22時17分

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12/12/2024, 3:43:06 PM

心と心が通じ合ったような気分になった。
流れ星に手紙を乗せて、遠くの人と文通した。
文通相手は女性だった。同性。それも同年代。学タブ上の、イケナイ関係。ネッ友という関係。

悩みを相談したのがきっかけだった。
最近親に怒られたの。そう呟いたのがきっかけ。
誰も観ていないと思っていた。
でも、来た。それがファーストコンタクト。
ネット上だとしても、肯定してもらえたことがとても嬉しかった。
こんな日が、ずっと続けばいいと思っていた。
現実よりもネット上ばかりを気にするようになった。
いつしか学校は二の次になり、徐々に休みが多くなって、そして不登校になった。

でも、それでも……、ネッ友はそれを肯定してくれた。
休んでいいんだよ。学校なんか、無理に行かなくていい。それよりもさぁ、といって。現実の時間を、チャットサイトで無限に溶かした。
小中学生の関係なんてその期間だけのものだ。卒業したら縁が切れる。
でも、ネッ友なら、ネットが存在する限り、ずっと一緒。

日に日に、ネッ友に依存するようになった。
でも、ネッ友の方は、嫌がったらしい。
それはそう。
不登校なのは自分。一方その頃のネッ友は学校に行っている。平日の昼間は自由だと思っていたけど、実際は義務教育に行かなかったから得た自由なのだ。

夜なら良いだろう、夜更かしすれば良いだろうと勝手に思っていた。送った。送った、連鎖して送った。
送ったコメントに、いつまでも反応してこない。
翌日の朝とかに返ってくる。そうじゃないんだよ、って束縛しようとした。

優先順位が狂ってる。学校よりも私じゃないの?
あなたが、あなたが学校にいかなくて良い、といったから、私は不登校になったの。
そうやって、いつからか責任転嫁して、ネッ友をネッ友じゃないようにしていた。
それって矛盾してるよ。ネッ友なのに、無責任なアドバイスしてこないでよ!
指先は激しいノックで学タブ画面を叩いた。
学校に行かないから、誰も注意しなかった。


「それが犯行の動機ですか?」
目の前が暗くなった。
目を伏せるように、頭を下げたからだ。
床しか見えない、取調室の部屋。
机を挟んで対面する警察の人は、どこか胡乱げだ。

「私はただ、理由が知りたかっただけなんです。傷つけるなんてとても……、はい。返す言葉もありません」

相手の親は、私が行ったネット上の粘着行為に開示請求を行った。
相手はトラウマで不登校になったのだ。その報復として、被害届を出した。
せっかく中学受験に合格したのに。
わたしとネッ友になったばかりに、その努力をふいにしてしまったのだ。
粘着していたのは、年末年始に追い込みの時だった。最も忙しい時だったのに……私は。

警察の、人として見ていない目が、私のすさんだ心を射抜いた。不登校のくせに、被害者づらするなよ、という。
こんな風に現実世界に理解者なんていない。
それがわかってるのに、どうしてネッ友を壊したのか。
学タブの画面で、反省の色がうっすら反射する。手遅れの嗚咽も反射する。

12/12/2024, 4:59:49 AM

何でもないフリを長く続けるから、日本人はうつ病になりやすいと思っている。

心の構造について、とある精神科医YouTuberの動画を拝聴した。その人が言うには、心はハードウェアとソフトウェアの2種類で出来ていると言った。
ハードとは、例えばスマホの機器本体のことで、心の入れ物である。
ソフトとは、いわばスマホの中にインストールされているアプリ群のことで、いわば心を構成している要素である。

人は日々、スマホのストレージ内でアプリを落としたり、または消したりする。
ストレージ容量は人それぞれで違う。
128GB、256GB、あるいは64GBという小容量を使っている古い携帯もあるだろう。
アプリを落とした順番が気に入らなくて、時折ホーム画面上のアプリの配置転換を行うこともするだろう。
意外と時間がかかるから、めんどくさくてしない人もいる。
それでも良いが、やがてストレージ一杯手前になると、警告が入って、アプリを削除しなさいと言われる……僕は言われたことはないが。

