22時17分

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4/20/2025, 9:32:49 AM

影絵

先日板橋区立美術館にて『エド・イン・ブラック』展なるものがあった。SNSで、誰かがリポストされた本美術館の宣伝ポストをみて、「黒ってかっこいい」とか思ったのである。
黒から見ていく浮世絵・江戸絵画、という感じである。
黒い色彩で夜や闇、影を描き出すことに、何ら不思議はなかったのだか、この絵画展で面白さの理由がちょっとクリアになった。
本来、夜は見えないのである。
黒に塗りつぶされて、ではなくて、明かりがあるから周りが夜だとわかるのである。この感覚を説明するのは難しい。色彩を感じるな。今すぐに明かりを消して、夜を感じろ。というわけにもいかない。室内に入る夜の振る舞いが、都内だともう明るすぎるからだ。
自然林にぽつんと一軒家。そんくらい現代から取り残された生活が望ましい。風の寝息が聴こえるくらい、音もないのが良い。電波もない方が良い。無いな今。

風というのがポイントらしい。今のように、風の動きで邪魔されない毅然とした光ではない。ロウソクの小さな炎なのだ。だから、息を吹き消して消灯するといった、風の動きが関連するのだ。
女の息遣い。火を吹き消す情景……。
かつて平安や室町などの上流貴族たちが、室内の微かな灯りで急いで手紙を読んだり、本を読んだり。山車のそばに付けた行燈(歴史詳しくないから用語分からん……)など。目的に応じた必要最低限の光(炎)のみおこしていた。灯りは揺れる。闇討ちとか。山から降りてくる夜行性肉食動物たちのリスクとかもあったと思う。
一方庶民は、太陽の陽の光とともに生活リズムが決まっていた。明かりを灯すこと自体贅沢。日が沈んだら就寝し、日が昇ると起きる。このように早寝早起きは庶民の生活から来ている。今は上流貴族たちのように、夜更かしするのが主流。

それじゃ、夜の風景とか、どう感じ取っていたというのだろう? 灯りがないなら真っ暗じゃないか。月明かりがあろうとも、全景が明るい訳ではなく、多分に芸術家の想像を加味されている。
ディテールは昼の時。色彩は夜の時。
それを紙面上にて重ね合わせている。今のように動画や写真、画像なんてなかったのだ。だから、脳内でやったのかな。いや、下書きは昼の時に描いて、で、夜の風景は目に焼き付けて、翌日描く。一発描きみたいなものだから、覚えがない部分はまた夜を見て翌日……というのは凡人の発想だな。

今の当たり前とは、如何に明かりが灯されているかである。夜=黒とは、簡略化されている。普段夜と感じていないからだ。赤を見て太陽を連想するように、黒を感じて夜を想像しているに過ぎない。

影絵は江戸時代くらいにできたっぽい。
影は、地面にできるものだと。光が落ちる途中で物体に当たることで、本来到達するべき光の軌跡から地面との交点まで影ができる。日向、日陰の境は曖昧で、そこに黄昏時の、異界の門が覗く。
その常識を逆転させたものが影絵だ。光の前にいくつかの物体を動かすことで、回りくどいことをする。
輪郭にこだわらないと、影は影絵として成立しない。
黒一色の影絵で見たら遜色ないのに、実際見たら異界の住人。そんな異界要素を動きの芸術品に仕立てる。黒って面白い。

4/19/2025, 9:20:27 AM

物語のはじまり

書いたような気がするお題なんだよなあ、と過去の書いたものを検索したが、ヒットしない。
既視感が強いのだ。「物語」で書いたんかな。自分で書いたというのによく覚えていない。
こんな風に記憶の拗れではじまるのが、物語である。偶然性の多寡による、作者の頭の中で繰り広げられた戦争の残火。

燻った火が何かの拍子で燃え広がれば、それは全力で燃え広がらねばなるまいて。
自然的欲求の産物。大半は逃げ惑う人々。
しかし、立ち向かわなければならない、消火活動中みたいなもの。何かに突き動かされ、よく分からないまま外出する義務を負う。

消防車の酷似したキャンピングカーで一人旅。
走る所はいつも戦争跡地。誰かが戦い、誰かが散った。誰が悪かった、誰が助かった。想像するしか宛がない。
がらんと鎖国した土地が広がっている。干乾びた肉眼では見えないが、腐葉土になる前の腐敗ガスのような、熱量の持ったくすぶりを感じ取ると、赤色の極彩色を纏った車を停める。
ホースを持って人力スプリンクラー。
想像しろ。ここには燃え盛る燎原の炎。広がっている。拡大している。車と同じく、赤い赤い……。
炎の中にポッと隠れ潜む、塹壕跡。
あったら嵌まらないよう気をつけるが、なんせ太いホースから出る水の勢いに、身が持ってかれる。
ふとした拍子にすってんころりん。こんなところに陥没穴が。車輪の轍のちょうど中間だったのか、と思っていたら激突。20メートル深の穴の底。クラクラ、頭がクラクラする。
地面に手を押して、押し付け、すると硬い物。
手のひらサイズの石ころで、虫めがねで確認すると、キラリとする、みっけた。
ダイヤモンドの輝きを見つけたら、いつも彼は月夜に掲げる。


