光と闇の狭間で、働き者のミツバチたちが飛んでいる。
ミツバチたちの上空は白く、清廉潔白である。
それは光の道を差している。
対して眼下の地面は黒く、澱んでいる。
闇の道を差している。
その狭間……。
光と闇の濃度が綯い交ぜとなっており、その狭間を、ぶんぶ〜んと気の抜けた飛び方をしている。
こちらを飛べとのお達しだ。
ミツバチの目はそうよくできた方ではないので、視界良好な方が良い。
光の道はかなり眩しく、目を焼かれる。
闇の道は息苦しく、身体が蝕まれる。
ぶ〜ん、と気抜けた羽音を立てながら、いくつもの紐で結われたでかいハチミツ壺をぶら下げつつ、運んでいる。
現在の光と闇の交配濃度は50%。
視界良好……とは言えない。
白い霧と黒いモヤが混じっている。
う〜ん、微妙だ。
何とも言えない微妙さだ。
ミツバチたちの職業は、天国と地獄を行き交う、運び屋のような感じだった。
天国と地獄。
人間たちには北極と南極のように両極端に位置すると思われているが理屈は当たっている。
しかし、両極端なのは場所だけで、どちらも気候環境は極寒。
実際、天国と地獄は政治と民間企業の大企業のような関係で、裏では「政治とカネ」のような強い結びつきがあるようなのだ。
つまり、ミツバチたちは蜜を運んでいるのではなく、カネ――政治献金(裏金)を運んでいるのである。
今や天国と地獄はビジネスパートナー。
いがみ合っているが、それは表での話。
閻魔様と神聖たる神とは、夜のパートナーになって……、という噂もある。国民に隠れて、閻魔のナニを神がしゃぶっていると。それほど両者の国は癒着しているのだ。
悪魔と天使を同等に扱う天地の統一思想も現れているという。統一思想があらわれたのは、少子化対策由来らしい。
上級国民である悪魔たちは、両国を統一してから落ちぶれた天使を雇い、救済と破滅を混ぜた宗教的思想を植え付け、それを介して下界の人間たちを自決に追い込み、魂を刈り取るだけ刈り取りたいと思っている。
本来天国に行くはずだった人間の人生に茶々を入れて、地獄に連れていくという。
まるでブラックなのであるが、天国も地獄も少子化。
人口が減少している。
地獄の常識であれば、そもそも人件費の概念がなく、汗水垂らして過労することが「この世の罰」。
そう言い含められるが、天国の者を歓迎するためには、そうはいかない。「人件費」という名の手綱(カネ)が必要なのだ。
しかし――そうも言ってられないのがこの集団なのだ。
「おっとと……」
ミツバチ部隊の編成が崩れかけ、壺の中身がチャポンと揺れた。
「危ないなぁ。堕とすなよぉ」
リーダー格であるミツバチが注意喚起のヤジを飛ばす。その後壺の中身を確認した。
ミツバチたちは、単なるバイト。
本来運び屋には熟達した天使を採用する。
しかし、そうできない理由がある。運んでいるモノがモノなだけに。それに、単純に天使は人件費がクソみたいに高いのである。
壺の中身は、不登校になって人生が詰んだ天使の子どもたち。それが壺のなかに閉じ込められていた。
背中に、白い羽が生えているが飛べません。
飛び方が知らないから、このように拉致られ、地獄に連れて行かれるのである。だから、この内一匹を誤って落としたとしても、実損はないに等しい。
「よくわからないなぁ、こんな木偶の坊が300万で取引されるんだぜ。こんなののどこに需要があるんだ?」
距離をゼロにする魔法効果のあるネット社会。
とある小説投稿サイトを利用しているわけなのだが、そこでは閲覧数は見えない仕組みを取っている。
最近、インプレッション数とか、閲覧数とか。
そういった意味のない数字に夢中になっているネズミが多いと聴く。
僕もそのネズミになりかけて精神が不安定になったので、「もう一人にしてくれ」と、閲覧数が非表示なサイトに引っ越して、淡水湖みたいな海辺でゆったりとしている。
……はずだった。