つまりはうつ病の人は、やたらめったらアプリのダウンロードばかりをして、そのまま放置してしまっている。
無駄なデータを蓄積した結果なのだ、何年もやっていないゲームアプリが重いのだ。ゆえにスマホが重くてサクサク動かないのだ、と説明した。

今はスマホがあるからこのような説明ができるが、スマホができる以前はどのように説明したのだろう。
心とは何か。
ネットは愚か、紙とペンすら希少だった時は、頭の中だけが頼りだった。記憶領域を短期と長期に分けて、ひどく哲学的思索をしなければならない。
そんな悲鳴のような、悲痛のような。
聞こえてくる。
遺伝子情報を通して、自分の脳内から聞こえてくる。
連綿とした試みが、過去何世紀もかけて行われ続けたという軌跡が。

例えば、所詮人間も、心という概念的な100%で出来ているのではなく、タンパク質の入れ物の中に神経伝達物質が飛び交っているだけのものなのだ、と気づくまで、科学の進歩を待たねばならなかった。それまで、宗教的信条が独占して、宗教戦争や革命が起き、血で血を洗う悲惨が巻き起こった。

……失礼、脱線した。
今はアプリの話をしているんだった。

睡眠時間というものがある。
人間も生物の一員だから、一日の1/3は寝て時間を捧げなければならない。
その時に記憶領域の自然的操作が行われるのだが、うつ病の人や疲れ果てている人は、これをぎこちなく行う。睡眠の質が落ちるのだ。
脳が起きている時間が多いと、その分身体を休める時間が短くなって、いわゆる「寝た気がしない」という状態になる。

だから、うつ病の心の何がおかしいのかというと、ハード面ではなくてソフト面……アプリがとっ散らかってて、ストレージ容量一杯になっているのが良くないのだ、という結論。

じゃあ、どうすれば良いの?
動画では「寝れば良い」
再起動するよう働きかければ良い。
あるいはOSのアップデートをして、作業効率をあげるように仕向ける、という。

スマホのように買い換える、という方法が物理的にできないのだから、そうする他ない。
データが一杯手前だとしても、フリーズするわけではない。
ストレージ容量を超えようとしても、超えることはない。身体のほうがリミッターを付けていて、ブレーカーがガコンと落ちるように、勝手に寝るようになる。
「もう寝ろ」と身体を壊した。それがうつ病だ。

ここまで書いてきた通り、精神科医YouTuberは理路整然と動画で述べていたのだが、そもそもうつ病になった人は文章は読めないし動画も観れない。
というか、集中力が散漫を起こして、この短い文章さえも拒否してしまう。

そうなると精神科医は、
「薬を飲んで寝ろ。話はそれからだ」
ということになり、眠剤を処方して寝るだけの人生にするしかない。
いったい何のために動画を出しているのか。本当に伝えたい人には、届かないことをしている。それは精神科医なら知っているはずなのに……
つまり「そうなる前に」というのが肝心なのだ。

何でもないフリをするのは、限界を知っている人が一時的にするもので、ずっと我慢するためではない。
それは演技ではない。
何でもないフリ……、フリとついているから演技なのだ。「何でもないフリ」を我慢しすぎると、何でもない、になることはない。

12/11/2024, 5:49:52 AM

仲間と友達は、なんか違うらしい。
僕的な感覚で言えば、仲間はより親密な感じ。友達は話しはする、一緒にいる。けど仲間まで親密かといえば、……。となる。

仲間というのは、絆があるらしい、とライトノベル的なファンタジー本を読むとそう感じる。
友達は、ファンタジーではなく実体があって、現実世界よりな感じ。こう書くと仲間も現実にいるだろって突っ込まれるかもしれない。
だが、どうやら僕の世界には仲間と呼べるような親しき関係は、卒業アルバムの中におり、開かないと思い出せないでいる。

