大空から逃げるように、暗い洞窟の奥へと入っていった。
闇に生きる者は、先祖代々から日向を歩くことを禁じられてきた。
夜間のみ、自由に出歩くことができる。
陽光で地表温度が上がってくると、陰から陰へ、飛び移る事ができなくなる。
大空はいいな、と思うことがある。
しかし、憧れても大空を飛ぶことはできない。
アリの巣を作るアリのように生きろ。それが闇に生きる者たちの、宿命なのであった。
長旅の末の洞窟の奥。そこに用があった。
寝静まった団欒の隣、息を潜める寝室の闖入者のような孤独感だった。
実際孤独だった。一人旅だった。
この夜に生きるための単独、霊峰の空気の籠もる洞窟には魔物の気配はなく、奇声をあげて去るコウモリの大群が生々しい。
頭の中の暗記した道順通りに、いくつもの分岐をくぐり抜ける。マトリョーシカみたいなものだ。
洞窟の口は、徐々に縮こまるように小さくなる。
やがて最奥にたどり着いた。
最後まで道順が当たっているか不明だったが、すべて当たっていたようである。
「ここが、魔王の棲む……ダンジョン」
闇に生きる者の目的地は、地下深くにあるダンジョンだった。その目の前には、先ほど元気よくおさんぽをしていたミミックが、日向ぼっこならぬ日陰ぼっこをしていた。
ミミックはその者の存在に気づいた。
しかし、戦闘にならなかった。
ガッチャン、ガッチャン、と中身を揺らしながら近づいた。闇に生きる者は逃げようともしなかった。もう限界だからである。
何か感じたのだろう、同族の香りを。
ミミックは、自分の箱の蓋をパッカリと開いて、食べ物を見せる。
闇に生きる者は怪訝そうに迷い、手を伸ばす。
噛みつく気配もなく、そうして新鮮なパンを手に入れた。泣いた。ひと口。泣いた。ふた口三口。
それがこの世で生まれて初めて触れた、無償のやさしさであった。
(まだ取っていいよ?)
ミミックは満腹になるまで口を見せたままでいた。
寂しさを紛らわすために、僕はぬいぐるみを抱くことにしている。体長は130センチ。身体はふかふかで構成されている。
夜眠れない時、どうしてか眠剤が効かなかった時は、「眠れないよ〜」と抱きしめると、うとうとするように目がまどろんで、いつの間にか朝になる。
生息地がオフトゥンにいるから、休日の朝は、やけに弱い。あっ、今日は早起きしなくていい日だ。二度寝しよう。むぎゅう。
とした時にはすでに遅し。
完全に昼を回っている時間にタイムスリップ。
これを睡眠負債といって……などと、簡単に時間を奪ってくれる怠惰の神ならぬタイダリストなのだが、平日の睡眠不足を補ってくれるありがたい存在なのだと愛でている。
もう一眠りしよ、と軽く腕を預けると三度寝。
もう夕方に近い午後3時である。
流石にヤバいと思って、お引越しを頑張ることにした。
この太ったアザラシを隣の部屋に引っ越すことが、怠惰から逃れる術なのだ。
そうしたら全然眠くない。
冬は一緒に、清廉な湖に飛び込む。
ダイブ……、モノの重力法則に従って、水深数メートル沈んだのちに、モノのなかに込めた冬は、一気にその力を発揮した。
生まれたばかりの赤子が元気な産声をあげるようだった。
1000万分の1に圧縮され、金属製の特別な殻の内側に凝縮された。
化学兵器だった。量産などできない。一発限りだ。
核の炎の冷気バージョンと言ったほうがよかった。
この世界において、最恐を誇る、唯一無二の、質の高い冷気。
広がる。瞬刻的に世界を、瞬く間に冬にしていく……
兵器は空から落とされたが、詳細な説明はされなかったであろう。
上層部に使い捨てられた一兵卒たちは、飛空艇ごと産声をあげたばかりの冬に飲み込まれた。
世界を包んでいた蒼穹の空は、色はさらに青くなり、濃くなる。円球に、拡散する。
怜悧たる鋭利な空気圧で、一部のオゾン層が破片のごとく、宇宙へと弾け飛んだ。
兵器が落とされた湖……。
かつてその湖は、龍が棲んでいたという。
一人の少女と凶暴な赤い龍。やがて少女は龍の怒りを鎮めたとし、後世に至るまでに神格化されていった。
歴史を紐解けば分かるが、その少女は湖を棲家とする龍の生贄だったという。その伝承すら軽く吹き飛ぶように、跡形もない氷にした。
「……ほ、本当に、これでよかったのですか?」
愚鈍な上層部は、宇宙船の窓から戦果を確認していた。
あまりの暴虐さの目撃者になって、絶句だ。
部下の一人が代表するように、確認の意を表してしまった。
上層部の権力者は、違う。
その言葉は通り過ぎた。
