哀愁を誘うような手つきで、ポケットに手を突っ込んでやると、一枚の十円玉が入っていた。
どうして入っていたのか。
思い出す行為を、物は知らない。
ただ黙示録的にその場にいる。解釈は人によりけり。
昭和五十年、と記されている。
辛うじて読める程度の可読性。
もはや退廃したこの世のような、酸化して暗く澱んだ色合いをしており、深い。
哀愁に誘われた手は、この深い色に釣られたのだ。
手のひらに乗せ、指紋の色合いと較べた時にこう思った。
この硬貨はいつからポケットに入っていたのだろう。
黒い長ズボンである。
冬用の二重布の黒い長ズボンである。
スラックスというには、少々分厚い。
しかし、真冬日に着ていくにはかなり防寒性の低い布地である。
つまり、秋から冬にかけて履くようなズボンなのである。
数日前に適当な衣替えをして、タンスの奥から引っ張られた代物である。その時からこれが眠っていたのだろうか。
去年、洗ってから入れたんだけどなあ。
そうなると、洗濯機の激流に耐え、乾かされ、その後畳まれて丸一年放置され、今日発見された十円玉、ということになる。
その間、新紙幣が導入され、札束たちに書かれた歴史登場人物は入れ替わり立ち替わりを見せていた。
それなのに、この硬貨は身を固めて、じっと辛抱していた。
新紙幣になるということは、造幣局で発行された分、古い札束はこの世から消えていったことになる。
でも、硬貨に新たなデザインとか、そんなに無いような気がする。特に十円玉。
この十円玉のように、じっとしていたい通勤電車。
18:52。
鏡の中の自分をみると、老いているなと感じられる。
そういえば、鏡を見てからじゃないと「老い」ってやつを感じないかもしれない。
鏡から連想していって、そういえばあの場面では、みたいに追想が始まる。
という時間があればいいんですが。
鏡の中の自分と認識する暇もなく、さっと見て、さっと家を出る。
眠りにつく前に、眠剤を二錠飲む。
眠りにつく前に、スマホをいじる。
眠りにつく前に、スマホを辞める。
眠りにつく前に、横光利一の『機械』を読む。
……難解なものを読むと、よく眠れるんだこれが。
「永遠に」をでかく考えると、
「果たして永遠とは存在するのか?」
などと考えるようになって、お題からズレてしまう。
ちっちゃいタイプの永遠について考えてみたい。
人間は永遠に憧れて発展してきたところがある。
永遠に生きてみたい。その考えによって寿命が延長され、長く生きられるようになった。
しかし、生きるというのは苦しみと寄り添うことである。
日本は物価高で、金銭的貧富の格差があり、時代とともにどうしても縮めようと試みても差は開くばかりだ。
思ったのは、人は「永遠」に取り憑かれているから、生きづらくなったのではないか。という、単純な思考的結論である。
これは頭の悪い子供に多く憧れがちだ。
長く生きたいと強くそれを望み、後世の人たちはそれに対して真剣に取り組んだ。
結果、時間的に長く生きられ、科学も発展して娯楽がたくさん生まれてきている。すべてを見ることは数十年前から無理だろう。
永遠に取り憑かれたから、余剰産物を生み出し続ける。これは、人間がそこにある限り続けられるもの。つまり「永遠」。
だから、未成年たちに皺寄せがいっているのだ。
未成年たちは、永遠に取り憑かれていないから、早く死にたいなどと言って、死にたくなって死ぬ。
そんなことを誰かが言うのである。
これが頭の悪い子供の単純な思考的論理である。
でも、未成年は別に永遠がどうとか考えたことはないと思う。永遠があってもなくても関係ない。
多分、永遠が当たり前に存在し過ぎていて、麻痺しているのだ。
まあ、つまり。
話は変わるけど。少子化対策って、子供がなるべく死なないようにするために、子供を大事にすることらしいけど、そんなこと、やってないよね。
ご存知の通り、人間社会は永遠を継続するために生きているのだから、少子化対策なんて「一時的なもの」するわけがないじゃないですか。
そんなの、子供たちがやってください。
そういうメッセージを受け取り続けている「あたりまえの永遠」にさっさと気づいてください。
子供たちに言ってるんですよ。
理想郷を言ったらどうだ、って。
誰かに囁かれた気がした。
夢は夢のままでいたら、いつまでたっても夢のまま。
いわばその状態こそが「理想郷」と言える。
頭のなかで想像すれば創造となる。
だから神の思想について考えるのだ。
頭のなかはいつも完璧だから、ゆえに人間の頭のなかも完璧で埋め尽くされている。
しかし、現実に解き放とうとすると、一気に陳腐なものになる。時間とともに廃れる事が分かってしまう。
頭のなかはすべて完璧。その正体は、時間が流れないことなのだ。
現実世界では、何かに触れようとする時も時間は流れ、それをいくら細分化しようとも時間は流れ、止めることはできずに流れ続ける。
だから、ついさっき聞こえた言葉はブラフとなる。
幻聴の類。化け物の遠吠え。
理想郷は、頭のなかに留めることが大事なのだ。
しかし、物事には限度というものがある。
その通り。
理想郷について考え込み、追加要素を付け足し続けると理想郷にはならぬ。
しかし、完璧であるがゆえ、理想郷=理想郷、理想郷≠理想郷が共存共栄する。
その事を考えると、人間社会はそれの通りではないか、と思った。