まあ、ちょっとしんみりしちゃったけど、別に生きるだけなら仲間なんて要らないよね、っていう強がりを書きたかった。
またしんみりしちゃった。

まあ、いいんだ。世の中には卒業アルバムの中にないような、もっと直截的にいうと、写真に写らないような。
世間では学生と言いつつ、本人は学生時代なんていうものはない人たちだっているんだ。
いや、いるじゃない。いたかもしれない。だ。
またしんみりしちゃった。
しんみりしても、僕は前を向ける。
良いしんみり。お風呂入りたい。

12/10/2024, 9:14:16 AM

手を繋いで、朝の通勤電車に入ってきた。
2人だけではなく、意外と入ってきた。
集団、グループ。人数的には10人くらい。
ホームでは、列でなく横になった直線で待っていたみたいだ。

背丈は低めで、すなわち幼稚園児。
たぶん「ももいろ組」なのだろう。
桃色を羽織った何かを着て、みな身体が桃色だ。

区間は三河島から日暮里駅までの一駅だけだった。
東京にお住まいのひとは、ご存知の通り、常磐線内で最も混む区間である。そして、鉄道好き人には、でかいカーブがあることで有名でもある。

朝の通勤電車は大人、スマホをいじってるだけの学生だけしかいない。それ以外の人間はこの世には生きていない、と思えるだけの混雑状況で、ミツバチの密集みたいに箱に詰められて出荷されている。
視界の色は黒々。時折マフラーの赤や緑、すすけた色があるだけの、色のない色彩。

しかし、その車両に涼風が吹いた。
幼稚園だか保育園だか知らないが、電車が滑り込んだ三河島駅のホームに、児童たちが待っていたみたいだ。
電車が到着したことに、わー、わー、とはしゃいでいるようだった。遠足気分の小さい感じ。それで引率の先生方も手を焼いているみたいな声。そばに立つサラリーマンの列が見える。

だが、電車のドアが開くと、その声はシャットアウトしたみたいに静かになって、先生たちの先導によって、電車へと導かれた。

「はーい、乗るよ〜、みんな〜。段差あるからね〜、注意しようね〜」

それら小さな集団は手を繋いで。
まるで数珠が袋の中で落ちるように、複雑な蛇腹になって電車に入ってきた。ホームと電車の隙間は、手を繋いでよいしょ。と一緒に乗り越えた。

意外と入るものである。
車内の人たちも協力して、空間を開けてくれたのだ。
意外と静かである。
そのお礼みたいな感じに、僕は思えた。

電車が動く頃には、まったくの静かさで、狭苦しくて泣く子供も友達とおしゃべりする子供も、ましてやスマホをいじる子供も1人もいない。
まったく背が小さいので、そこだけ花畑ができたようだと思えた。背丈的にもつり革に届かない、手すりにも全員分は無理。
ということで、桃色の花畑が電車の揺れに堪えている。車体の揺れとともに、身体を揺らしている。
先生たちも、素直になっている子供たちの肩にそっと手を乗せ、周囲に気を配っている。

日暮里駅に着いた。
ここは乗り換える人が多い。
電車のドアが開くと、幼稚園児たちも降りていった。
また、よいしょ、と。段差を乗り越えて、ホームへ。
それを待ってから、常連の通勤者たちが、大量に降りていった。この車両はもう、すっからかんである。

常磐線電車がダイヤ通りに発車して、日暮里から上野駅へ、ゆっくり動いた。
件の幼稚園たちは、ホームのすみっコぐらしをしていた。たぶん、通勤者が先と心得ているようだ。
迷子にならないように、と電車内で少し願い、車窓に消える。

12/9/2024, 9:19:57 AM

ありがとう、ごめんね。

むずいお題だ。パス。

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