切などの意味で使われる。さらに、音楽や芸術作品において、Sweetは美しい、魅力的な、などの意味がある。
「Sweet Room」という言葉を思い出した。
これは、高級ホテルの一番高い部屋という意味だが、これには後者の「魅力的」に近い意味を持たせているのではと思う。記憶的に甘い部屋なら、高級ホテルではなくて、夜を回してばかりいる繁華街の方のホテルが適当だ。
「Sweet Memories」とは、甘い思い出ではなく、魅力的な思い出たち、と解釈しても良いだろうか。
こんな風に脱線することで文字数を稼ぐことにして煙に巻いた。複数形だから、仕方ない。今回はハズレ回ということで、また今度にする。
英語お題は毎度困る……