「手放したくない」と思ったのが始まりだ。
救援の手綱代わりのホースが垂れている。消防車用のホースだから、先から滝のように水が流れ落としてくれるが、一向に冷たい湖になってくれない。土がすべてを吸収しているのだろう。
が、彼は気にしなかった。たとえこの世がミイラになろうとも、この輝きは決して衰える様子はないのだと、眼差しはしっかりと見上げていた。
石を通して、月が見え、……クレーターを写し取る。
トパーズよ、月になれ。宝石は浮かび、彼も浮かぶ。ついでに消火活動中のキャンピングカーも浮かび、世界に天国の雨を降らした。

4/18/2025, 9:59:37 AM

静かな情熱。
※転載用にルビを使ってます。

だいたいが当てはまると思う。
人の作った物全般的に、このような冷めやらぬ熱とやらが込められていると思う。
静物、人工物、機械、部品に至るまで、時代を問わず始終汗を垂らし、労働力として捧げてきた。肉体労働問わず、頭で主に行う計算でもそうである。
経済学や文学、広告デザイン、動画、色の配置、キーセンテンス、会議、朝礼当番など、制限時間ギリギリになるまで、もしくは丁々発止と激論を交わし、何かとともに押し込めるように時間を押し込み。
そうやって静かな情熱を込めてこれまでやってきたのだ。

分かりやすい情熱と分かりにくいそれがあって、後者に当てはまるだろう。静かな情熱……、この場合の静かとは、熱の温度ではなく、耐熱容器の性能の高さによるだろう。水筒の魔法瓶の構造のように、中身の温度を|逃《にが》さず|逃《のが》さず。飲む瞬間に解き放つために。そうやって耐え忍びを堪え、力を蓄えるように堪え、純度の高い硬質の火成岩を、マグマ溜りのすぐ近くに据えている。

だが、少し思うのは、この場合の情熱には果たして質量があるのだろうか、ということだ。
だいたいの人工物にこの静かな情熱が込められているのであれば、時代の変遷とともに軽くなるのではないか。
人間の指先すら不要になる。指輪に嵌められた人工サファイアもまた輝かしいように、光では真贋の見分けはつかない。
特に今後はAIが主流となるらしい。
最近は、ファクトチェック、ファクトチェック――とAIに命令して、人間の傲慢な勘違いを見つけて嘲笑っている。
2030年頃には万能AIが登場するのでは、とされている。プロンプトを打て。さすれば15分程度の動画が自動的に生成される。
ただでさえ情報の氾濫と呼ばれる昨今。自動的botのようにまとまった文書がとめどなく溢れ出てくると、様々な陰謀論がネット中を歩き回るだろう。
そうやって、静かな情熱は、賑やかな冷徹で以てネットの海が再構築される。
モーセが海を割る。
そのような先導者が現れる限り、いつまでも氾濫は収まらない。
魔法瓶はどこに漂流している?
魔法瓶はどこのドイツが持っている?
AIに聞かねばいちいち動かない頭。アタマウチ。

4/16/2025, 1:03:19 PM

遠くの声

芸術品を見ていると、遠くの声を聴いているような気分にさせる。特に絵画。ひと筆ひと筆の、微量のついた作者の息づかいが、彩色塗料に紛れて付着した。
遠くの声。時代を越えて、聞こえるなんて、壮大な計画。物理的な距離を越えてくるとは、もはや精神的な意思疎通と言っても過言ではない。
ふと、目を閉じてしまう。こういう事をしてしまうから、作者の思うつぼ。

4/16/2025, 9:55:02 AM

春恋

春の陽気な日に恋をすること、みたいな意味で良いですかね。
恋愛をすることの例えとして「春が来た」とも言うらしい。春が来ると花が咲き、暖かい日差しが降り注ぎ、それを見て心がざわつくほど嬉しく思う。そんな感情ごとほわほわと温まる感じな恋をすることと同じ、という意味もあるらしい。春が来た。Spring is coming。春は「動」という意味があるのだそう。
そうや、冬は「静」。動物たちは冬眠から目覚め、春はあけぼのするんやった。

最近は、お代をサボってしまうことがよくあったので、これが原因ということにしたい。よい理由(言い訳)が出来ました。まあ、挽回ならぬ卍解(ネタ古い)したので、遅れたところを取り戻したのでよかったと思う。

これからも気軽にサボってこー!

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