しかし、長すぎるが時間的にはあっという間の沈黙の末に「……素晴らしい」と小さく呟いた。
そして、まくし立てた。
「素晴らしい! 何という力だ! これが、これが神のチカラ……。最高だ!」
自軍の化学兵器の味に酔いしれたようである。
「これをあと二つ、いや三つだ! 三つ作れば……、クックックッ、この星は、わが国の掌の上……!」
一つ作るのに100年を要している。
何千万もの人間の寿命を生贄に捧げて、天候を操るほどの致死量の解き放つ。一体、どれくらいの生命を無下に扱っただろう。動物、植物、人間。文化、伝承……
着地点をその湖にしたのも、すでに述べた通りである。単なる験担ぎであるが、上層部の頂点にまで上り詰めた権力者にとっては重要だった。
権力者は人間である。
それも不死性を獲得した、愚かなる老人……。
ある種、人間らしいと言える。
宇宙船を作り、空を突き抜け宇宙へたどり着き浮遊する。すると神視点となって世界に限界があると知った。
視界一面に見える、すべてのものをすべて手に入れたい。手に入れようとする。
しかし、人間とは神のように「UNIQUE(ユニーク)」を作ることができない。万に一つとして、彼は愚かだったが復讐心で以てもう一人現れてしまう。
同じ場所、同じ時間、同じ種族。
自分の作りし科学兵器「冬」を目撃してしまった天才科学者である。
すぐさま軍を抜け、対抗するように科学兵器「夏」を作った。込める様態は真逆だが、構想と技術はほぼ同種。100年かかるところを10年で作り終えた。
そして、夏を解き放ったのである。
彼が抜けたことで、二発目の「冬」が作れなかったこともあろう。
「冬」は、10年天下の後に「夏」の燎原の瞋恚の炎(ほむら)を許し、宇宙の一部をあぶった。
愚かな決断をした宇宙船を破壊せず、わざと蒸して中にいる愚かな老人を干からびさせたのだ。
「これで……、良いだろう」
科学者は天才であったが、心が真っ黒に塗りつぶされたため、この星を破壊した。
復讐は終わった。
燃え盛る夏と凍てつく冬。
どちらも見える山の懐を死に場所に選んだ。人間らしい理由である。
自転するが、一回転。
倒れるように息を引き取る。
この世に、天国と、地獄が、あるなら……、俺はどちらに逝くのだろう……。
その時、龍は現れた。
背中に少女を乗せた、赤い龍が。
とりとめのない話をしよう。
ついさっき仕入れたもので恐縮だが、僕は夜の電車内で通勤電車に揉まれていた。
もう冬だ。昼と夜の寒暖差もそこまで感じない冬だ。
見渡すと、だいたいの人がもっふりとしたコートを着込んでいる。
手袋をしている人は少なめ。
まあ、スマホをいじくりまくってるから、弊害にしかならないだろうな。
もちろんマフラーをする人もある程度は……と目を向けると、ある人の首元に視線が絡まった。
たぶんマフラーをしていたと思うのだが、そのねじりの布に絡まるように、「とあるもの」が飛び出ていた。
ほら、なんというんだ?
服の値札とかについている、透明で細いチューブの、「くりん」と曲がったプラスチックの。
それを見つけた。
僕はなんというか、もしかして新品のマフラーなのか。と思った。アレが単体で絡まることなんてありえないから、もしかしてマフラーの中に値札が?
いや、でも……
その人の年齢は高齢に片足突っ込んでいるようなもんだ。視線が絡まると思考も絡まってしまう。
新種のキノコでも見つけた気分になった。
その人は、次の駅で降りていった。
特に気づく様子もなく、そして「あの……」と声を掛けるものもいない。遠ざかる謎……、男性。
はて、でかい埃と間違えたのかな。
冥王星が「風邪」をひいて軌道がおかしくなったから、太陽系から仲間はずれになってしまった。
こんなもの、ほんの数日のものだ。病気が治れば元通りになる。
しばらく経って、太陽系に戻ってみるが、状況は戻らない。
どうやら冥王星がそれに属する基準を決めているのは総意ではなく、一つの星の意見。それも星に住んでいる生物の、一種族のみであると知った。
しかし、それを知ったところで冥王星は怒らなかった。
その星と冥王星の距離はかけ離れていて、少なくとも雲泥の差の、四百倍は離れている。
それを踏まえて彼らを見ると、仲間はずれにされていないと知った。一つの星が、この太陽系の長を……裸の大将になっているのだ。
それなら気に留める必要なんかないか。
冥王星は、他とは違う自分の軌道に誇りを持ち、他の惑星と同様に回ることにした。
集団に属すとは、このようなものだ。