最近、というよりか数年前からか。
今どきの小中学生は、デジタル教科書に切り替わったことで、学タブというものを持ち始めた。
知らない人がいるかも知れないから書くけど、学生用タブレットのことである。
僕もよくは知らないが、たぶんデジタルだからアプリみたいに教科書を切り替えることができるのだろう。まさに「指一本で自由に」というやつだ。
だからだろうか、学タブの操作者にもそれが表れる感じになってきた。粗暴というか、遠慮を知らないというか。
学タブの略称が学生用タブレットなのか、学校用タブレットなのか、よくわからないが、ほとんど混同してミキサーにでもかけられたように、目的意識が凝固化せずに溶解してしまっている。
いつしか普通のネットの海に航海を始め、学タブは無料体験の境界線を越えて沖合にまで勢力を拡大中。
わりと海賊みたいな船乗り気取り。
無人島暮らしでゆっくりしていた僕目線では「目障り」だと思えてしまうくらいだ。
有名マンガのように、何を勘違いしたのか、世界一周することが夢であると豪語している。
国としては野放しとなっており、無法地帯や野放図になりつつある。
小説投稿サイトを「SNS」と言い始め、チャットサイトのように使い始めて僕は目を覆いたくなる。
バカとハサミは使いようというが、バカはハサミというものを知らない。指一本で二次元を操作できるからだ。
彼らに小説などというものは書けない。
読書感想文もまともに書けず、ト書きレベルを小説という始末。
本当に少子化なのか? と、疑問になる。
単純化思考になってしまうところだった。
ネットの海は広大で、距離感がつかめない。
きっとネットの海で暴れている学生たちは一部なのだと思いたい。
SNSで時間を溶かしている連中も、大人の層からいえば、3%位しかコメントしないらしい。あとの97%は読み専なのである。
だって、仕事で1日の1/3を持ってかれ、睡眠時間で1/3を持ってかれ、あとの時間はプライオリティなプライベートなやり取り。僕はYouTubeの動画を見てたらあっという間に就寝時間。
SNSでバトルをするような、時間を捨てることはしない。
まずは音から汚染されるのだ。
今見ているネット上の光景も、音から。
名残惜しそうに耳栓をし、あるいはワイヤレスイヤホンをして、シャットダウン。
泣かないで、下唇をぐっと噛み締めて、ずっと作り笑いをしている40歳になる人間。
数え年で40歳を「不惑」と呼ぶ。
2500年前の中国の思想家である孔子が、晩年に述べた言葉に由来する。
孔子は、15歳で学問を志し、30でその道で独り立ちし、40歳で進む道に迷いがなくなったとされている。
そんなこと、この複雑怪奇な現代であり得るのかと思うと、そんなわけがないと思えてしまう。
40の倍、80歳になったとしても、迷いっぱなしの人生なのではないか。
悲嘆の壁の前。
脳内に聳える硬く高い壁の前。
その前でウロウロと行ったり来たりをしている毎日。
角度により、この壁の色が変わる。
ある時は清廉を与える白、ある時は影の色。
陽の光で褪せた色。くたびれた色。
その様々な色合いに、これでも良いのだと思ったりする。
壁に向き合い、または逃げ。
自分の生き方の指針として、この壁の周りを蛇行運転することにしている。
人生は結果ではない。
この色が好きだ、という単純なものじゃない。
冬のはじまりは、秋が終わる頃、ではないのだ。
実は秋と冬は重なり合っているようで、冬の前半が秋、冬の後半を冬と現代の日本人は呼ぶようにしている。
それは平成時代でもそうだったと思いたい。
今はSNSと気象庁の猛烈な予告によって、急に夏が終わり、急に秋が終わり、そして急に冬が終わり……1年通してみると夏の間延びした暑さしか印象にないようになる。
秋なのか冬なのか分からない。
夜は冬のはじまりとなっている。
寒さは夜から到来するのだろう。
終わらせないで
(あとで書く)